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目 次 |
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作品集発行にあたって | ||
最優秀賞 | 安部 萌 | |
優秀賞 | 佐藤 茉那 | |
高橋 美帆 | ||
渡邊 香里 | ||
佳 作 | 大平 純造 | |
吉村 成美 | ||
松岡 実穂 | ||
三浦 明莉 | ||
山崎 理世 | ||
徳永 万由子 | ||
小杉 啓太 | ||
選評 (審査委員長) | 三木 卓 | |
表彰式・発表会 | ||
応募者概要 | ||
作品集にまとめるにあたり、一部の年号標記等を漢字から数字にあらためさせていただきました。 |
第4回中学生作文コンクールの入賞作品集発行にあたって鎌倉市青少年指導員連絡協議会 会長 石井 英明4年前にまったくの手探りで始めたこの作文コンクールも、鎌倉市役所・鎌倉市議会・鎌倉市教育委員会・鎌倉世界遺産登録推進協議会・鎌倉ペンクラブ・鎌倉市立中学校校長会、
および選考委員の諸先生方のご支援・ご協力、そして何にも増して4年間で延べ2,000名を超える応募を頂いた、市内の中学生の皆さんの熱い気持ちに先ずは心からお礼を申し上げます。
鎌倉が国の暫定リストに載って早や19年が経過し、鎌倉の世界遺産登録に向けた活動は、ユネスコの審査基準の強化の前に極めて厳しい局面に迫られていると言っても過言ではありません。 そのような状況の中にも拘らず、表彰式での選考委員長の三木卓先生の講評のお言葉をお借りすれば、今回も531名もの中学生の皆さんが自分の居場所をしっかりと定めて、 鎌倉の世界遺産登録というテーマに真っ正面から向き合って、それぞれの思いと考えを素晴らしい作文に仕上げてくれました。残念ながらこの作品集には入賞した11篇しか掲載できませんが、 あとの520名の皆さんとも私は一人ひとり、心を込めて握手を交わしたい気持ちでいることを是非お伝えしておきたいと思います。 鎌倉の世界遺産登録も今年から来年にかけていよいよ正念場を迎えることになりそうです。登録実現を信じて已みませんが、もし不成功に終ることがあったとしても、世界に誇る貴重な素晴らしい「武家の古都 鎌倉」の文化遺産が存在することはまぎれもない事実です。 そして、この作文コンクールに応募してくださった中学生の皆さんは、世界遺産登録の結果如何に拘らず現存する「武家の古都 鎌倉」の貴重な文化遺産を、次の世代に大切に引き継いでくれる大きな力になってくれるものと確信しています。 また、この若いエネルギーを無駄にしないよう、より多くの市民がもっともっと鎌倉の世界遺産登録に関心を抱き、実現に向けて一層ご協力下さることを願っています。 「鎌倉の世界遺産登録について思うこと」横浜国立大学附属鎌倉中学校 3年 安部 萌
中学二年の夏、私はここ附属鎌倉中学校に転校してきた。歴史的にも観光地としても有名な鎌倉に、毎日心躍る思いで通学している。それまでは、蔵王山や白鷹山など周囲を美しい山々に囲まれた山形市という自然豊かな地に暮らしていたが、
鎌倉の緑の深さ、自然の美しさ、豊かