鎌倉世界遺産登録推進協議会
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第3回 鎌倉世界遺産登録推進に向けての
中学生作文コンクール 作品集

「鎌倉八百年の歴史を世界遺産に」

シンボルマーク

鎌倉市青少年指導員連絡協議会
鎌倉世界遺産登録推進協議会
鎌倉市


作品集にまとめるにあたり、一部の年号標記等を漢字から数字にあらためさせていただきました。

目 次
作品集発行にあたって      
最優秀賞 小山 歩美  
優秀賞 大西 若葉  
   大浦 萌  
   近江 真由子  
   判治 郁奈   
   吉田 俊介   
佳 作 上妻 侑河  
   多賀 光太郎   
   伊藤 ゆりか  
   矢墅 旦  
   竹村 和樹  
   中野 茉莉花  
   梶原 夢華  
   川人 晴香  
   佐藤 里南  
   白川 由衣  
   長井 理沙子  
   西川 友紀子  
表彰式・発表会      
応募者概要     

「鎌倉八百年の歴史を世界遺産に」作品集発行にあたって

鎌倉市青少年指導員連絡協議会
会長   石井 英明
「鎌倉の青少年の若い力を世界遺産登録実現につなげたい!」と、3年前に当協議会が始めた中学生作文コンクール。 各方面から大変ご好評を頂き第3回目となる今回は当協議会と鎌倉世界遺産登録推進協議会が主催し、鎌倉市に共催頂くイベントに形を変えて実施することができました。
 「鎌倉八百年の歴史を世界遺産に」という難しい出題に対して果たして何名の応募があるか大変心配しましたが、市内各中学校の力強い後押しのお陰で2学期が始まると559点の作品が集まり、 過去3回の累計では約1,500名という嬉しい結果となりました。
 今回は一次選考で選ばれた32点の作品を、作家・詩人で元鎌倉ペンクラブ会長の三木卓先生、鎌倉市教育長の熊代徳彦先生、鎌倉市御成中学校校長飯尾博一先生に私が加わった4名で最終選考会を開きましたが、 いずれ劣らぬ秀作・力作ぞろいであったため、予定の16名の入賞枠を18名に増やして選考を終えました。
 又、表彰式と上位入賞者の作文の本人による朗読発表会は、第1回から市議会本会議場で実施することで、入賞者の中学生諸君が是非その貴重な経験を将来の飛躍の糧にして欲しいと願って実現に努力して参りましたが、 市議会と市役所関係者の皆様の温かいご理解・ご尽力によって、やっと3回目にして実現できたことは極めて大きな喜びでした。
 報道によりますと、政府はユネスコに対する平泉の世界遺産登録の推薦を決定したとのこと、さあ次はいよいよわが鎌倉の番です。この作品集には残念ながら559点のうちの18点しか掲載できませんが、 これまでの約1,500名の鎌倉の中学生の世界遺産登録実現を希う若く熱い心が、是非ユネスコを動かして、鎌倉の世界遺産登録が実現するよう、皆様の力強いご支援を願うものです。

「鎌倉八百年の歴史を世界遺産に」

最優秀賞 大船中学校 3年 小山 歩美
私の住む鎌倉は、世界遺産に登録されることを目指している。世界遺産とは何か。そして、登録されることの意義について考えた。
 世界遺産条約は1972年第17回ユネスコ総会で採択された条約で、「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」だ。世界遺産とは、この条約に基づいて登録された文化遺産や自然遺産のことである。 日本では、屋久島や白神山地が自然遺産として、法隆寺地域の仏教建造物や白川郷・五箇山の合掌造り集落などが文化遺産として登録されている。
 ここ鎌倉は、源頼朝が武士による新しい政治を行うため幕府を開いた土地で、八百年以上の歴史を持つ。源氏の守護神であり、将軍になるときの儀式をはじめ、幕府の政治的儀式なども執り行われた鶴岡八幡宮。 頼朝の妻政子の安産を祈り造られた参道で、桜並木やさつきの美しい段葛。わが国最初の禅宗寺院建長寺や元寇の終わった後戦死した敵味方の霊を慰めるため建てられた円覚寺などの寺院。奈良の大仏に次ぐ、 約11メートルの高さを待つ、浄土信仰の長谷の大仏。鎌倉では、これら国宝や重要文化財などの歴史的建造物が人々の日常生活の中にあり、親しまれている。
 電車で帰ってきたとき、北鎌倉駅が近くなると私は心がほっと落ち着くのを感じる。家が近くなったというのも勿論あるが、都心からわずか1時間弱の距離にあるとは思えないほど豊かな自然があるからだ。 左手には円覚寺・六国見山から鶴岡八幡宮にかけて、右手には台峰の、木々の緑が目に優しいからだ。しかし、この自然も開発の脅威にさらされたことがある。昭和30年代後半、「御谷」と呼ばれる鶴岡八幡宮の裏山が宅地造成されようとしたのだ。 これに鎌倉市民が立ち上がり、「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」が成立した。一般に古都保存法と呼ばれるこの法律は鎌倉での自然保護活動を契機につくられた。これにより、神社・寺院と一体となった景観を作り出し、 見るものに安らぎを与える自然が守られたのだ。
 世界遺産に登録されると、観光地として今以上に多くの人が訪れるだろう。鎌倉は道が狭く渋滞など解決すべき問題も出てくるだろう。しかし、私は世界遺産に登録されることを望む。座禅をとおして自らを見つめ、 武士道の元となる武芸に励み、敵味方の区別なく供養した武士達がいたことを知って欲しい。そして、これらの歴史的建造物や豊かな自然をいつまでも変わることなく受け継いでいきたい。 世界遺産とは、世界の国々で協力して貴重な遺産を保存しようとするもの。問題が発生したとき、鎌倉の人だけでなく、より多くの人々と問題を共有し解決を目指せる。だから、世界遺産になることは重要だと私は考える。

「鎌倉八百年の歴史を世界遺産に」

優秀賞 第一中学校 2年 大西 若葉
下馬四ツ角の交差点、信号待ちの時間、いつも思うことがあります。およそ八百年前、鶴岡八幡宮に敬意を表すために、この場所で武士たちが馬を降りた…。その場所に今私は立っている…。 鎌倉は、ちょっとしたところに歴史が隠れていると思うのです。それは、とてもおもしろいことです。学校の教科書や、歴史の本に書かれていることが目の前に広がっているからです。そんなことが実感できるのも、八百年の間、鎌倉が守られてきた証拠です。
 例えば、昭和39年、鶴岡八幡宮の裏山「御谷」の森を守ろうとする「御谷騒動」もその一つです。それは、宅地造成計画から景観と自然を守ろうという反対運動でした。 それをきっかけに、鎌倉市民は歴史的風土を守ろうという意識が高まりました。そして「鎌倉風致保存会」が設立され、昭和41年「古都保存法」が成立しました。
しかし、現在本当に鎌倉の町は守られているでしょうか。「武家の古都」と呼ぶのにふさわしい町でしょうか。
 先日、世界遺産に住むことをテーマにしたテレビ番組を観ました。モロッコのアイト・ベン・ハドゥは、山のようにも見える土作りの住居の集落です。昔、敵の侵略から守るため、その家並み自体が大きな要塞となっていて、 村の中の通路は迷路のようになっています。家の修復は、土地の人が、土地の材料を使って直さなくてはなりません。土とわらを練って作った日干しれんがを積み上げるのです。 その他にも、車の乗り入れ禁止だとか、騒音禁止だとか、他の町にはない決まりごとを守りながら暮らしています。そこに住む人は「世界遺産に住むということは大変ですが、誇りでもあります」と楽しそうに暮らしていました。 鎌倉には、そんな覚悟で暮らしている人がどれくらいいるでしょうか。
 鎌倉は、切通しのある山や神社やお寺など、有名な史跡は守られているのかもしれません。しかし、町全体を見渡したとき「武家の古都」?と疑問に思う風景が多いように思います。 コンクリートのマンション、空を編んでいるような電線。あの下馬四ツ角も、つまりは名前しか残っていないわけです。地名と想像力だけで私たちは歴史を感じているなんて、ちょっと寂しい気がします。
 八百年前の人々が残してくれた町を、10年後も50年後も、歴史的に価値のある町として残したい。そのために、私達ができることは何かと考えてみました。
 歴史の重みを学ぶ。史跡と自然を守る。家の周囲で緑を育てる。建物は町並みに調和したものに。古い建物も修復して再利用。そして、鎌倉に住む人と訪れる人が一緒に鎌倉を守っていけたら、世界遺産にふさわしい町になるのではないかと思います。

「鎌倉八百年の歴史を世界遺産に」

優秀賞 第二中学校 2年 大浦 萌
私は横浜市で生まれ、2歳の時に鎌倉に移り住んだ。私の記憶の中にある幼い頃の遊び場は、八幡宮やよりとも公園などの歴史的な場所ばかりである。時には自然のままの地形が残る山を歩き、時には川に降り水遊びをし、夜には蛍を捕まえた。
 幼い頃からそんな場所で遊び、春には桜の舞う道を歩き、夏には蝉の声と太陽の光を肌で感じ、秋にはキンモクセイの香りとともに鮮やかな紅葉を楽しんだ。そして冬には雪の降る中雪遊び。
 四季の移り変わりを実感できることも私にとっては当たり前であった。
 しかし学年が上がるにつれ私の行動範囲が広くなっていくと、それとともに気付くことがあった。
 大きな都市には、大きなビルが立ち並ぶとともに緑の多い大きな公園もある。交通網が発達し、行き交う人も多く、街には活気が溢れている。初めの頃はそんな華やかな街を羨ましく思っていたが、 なぜだか帰り道の車窓から鎌倉の景色が見えてくると、気持ちがとても落ち着いた。やはり私には、大きなビル、人工的な緑のある大きな公園、それらがたくさんある大きな都市よりも、本当の自然に溢れた鎌倉の方が合っていた。 だんだんと優しい景色になっていく車窓を眺めながら思っていた。
 最近は、様々な地域で大きな建物や家々の建設のために森林伐採が進められていて、本当の自然の緑がある地域は減少している。しかし、鎌倉をもそのような地域としてしまうのはとても惜しいことだ。 鎌倉はいつまでも、豊かな緑と歴史的な文化、そしてそれらを取り囲む優しく和やかな空気を保ち続けるべきだと思う。
 鎌倉市民憲章には、「鎌倉の歴史的遺産と自然及び生活環境を破壊から守り、責任をもってこれを後世に伝えます。」とある。
 かつて源頼朝の時代に鎌倉で生まれ育まれた武家の文化、また、自己を律し、誇り高く、信仰は厚くという精神は、現代まで受け継がれているものである。そんな精神のもと、鎌倉では私が生まれるずっと前から、 歴史的遺産や自然環境を守る努力が積み重ねられてきたのだと思う。そして、だからこそ今の鎌倉が成り立っているのだと思う。そのような歴史的遺産を守り続けていくためにも、世界遺産に登録し、すべての人々の共通の財産として認識することが大切だと思う。
 そんな鎌倉で今まで過ごしてきた私は、鎌倉がとても好きだ。どんなときでも私たちを優しく包み込んでくれる。だからこそこれからは、鎌倉への恩返しとしても、先人の努力を決して無駄にすることなく、さらに歴史的遺産や自然環境を守る努力を積み重ねていきたいと思う。
 

「鎌倉八百年の歴史を世界遺産に」

優秀賞 横浜国立大学教育人間科学部附属鎌倉中学校 3年 近江 真由子
私は鎌倉の段葛を約8年間通って、学校へ通学しています。そこにはたくさんの草花が彩る豊かな自然があり、ゆっくりとした歩調で歩くとつい風景に魅入ってしまうので、私はなるべく急ぎ足で登校します。
 段葛は毎年、様々な姿を見せてくれます。春には満開の桜でアーチをつくり、その後一面をピンク色のじゅうたんで覆います。夏には青々しい葉をつけ、セミの鳴き声を心地良く響かせるのと同時に、照りつける日光を遮ってくれます。 秋には赤・オレンジ・黄色の紅葉で風情を感じさせ、冬には枝だけとなった木々が生命の強さを語ります。季節感あふれる段葛は、私にとってまさに鎌倉を象徴するものです。
 私の思う、鎌倉の一番の魅力は「武家の心を、今でも感じられる」ことです。栄枯盛衰の鎌倉時代だったからなのか、「何か」を残そうとする武家の心がこの街にはあふれています。 今も残る数多くの寺社・切通など、不変の価値を持つ存在をそこかしこで感じることができます。変わらないものの安らぎ、普通であることの幸せこそが、歴史ある鎌倉の受け継いでいるものではないでしょうか。
「世の中は 常にもがもな 渚こぐ 海人の小舟の 網手かなしも」。百人一首の中に、三代将軍源実朝の和歌があります。それは「世の中の様子が、いつまでも変わらずあってほしい。 波打ち際を漕いでゆく漁師の小舟を陸から引いている、というようなごく普通の情景が、切なくいとしい。」という歌です。鎌倉に住む私は、遠く昔の実朝の歌にとても共感します。毎年楽しめる桜、新緑、紫陽花、紅葉。 そして、それを囲む歴史的建造物。今は変化の激しい世の中です。鎌倉が今も人々を魅了するのは、実朝が愛してやまなかった鎌倉に息づく文化の心、人々の想いではないでしょうか。
 先日、歴史ある街並が世界遺産登録されていたドイツのドレスデンでは、住民の居住環境を優先したことによって、登録を取り消されました。しかし、これは住民投票の結果であり、住民が望んだことです。
 世界遺産登録は誇りですが、それによって、環境の問題・治安の問題・交通の問題など様々な問題が挙げられています。私は世界遺産登録によって、鎌倉に住む人々・鎌倉を愛する人々の想いを失ってはいけないと思います。 なぜなら、その想いこそが、武家の古都・鎌倉に脈々と伝わってきたものだからです。
「想い」が伝わる場所、鎌倉。世界遺産登録によって、この地に根づく武家の心をよりたくさんの人々が知り、鎌倉を愛する想いが失われることなく逆に広がっていくことを、鎌倉に住む私は一番に願っています。

「鎌倉八百年の歴史を世界遺産に」

優秀賞 横浜国立大学教育人間科学部附属鎌倉中学校  3年 判治 郁奈
私は今年で9年間、鎌倉の学校に通っています。そんな学校生活の中で私はずっと鎌倉の中にあるたくさんの絵を見てきました。
 例えば「源平池」。ここは様々な生き物が住んでいて、その分たくさんの絵を見ることができます。優雅に尾をゆらす大きな鯉や、水に足をつけ凛と立つ鷺、スッポンを見つけたときにはちょっと嬉しくなります。 そんなたくさんの絵の中で私が最も好きな絵は、初夏の「緑一色の源平池」です。源平池は初夏になると、水面が蓮の葉でいっぱいになり、まるでそこに水が存在しないかの様な蓮の森ができるのです。 さらに暑くなってくると、その所々に白や桃色が混じります。蓮の花が咲くのです。蓮は堂々と、しかし美しく咲いていて、私が一番好きな花です。しかしそんな色彩豊かな蓮の森も、肌寒くなるころにはきれいさっぱり刈りとられてしまい、 水面から無数の茶色い茎がとび出すだけの状態になってしまいます。でも私はこの絵もしみじみとはかなげでとても好きです。この様な自然が八百年間ずっと生きつづけてきたと思うと、その重ねてきた年月の中に鎌倉の自然の力強さを感じます。
 さて、自然の他にも鎌倉には美しい絵がたくさんあります。鎌倉にはつみ重ねてきた八百年分のたくさんの美しい絵があります。その中には鶴岡八幡宮や長谷寺のような彩やかで豪華なものから、光明寺など小さくて素朴なものまであります。 しかしその中でも私が一番好きな絵は、今では鎌倉を観光するうえで定番のスポット、大仏です。よく考えてみると、大仏は不思議な建造物です。確かに大きいので、目立ちます。しかし、なぜ青銅の地味な肌を持ちながらも、 同等の大きさである大船の観音様よりも注目を集めるのでしょう。大仏は一時期金色だったこともあるそうですが、なぜ金ぱくがはがれ落ちた今でもあんなにもたくさんの人を足元に集めることができるのでしょう。 私は、それは大仏のかもし出すオーラのようなものが、そうさせているのではないかと思います。私も何度か大仏の足元に立ったことがありますが、そのとき重厚で、けれども近よりがたくない、不思議な雰囲気を感じました。 確かに、考えてみれば大仏は「大仏様」ではなく「大仏」で、観音様は「観音」ではなく「観音様」です。これは人によって違うかもしれませんが、少なくとも私のまわりの人は皆そう呼んでいます。 実はこの大仏は今までたくさんの天災の被害にあっています。最初は木材だったものが台風で崩壊し、青銅でつくりかえられ、大仏殿が津波で流され、現在の姿に至るのです。そこには、今まで大仏づくりに携わってきた人達の工夫や思いがあります。 だからこそ、大仏は数々の天災に遭っても今もなお高徳寺のまん中にどっしりと座っていることができ、そうした人達の愛情をうけて、大仏は独特の親しみやすさと、天災にうち勝ってきた力強さを兼ねそなえて 今日もその足元にたくさんの人を集めているのではないか、と思いました。
 今挙げた二つの絵の様に、鎌倉にはとてもたくさんの美しい絵があり、その一つ一つにその時生きていたものたちの思いや、生命の力強さが刻まれています。だからこそ、そんな絵たちに人はひきつけられるのではないかと思います。 私は、鎌倉の八百年の歴史の中に生きた生命、動物植物問わず、その時代時代を強く生きぬいた生命たちを、より多くの人に感じとってほしいと思っています。そして、そんな力強い生命たちを、ずっと大切にしていくべきだと思います。 そしてそれは鎌倉を世界遺産に登録することで、確実に実現するのです。なので、私はぜひこの生命たちを世界遺産に登録してほしいと思います。しかし、世界遺産という名目にばかりたよってはいけません。 たとえ世界遺産に登録されようが登録されまいが、私達はこのたくさんの生命がつまった古都を守っていくべきです。それが、いつもとてもきれいな絵を見せてくれる鎌倉への恩返しになると思います。 世界遺産登録というのは、その結果として後からついてくるものなのではないでしょうか。

「鎌倉八百年の歴史を世界遺産に」

優秀賞 横浜国立大学教育人間科学部附属鎌倉中学校 3年 吉田俊介
私はここ鎌倉を世界遺産とすることはとても良いことであると思います。理由は大きく三つあります。一つは八百年の歴史を誇る沢山の貴重な建造物が現存しているという点。二つ目は、同じ古都である京都・奈良にはない独特の自然や建造物があるという点。 そして三つ目は17年前に世界遺産の暫定リストに載ってからの鎌倉市の世界遺産登録へ向けての努力がとても大きいと思う点です。
 一つ目の八百年の歴史を誇る沢山の貴重な建造物が現存しているという点についてですが、鎌倉という都市は武家がつくり上げた街、まさしく「武家の古都」であり、江戸と並んで武家がつくり上げた二大都市であると思います。 しかし江戸つまり東京は第二次世界大戦や火事などに不幸にも被災してしまい、ほとんど当時の姿をとどめていません。つまり武家がつくり上げた都市として現存するのは世界で唯一鎌倉だけであるのです。 寺社の名はここでは一つ一つあげませんがそれらの歴史的遺産が世界的な価値を持ち、人類共通の遺産であるということはまず間違いないと思います。
 二つ目の、同じ古都である京都・奈良にはない独特の自然や建造物という点は二つほどに分けられます。一つは最大の特徴でもある、東、北、西を山地に囲まれ、南で海に面するという鎌倉そのものの地形です。 このような地形が「やぐら」や「切通」をつくり出したのです。まるで自然がつくり上げた砦のような鎌倉の地形は城壁などを持たない日本で唯一の本格的要塞でもあります。 もう一つは、規則的な町割による従来の都市とは異なり、自然の地形を生かした不規則な町割であるということ。このように自然のありのままの姿を残しつつ人間が住むという点でも京都・奈良とは大きく異なります。
 三つ目の鎌倉市の努力については、私が特に着目したのは、緩衝地帯と呼ばれる区域の確保です。この区域は周辺の環境や景観を保護することを目的として設けられています。 設定された緩衝地帯自体は世界遺産として登録されるわけではありませんが、景観の保護は勿論、自然環境、生活環境の保護にもつながります。 私はこの区域の確保に対して、これは世界遺産登録のためだけでなく市民や鎌倉に暮らす動物の生活環境の向上や市民の世界遺産への意識の向上につながり、そのことによって市民と市との深い関係が生まれ、市と市民の一体化につながるという点でとても良い行動だと思います。 これからは更に広範囲にこの区域を設定していくべきだと思います。
 日本で唯一現存する武家の古都、鎌倉。現在、世界遺産登録は困難な傾向にありますが、鎌倉の良さを素直に伝えれば、17年間の鎌倉市と市民の努力は実るのではないかと思います。

「鎌倉八百年の歴史を世界遺産に」

佳作 大船中学校 3年 上妻 侑河
ぼくは鎌倉生まれではない。愛知で生まれ、川崎から愛知・香港と引越し、小学校の5年生の春この鎌倉の地にやってきた。ぼくには故郷と言える所がないのだ。
 鎌倉に引越す前の約1年間、NHK大河ドラマの「義経」を遠い香港で毎週欠かさず見ていた。番組の終りに義経ゆかりの場所が紹介され、鎌倉もいくつか出ていて、興味を持った。 そんな時、香港から引越すことになった。鎌倉には今まで何の縁も無かったが、偶然にも海外から見ていたテレビ番組で、親しみを持った鎌倉に引越すことになろうとは。 4年間海外で暮らしていたぼくら家族にとっては、もっとも日本的な情緒を持った鎌倉はとても新鮮で、あこがれの場所だった。
 引越してきた当初は、しばらくガイドブックを片手に鎌倉を観光しまくり、大河ドラマで紹介された場所も、実際に自分の目で見てドラマの数場面がよみがえり、歴史の重みを感じた。そして「義経」がまるでぼくら一家を鎌倉に呼んだようにさえ感じた。
 小学校の5・6年の時、「鎌倉巡り」という学校行事があった。3年〜6年の7、8人グループで、鎌倉の名所を大人のつきそいなしで、地図を見ながら、一日がかりでめぐるというものだ。 5年生で初めて鎌倉にやって来たぼくにとっては、この行事は気が重いものだった。しかし、高学年がしっかりしなければグループに迷惑がかかってしまうので、何度か下見をして本番にのぞんだ。
 こうして、5年生まで鎌倉に「なじみ」のなかったぼくが自分の足で鎌倉を歩き回り、また行くことになっている名所について調べることで、愛着が湧いた。 また中学校では、授業や課題で鎌倉について学んだり、調べる機会もあり、元々歴史好きのぼくには、鎌倉の歴史を知ることで、より一層愛着が増していった。
 「鎌倉」は、世界的にはまだ認知度が低いと思う。実際、ぼくが住んでいた香港でも日本への旅行先として「東京」・「京都」・「北海道」という文字は、旅行会社によくはられていたが、「鎌倉」は見たことがない。
 「鎌倉八百年の歴史」が世界遺産に登録されたら、世界的な認知度も上がり「鎌倉」のすばらしさを、より多くに人々に知ってもらうことができると思う。
 しかし、世界遺産への登録により、急激に観光客が増えて、様々な問題が起こっているという話題も耳にする。そうならないためには、どういうことが必要なのか、 そしてこのすばらしい「八百年の歴史を持つ鎌倉」をどのように後世に残していくのかを、より多くの人が考え、じっくり話し合う必要があると思う。そうすることで世界遺産登録推進は、地域の人々が、自分の住む都市をより大切に思い、誇りを感じる良い機会になると思う。
 ぼくもこれを機に、世界遺産登録についてもっと関心を持ち、自分なりの考えを持ちたい。そして将来、鎌倉が世界に誇れるぼくの「故郷」になることを願う。

「鎌倉八百年の歴史を世界遺産に」

佳作 岩瀬中学校 2年 多賀 光太郎
色とりどりの木々が美しい春の六国見山。夏の訪れを知らせるほととぎすの声。ベランダから眺める、真っ赤に染まった夕焼けの富士山。冬の早朝、起きて窓を開けた時の土のにおい。 僕は小学校6年生の時に鎌倉に引っ越してきて以来、鎌倉での生活を楽しんでいる。
 鎌倉に来るまでは、なぜ源頼朝が鎌倉に幕府を置いたか知らなかったが、家の近くの六国見山の頂上から鎌倉市街を眺めてみると、理由は一目瞭然である。鎌倉は三方を山に、一方を海に囲まれた、まさに自然の要塞だったのだ。 これほど地理的に防御の固い都市は珍しいのではないか……。
 鎌倉の町は、外側だけでなく、町の作りも洗練されている。僕はメインストリートの若宮大路が大好きだ。鶴岡八幡宮の境内に立って遠くを眺めてみると、若宮大路がまっすぐ海の方まで伸びているのが見える。
 先日、ノルウェーからのゲストを鎌倉に招待する機会があった。まず段葛を通って鶴岡八幡宮に参拝した。次に、報国寺で竹の庭を見ながらお茶を楽しんだ。そして再び若宮大路に戻り、江ノ電で高徳院、長谷寺に案内した。 最後に「鎌倉の魅力はどのようなところだと思いますか?」と尋ねると「山があり、海があり、その間にたくさんの神社やお寺などの歴史的建造物が点在しているところがすばらしい。」と答えてくれた。 自然も文化も違う外国の人が、僕と同じような魅力を鎌倉に感じていたというのは考えさせられるものがあった。
 僕はさっそく鎌倉の世界遺産登録への経緯について調べたくなった。鎌倉は1992年に日本の暫定リストに掲載された。同じ年に掲載された中で、まだ世界遺産に登録されていないのは、鎌倉と彦根城だけである。
 では、なぜ鎌倉が世界遺産登録されないのか?鎌倉は暫定リストに掲載されて以来、登録活動を続けてきた。2001年に平泉が暫定リストに掲載されると、日本政府は、長年登録されなかった鎌倉より、平泉を推薦した。 しかし、最近平泉は登録延期勧告を受けた。これにより、鎌倉は推薦書原案に平泉を参考にしていたため、推薦書をさらに検討することを決定したからである。また、平泉の延期勧告を受け、鎌倉も万全の登録体制を整えてから書類を申請しようという動きがある。
 では、登録体制の整備とはどのようなことをしていけばいいのか?僕はまず、町の整備をするべきだと思う。中世らしい建造物などを残し、必要以上に近代的な建物は建てないようにする。 また現在、24時間営業や深夜営業の店が増えた。夜も明るくにぎやかな町というのは、武家の古都としてふさわしくないような気がする。既存の店舗は、営業時間を規制する、照明を落とすなど町の景観を壊さないような努力をしていくべきだと思う。
そして、住民の登録に対する関心の向上を促すことも必要である。国内初のナショナルトラスト運動発祥の地として、その意識を建造物だけでなく、バッファゾーンを含んだ広いエリアの保護活動にも活かしていけると良いと思う。
 但し、鎌倉の世界遺産登録については賛成の人ばかりではない。観光客が増えると騒音・景観のくずれ・ごみの増加などを心配する人もいる。また、鎌倉は今、住宅地として人気があるため、緑地開発を進めようとする人たちもいる。
 しかし、どんな自然、遺跡も一度失われてしまったものは二度と元には戻らず、その価値は永久に失われてしまう。
 鎌倉は、日本人の心のよりどころであり、僕の故郷でもある。僕は世界の人たちに是非鎌倉を知ってもらいたい。

「鎌倉八百年の歴史を世界遺産に」

佳作 玉縄中学校 3年 伊藤 ゆりか
1180年、源頼朝が由比若宮をもとに鶴岡若宮をつくり、鶴岡八幡宮が誕生しました。1182年には頼朝は妻、北条政子の安産祈願のため段葛を築きました。以来、段葛は聖なる道として神様や神主などが通る道とされてきました。 段葛は12世紀以来、鎌倉という都市の基軸線であり続けています。このような例は世界的にも珍しいと言われています。八百年後の現在も車道と区別され、鶴岡八幡宮の参道として鎌倉という都市のメインストリートとして機能しており、 春は桜、夏はぼんぼり、秋は流鏑馬、冬は正月参拝と四季を問わず、観光客、地元の人をひきつけます。私も段葛を歩くのは大好きですが、段葛を歩くたびに八百年前の神主さんや武士たちが歩いていたことを想像し、神秘的な気持ちになります。
 段葛の道幅は鶴岡八幡宮に向かって近づくほどに狭くなります。私の足で、入り口は約七歩、出口は約4歩です。なぜそうなっているかというと遠近法を利用して軍事上、長い道と錯覚させるためです。 三方を山に囲まれ、一方が海に面している鎌倉は敵が攻めにくい地形なので幕府が開かれたのです。日本で最初の武士による政府が置かれた場所なのです。武士は日本独特の職業です。 そのような意味でも世界の人々に八百年の歴史をもつ武士が考えて造り上げた鎌倉を知ってもらいたいと思います。
 鎌倉はまた、仏教の町でもあります。円覚寺、建長寺など八百年近くたつお寺がたくさんあります。現在イスラエルなどでイスラム教とユダヤ教で意見が合わずに、紛争を繰り返していますが、仏教は戦争とは無縁な平和な宗教です。 先日鎌倉大仏さんの境内で一休みしていましたが、リスを追いかける小さな子どもたち、カメラで写真を取り続ける外国の人たち、真剣にお祈りをしているお年寄りたち、と様々な人々を見かけることが出来ました。 実に平和で、国際的な感じがしました。境内は実際少し狭いのですが、ある意味で広いと思いました。何故、広いかというといろいろな国、年齢層、職業の人々をつつみこむ仏教の懐の広さを感じたからです。 そうした意味でも鎌倉は世界遺産に登録されるべきだと思いました。
 私も鎌倉市に住んでいますが、近頃、マンション建設を地元の人々の署名で取りやめにすることが出来ました。鎌倉市民は歴史、緑、美しい景観を守ろうという人たちだとわかって嬉しく思いました。 世界遺産に登録されれば、署名運動をしなくてもマンションなどが建たず、この武士が造った八百歳の鎌倉という歴史的な都市を次世代に残していけるのではないかと思います。 鎌倉のたくさんのお寺も次世代に残していけたら、仏教の懐の深さで平和な世の中を維持していけるのではないかとも思います。三方を山に囲まれ一方が海に面している鎌倉  源頼朝が選んだように世界の人も鎌倉を世界遺産に選んでほしいと思います。

「鎌倉八百年の歴史を世界遺産に」

佳作 玉縄中学校 3年 矢墅 旦
鎌倉の街中に、いくつもの社寺がある。そのお寺の多くは、12世紀に建立されたもので、八百年以上の歴史を持っている。鎌倉市の三方を囲む山には、樹齢何百年もの巨木が生い繁っている。
 僕達は、日頃、こうした風景を当たり前のように思い、気にもとめないが、改めて、その長い歴史に思いをはせてみると、日本の歴史にとっての重要な都市に住んでいるものだと思う。
 源頼朝が鎌倉幕府を開いたのは、約820年前の1192年であり、石清水八幡の神体を勧誘して鶴岡八幡宮が建立された。当時は聖なる道とされた若宮大路。 さらに、時期や背景などは謎に包まれているが長谷高徳院の大仏が、13世紀に建立されている。鶴岡八幡宮の流鏑馬で有名な放生会は、当時から催されていたもので、今日まで受け継がれ、いまでも多くの人を集めている。
頼朝が歩いたであろう若宮大路を歩き、八百年前の鎌倉の人々が集まり見守った矢の行方は今も楽しめ、平城京や平安京と並ぶ当時の首都であった事を示す大仏は、今も長谷に座っている。 当時の人々と僕たちが同じ場所に身を置いて、同じ感動を味わっている、という事は、とても素晴らしく、誇りに思える事ではないだろうか。
 現在、ユネスコの世界遺産の登録件数は、今年、新たに13件が加わり、七月時点で合計890件あるが、日本は原爆ドームなど14の世界遺産がある。
 世界遺産に登録されると、景観や環境の保全が義務づけられている。このため一回登録された都市が、都市開発や生活環境改善などのためでも、景観が変わるような工事は勝手に出来ない。 リストから除外されるというような例さえある。世界遺産の登録が観光地の商品や、お墨付きという効果があることも事実である。日本の場合、白川郷は登録によって、それまでの年間60万人ほどの観光客が150万人にも急増したという。
 鎌倉の場合、どうだろう。すでに十分観光地化されている中、さらに観光客が急増した時、それに対応できる、あらゆる面での準備は可能だろうか。一方で登録には社寺や自然環境の保持という面では、効果が期待できる。 いまでも、土地開発が、虫喰い状態で進められ、樹齢何百年もの巨木が無残にも切り倒されている。鎌倉の世界遺産登録はそのような事に歯止めがかかるのではないだろうか。
 世界遺産の登録という事は、鎌倉という街が、世界から監視されるという事である。まず、住んでいる僕達が、どれだけ歴史を大切にし、自然保護に努め、自分の街に誇りを持つかが、何よりも重要だと思う。 自分が感動しなければ、外国人が感動する事はないだろう。「武家の古都・鎌倉」の世界遺産登録への道は、僕達への問いかけになると思う。

「鎌倉八百年の歴史を世界遺産に」

佳作 横浜国立大学教育人間科学部附属鎌倉中学校  3年 竹村 和樹
鎌倉生まれ、鎌倉育ち。この歴史や文化、山、海という自然に囲まれた中で育った事は、自分にとってちょっとした自慢でもあり、誇りでもあります。
 源頼朝が築いた鎌倉幕府の名残りある地を通学しながら日々の季節の移り変わりを肌で感じています。春は何といっても桜。八幡宮につながる段葛は、桃色一色です。鎌倉まつりは地元の人と観光に訪れる人と桜の中で一体になれるお祭り。 自分は剣道部に所属していて、菖蒲祭という奉納試合も印象的です。あじさいの後にはぼんぼり祭や螢まつりでちょうちんの中浴衣姿の人達が見て歩く様子は、鎌倉ならではのしっとりした風景です。 それと対照的に海では多くの海水浴でにぎわい、太陽でキラキラ輝やく海は開放的でウキウキした気持ちにさせてくれます。秋は紅葉で一気に山の色が変わり、いちょうの下で銀杏を拾う多くの人を見かけます。 それに加え、昔から伝えられ続けてきた伝統文化、流鏑馬や薪能などが古都の雰囲気をかもしだします。冬には除夜の鐘をついたり初詣に行ったりと新年を迎えて、せわしなくなります。
 そんな静と動の二つの顔を持った鎌倉。そして、多くの文士達もこの地を愛しました。大佛次郎、川端康成、小林秀雄、立原正秋など…。何故そんなに多くの人が訪れ、住みたい場所の上位にあがるのか? それはこの地が景観を大切にし、古いものと新しいものをうまく混ぜて取り入れているからだと思います。そして何よりも住んでいる人がこの地を愛し、大切にしようという気持ちの人が多いからではないでしょうか。
  2006年7月24日に鎌倉世界遺産登録推進協議会会長である養老孟司、東京大学名誉教授は講演の中で 「実生活の中に歴史を活かしていくのは、住む人々の意志が『市民』を生む」 すなわち世界遺産にするということは鎌倉市民が自分の住んでいる土地にどれくらい責任を持つかという話だと自分は解釈しました。ですから住民である自分達が世界遺産にする自覚を一人一人が持ち、 街を維持していく為にはそれにふさわしい景観づくりや環境に配慮しなければならないと思います。
 それでは、自分にできることは何かと考えた時に、ビーチコーミングをしたり学校でポスターを作成し、環境への配慮の呼びかけをしたりと自分から皆に世界遺産登録に対しての関心をもってもらえるような活動に積極的に参加することだと思います。
 大仏や寺院といった鎌倉の文化以外からも、鎌倉の良さを見つけてもらえることを目指していきたいと思います。

「鎌倉八百年の歴史を世界遺産に」

佳作 横浜国立大学教育人間科学部附属鎌倉中学校  3年 中野 茉莉花
今から八百年も前、源頼朝がここ鎌倉に幕府を開いた。山を切りくずして道を作り、お寺を建て、日本の国作りを始める土台を作った。そんな場所に今、私達が住んでいる。武士が腰に刀を差し、堂々と歩いた道を毎日歩く。 普段の生活の中に昔の面影がまだ残っている。そのことを私はすごいことなんだと、この作文を通じて改めて思い知った。
 私が鎌倉の魅力にひかれていったのは、中学校に入学して、本格的に歴史を勉強し始めてからだった。歴史に関する資料を開けば必ず鎌倉に関することが見つかった。通りを歩いていて、右へ行っても左へ行っても、 「○○寺この先○メートル」  というような看板がいくつも見つかった。興味を持ったお寺に入ったとき、資料にのっていたものなどの本物を目にすることができた。このような体験が積み重なって、私は歴史好き、鎌倉好きへとなっていった。そんな私にある機会がおとずれた。
 中学校の2年生から3年生になる間の春休み、部活の練習があった。私は陸上部に所属しているので学校のグラウンドを陸上専門のスパイクをはいて走っていた。このスパイクには底にピンがついていて土をけりやすくする役割があった。 そのピンが土の中の何か固いものにぶつかった。丁度私は走っているところだったので、体勢がくずれ足が止まった。取り除こうと思い、周りの土をどけていったがなかなか全体が現われず、取ることができなかった。 先生にお願いして、どけてもらおうと思った。シャベルで掘り進めていくと、少しずつ見えてきた。その時そばにいた後輩がこう言った。
「もしかしたら、鎌倉時代のものがでてくるかも!ここ前は頼朝の家の跡地だったから、でてきてもおかしくないですよね?」  と。その瞬間、私はドキドキした。本物を自分の手で見つけることができるかもしれないと思ったからだ。それからは先生の動きが気になって、少しずつしか見えてこないことにはやる気持ちをおさえきれなかった。 5分後、でてきたものは八百年前の物かどうか分からないような大きな石だった。少し残念だった。けれど、久しぶりにドキドキすることがあって、おもしろかった。それはとても不思議なでき事に終わった。
私はこのでき事をきっかけにドキドキする場所があることは、大切なことだと思った。そして、鎌倉が世界遺産になって、多くの人がドキドキできたら、とてもうれしく思う。鎌倉には映画館も、大きなショッピングセンターもない。 けれどそんなものがないから鎌倉には昔の面影があるのだと思う。私は多くの人にそのことを知ってもらいたい。だから私は、世界遺産登録を強く願っている。

「鎌倉八百年の歴史を世界遺産に」

佳作 鎌倉女学院中学校 1年 梶原 夢華
八百年の年月(とき)を経て、今鎌倉が世界中の注目を集めようとしています。
 鎌倉では、世界遺産登録に向けての準備が進められているからです。武家の古都である鎌倉は、三方を山に囲まれ、一方が海という自然の地形を上手く利用した要害となっています。 当時の「鎌倉」でどのような守りをしていたのか、また、町づくりをしていたのか詳しく知りたくなりました。そして、地形だけでなく、このような当時の人々の生活や、「鎌倉」が八百年の歳月を経て、どのように発展してきたのかを世界の人々に向けて発信したい、と思いました。 これが「サムライ」のはじまりとして、世界遺産に登録されるといいな、と思います。
 現在の鎌倉といえば鶴岡八幡宮や若宮大路がまっさきに浮かんできます。私はこの周辺を歩くのが好きです。春は、若宮大路を飾る桜の色と香りを楽しむことができ、夏にはアジサイの美しい色を観賞することができます。 秋の鶴岡八幡宮では、大イチョウが、冬には、最近はあまり見られませんが、一面の銀世界が体感できます。でも、現存する歴史的な資料をもとに、当時の人々の生活や、当時の鶴岡八幡宮や若宮大路周辺はどのような使われ方をしていて、 どのような様子だったのかなどということを「CG」で再現した映像を見ることができたら、観光をした時の楽しさが増すのではないかと思います。
 世界遺産登録の候補の一つに「切通」があります。この場所はかつて、戦などの非常時の守りなどに活用されていたそうです。当時、どのような方法で道をふさいだりしていたのか、などということを想像すると、当時の人々はすごいな、と改めて感じさせられます。
鎌倉の世界遺産への登録に向けて、日本の武家政治のはじまり、そして鎌倉が武家の古都であるということが外国の人々が見ても理解できるように、さまざまな資料や建造物を保存しておくことがとても重要なことだと思います。
 例えば、「御恩」と「奉公」については小学校で学習しましたが、そのような、日本独自の風習を、現存するさまざまな資料を見て、世界中の人々に理解してもらえるような日が来たらとても素晴らしいことだな、と思います。
 そして、世界遺産として多くの人々に鎌倉に関心を持ってもらい、鎌倉の魅力を伝えられると思います。

「鎌倉八百年の歴史を世界遺産に」

佳作 鎌倉女学院中学校 1年 川人 晴香
「1192(いいくに)つくろう鎌倉幕府」  誰もが知ってる、代表的な年号ごろ合わせ。リズムがよく、私でもすぐに「鎌倉幕府成立は1192年」と覚えられた。1192年は、今から約八百年前。“八百”という数字に、あまり実感がわかなかった。 でも、ひいおばあさんのひいひいおばあさんのそのまたひいおばあさんの  。とてつもなく昔だということは分かる。  そんな大昔の古都鎌倉は、一体どんな文化が栄えていたのだろう。
 私は横浜市に住んでいる。学校は鎌倉市内だが、実際私は鎌倉をよく知らない。今私は、鎌倉のことをもっと知ろうと努めている最中だ。ここは観光スポットが沢山ある。最近私は、私の知らない鎌倉を見つけるようになった。
 この間、友人達と鎌倉散策をした。休日だったので、鎌倉は観光客でいっぱいだった。その人ごみに圧倒されつつも、私達は目的地・銭洗弁財天へと向かった。大通りをぬけて別の道に入ると、突然、別世界に入ったような気がした。 深緑の葉、真っ青な空、様々な木々に覆われる山々。小鳥がさえずり、虫は甘い香りにさそわれ、花の周りを飛び回っている。ここが鎌倉。昔から変わらず、生き物がのびのびと暮らし、自然あふれる場所が今も残っている。
「こんな所があったんだ……。」
 鎌倉の道は、私の心と汗ばんだ肌に新鮮な風を吹きこんでくれた。
 銭洗弁財天にはこんな話がある。
 源頼朝は、鎌倉に幕府をおいてから、日夜神や仏に祈って、人々の命を救おうとしていた。ある日の夜中、夢に宇賀福神と名乗る一人の老人が現れ、頼朝にこう告げた。
「お前は人々のために何年も心配してきた。自分はお前の真心に感動したので、ある泉をお前に授けよう。」
 夢から覚めた頼朝が、お告げの場所を探らせると、これまたお告げの通りの泉があった。頼朝は社を建て、宇賀福神を祭った。そして泉の水を運び、社に供えたので、天下はしだいに治まり、人々は安楽な日々を送れるようになった。
 この話が事実という証拠はどこにもないが、頼朝が民のことを思っていたことに偽りはないだろう。今の時代も、このような頼朝の心は大切にしなくてはいけないのではないか。私は頼朝の思いを深く心に刻み、鎌倉散策を終えた。
 私が新しく取り入れた知識はこのくらいだ。まだ全然知識は足りないが、私は今も皆に愛されている鎌倉がすばらしいと思う。鎌倉が世界遺産になると、世界中の人々に鎌倉の美しさが伝わるだろう。私は、願っている。
「1192(いいくに)広がれ、鎌倉幕府。」

「鎌倉八百年の歴史を世界遺産に」

佳作 鎌倉女学院中学校 1年 佐藤 里南
私の母は鎌倉育ちで、小中学生時代は段葛を通って通学したそうだ。そして私は今年の春から鎌倉の中学校に進学した。
 私にとって鎌倉は幼い頃からよく訪れる馴染みのある町で、横浜に住んでいながら八幡宮はお宮参りから始まり、七五三、毎年の初詣でとまるで地元の神社のような親しみを感じほっとする所である。
 鎌倉は海と山に囲まれた緑が豊かな所で、武家の時代から残る独特で味のある佇まいの寺社があり、それらの庭には四季折々の草花が彩られている。 しかし、それにはどことなく幕府や三代で滅んだ源氏、各地に塚と呼ばれる戦や一家惨殺の跡も残っているなど、暗い影の様な面もあると思う。
 建設現場地中から何かが出土して工事が中断されるということも耳にする。今でも何百年も前の遺跡が足下に眠っているのだ。
 鎌倉は華美で目立つものはないけれど、八百年前から変わらない山々の色や風がとても居心地の良いものに感じられる。
 今、鎌倉で学生時代を過ごす私も鎌倉の良さを大切に思っている人々の気持ちに共感し、世界遺産にしてずっと先の未来へ伝えていきたいと思った。
 そもそも世界遺産というのは、地球の生成と人類の歴史によって誕生し、過去から未来へと引き継ぐべきとされている貴重な遺産のことである。
 1192年に源頼朝が鎌倉幕府を開き、1333年に幕府は滅亡したが、その後、時代の表舞台からは姿を消しても鎌倉は静かに時代を刻んでいたのだろう。
 八幡宮は徳川幕府からの信仰も厚かったと言う。昭和期には鎌倉文士と呼ばれる数多くの文豪にも愛された。時代は移り変わろうと、鎌倉は鎌倉の色を失わずにあり続けている。
 現在ここに暮らす私達も風情ある寺社や町並を大切に残し、武家の古都鎌倉を世界にも伝えて行きたいと思う。居心地の良い自然と調和した景色は変わることなくありつづけてほしい。 時代を越えて存在し続け、時の流れを重ねて出来た街であるからこそ変えてしまっては二度ととり戻すことはできないのだから。
 母がそうであった様に、この先学校を卒業して、他の土地で暮らすことになっても今と変わらない空気を吸いに来られたらよいと心から思う。
 2007年には、世界遺産登録を目指し、国指定史跡として23ヶ所をあげ、武家の古都鎌倉MAPを作ったそうだ。
 私もこれからもっと鎌倉を知り、鎌倉の様々な姿を見て、美化や気持ちの良い世界遺産に相応しい街づくりに参加して行きたいと思っている。

「鎌倉八百年の歴史を世界遺産に」

佳作 鎌倉女学院中学校 1年 白川 由衣
鎌倉と奈良や京都を比べて考えてみました。鎌倉は昔、武士を中心として発展し、奈良や京都は貴族を中心に発展したので、元々の考え方などに違いがあると思います。
 鎌倉は鎌倉で良いところを持ち、他の場所は他でその地域でしかできないような良いところを持っているので、鎌倉の良いところをもっと鎌倉にだせば良いと思います。例えば鶴岡八幡宮のような大きく、歴史がある神社は代表的だと思います。 また、江ノ島電鉄に乗った人がもっと鎌倉の景色を楽しんでもらえるようにして、きれいな海の美しさなど鎌倉の自然を、観光客の人達だけでなく、私達のような通学してくる人に知っているようで知らない鎌倉を見せてあげると、鎌倉に笑顔があふれるのではないかなと思います。
 鎌倉の歴史についても考えてみました。鎌倉時代は貴族に代わって武士が勢いを持ってきた時代なので、文化も平安時代と違って、華やかな貴族風の文化から簡素でしかも力強い武士の気風に満ちた文化がつくられていきました。 また、鎌倉時代の初めには宋との貿易が盛んに行われました。さらに、水墨画やお寺の建物に中国風の建築や焼物の技術やお茶などが広まって、この文化をつくりました。
 鎌倉を中心に発展させた人物は源頼朝です。彼は守護と地頭をおき、さらに征夷大将軍にも朝廷から任命され、将軍と御家人の領地を仲立ちとした主人と家来の関係の封建制度という制度をつくりました。 その他にも、政所や問注所、侍所や六波羅探題といったような、今までにはなかった新しいしくみがつくられました。
 鎌倉の歴史をふり返ると、とてもすごいなと感動しました。なぜなら、今まで京都や奈良で発展していた場所を鎌倉に移し、さらにそこから新しい文化までつくりあげていったからです。
 このように考えてみると、鎌倉には鎌倉でつくられた文化があり、さらに美しい景色やお寺、神社があるので歴史がたくさんつまったすばらしい地だなと思いました。ですから、鎌倉を世界遺産に登録した方がいいと思います。 たとえすぐに世界遺産に登録されなくても、すばらしい鎌倉を常に大切にする心があればきっと良い結果につながると思います。
 いつか鎌倉が世界遺産になり、観光客が増えてきれいな景色や深い歴史をもっといろんな人に知ってもらい、感動されるそんな鎌倉になってほしいなと思います。

「鎌倉八百年の歴史を世界遺産に」

佳作 鎌倉女学院中学校 1年 長井 理沙子
私の母は鎌倉出身で御成小学校に通っていました。そのようなこともあり、幼い頃から鎌倉を訪れる機会が多くありました。鎌倉女学院中学校に通い始める前までは私の中での鎌倉の印象は「静」よりも「動」というイメージが強くありました。 なぜなら、鶴岡八幡宮や大仏などのお寺や神社があって、観光客が多かったからです。
 でも、中学生になり、鎌倉に毎日のように通学するようになってから、鎌倉という街に対してのイメージが少しずつ変わってきました。今までは、「静」よりも「動」というイメージの方が強かったのですが、「静」という部分もあるように思えてきました。 確かに由比が浜や鶴岡八幡宮などは、多くの人がいて、「動」ととらえてしまうのは仕方がないことです。でも、そのような「動」の奥の奥に、「静」があるのではないか、と私は思ったのです。自然があふれる鎌倉には、どんな「動」の中にも「静」があるのです。
 そう思えば、由比が浜にも、鶴岡八幡宮にも、「静」があるような気がしてこないでしょうか。たとえば、由比が浜。スーっと広がる水平線。その平和、平穏さに、「静」というイメージが、わいてきます。鶴岡八幡宮もそうです。 鎌倉八百年の歴史、それ以上生きている大銀杏。実朝暗殺を目の前で見ていた大銀杏が、今でも鎌倉を臨むように立っているのです。その偉大さに「静」を感じました。一歩、山に入れば、空気は澄みきっていて、湧き水が流れ、鳥の鳴き声が聞こえてきます。 「静」の中の「静」の世界が、ゆったりと広がっています。
 そんな、人間がつくれない「静」がある鎌倉は、街も山などの自然も世界遺産にふさわしいと思います。人工的な「動」しかないような時代に、人間が絶対につくりだすことのできない「静」を今日まで維持しているのは本当に素晴らしいと思いました。 都会では味わうことのできない「静」を感じることができるのです。
 確かに、今は、八百年前とは全く違うし、時代の流れや文化の変化もあると思います。もちろん、八百年前と同じにするのは、難しいことです。 でも、鎌倉の古き良き空間や景観、歴史、文化など、現在、ほとんど感じられなくなってしまった、人間にはつくりだすことができない「静」の雰囲気を持っているこの地を、守り続けてゆきたいと思います。

「鎌倉八百年の歴史を世界遺産に」

佳作 鎌倉女学院中学校 1年 西川 友紀子
私は横浜に住んでいます。今、横浜は『横浜開港百五十周年』というイベントで盛り上がっています。横浜の歴史は百五十年ですが、鎌倉の歴史は八百年です。このように歴史のある鎌倉は、世界遺産へ登録されようと活動しています。そのテーマは、『武家の古都・鎌倉』です。
 私は、鎌倉が世界遺産に登録されるためには次のようなことが大切だと思います。
 まず、鎌倉の象徴である寺社を保存し、後世に伝えていくことが大切だと思います。世界遺産の候補として24件が挙げられています。その中に、鎌倉女学院の近くにあるものがいくつかあります。例えば、鶴岡八幡宮や若宮大路があります。 そのほかに有名なものとして、建長寺や円覚寺、鎌倉大仏などがあります。これらの寺社を保存するためには、多くの資金が必要となります。そこで、民間の人々で協力し、募金活動などを行ったら良いと思います。 また、人々が寺社を大切にあつかい、傷つけないようにすることも必要だと思います。
 次に、自然保護が大切だと思います。鎌倉には、切通しがあります。切通しは鎌倉時代に武士が使っていた道です。現在も、当時のまま残っています。私は、小学六年生の社会科学習で切通しを見ました。 切通しは、急で細い道でした。鎌倉時代の武士が自分の領地である鎌倉を守ろうとした強い意思が感じられました。この鎌倉時代から続いている切通しを保存するのは非常に大変だと思いますが、後世に伝えるために努めていけば良いと思います。 それができれば、世界遺産登録への道が見えてくると思います。
 また、寺社や切通しなどの歴史に関する物だけではなく、町の景観もきれいにする必要があると思います。私は、学校の行き帰りにボランティアの人たちが若宮大路を掃除している姿を見ます。この光景を見て、鎌倉市民が鎌倉を大切にする気持ちが分かりました。 私も、鎌倉女学院の生徒として、このようなことを見習い、少しずつ実行できたらいいなと思います。
 そして、鎌倉のすばらしい寺社や自然、景観を世界へアピールすることが、世界遺産登録への道で、一番大切だと思います。私にできることは、鎌倉の歴史や自然を勉強し、一人でも多くの人に、鎌倉のすばらしさを伝えることだと思います。 私のような気持ちの人が増えていけば、世界遺産への登録は近いと思います。

入賞者表彰式・発表会

表彰式集合写真

     日時:平成21年12月12日(土)10時〜11時30分

     場所:鎌倉市議会 本会議場

次第

1.主催者挨拶

石井英明  鎌倉市青少年指導員連絡協議会会長

  

2.表  彰

 
  

3.来賓祝辞

   松尾 崇  鎌倉市長

     

赤松 正博 鎌倉市議会議長

 

4.選考講評 

三木 卓  選考委員長

 

5.発  表

最優秀賞・優秀賞計6名による作品朗読発表


表彰式・発表会の様子

表彰
表彰
市長式辞
市長祝辞
市議会議長式辞
市議会議長祝辞
審査委員長講評
審査委員長講評
     
発表1 発表2 発表3
発表4 発表5 発表6

作文コンクール応募者

          第1中学校:65名
          第2中学校:52名
          手広中学校:24名
          大船中学校:16名
          岩瀬中学校:8名
          玉縄中学校:63名
          横浜国立大学教育人間科学部付属中学校:156名
          鎌倉女学院中学校:171名


第3回 鎌倉世界遺産登録推進に向けての
中学生作文コンクール 作品集
「鎌倉八百年の歴史を世界遺産に」


発 行  平成22年2月
発行者  鎌倉市青少年指導員連絡協議会
主催  鎌倉市青少年指導員連絡協議会
    鎌倉世界遺産登録推進協議会
共催  鎌倉市
後援  鎌倉ペンクラブ
    鎌倉市教育委員会
    鎌倉市立中学校校長会


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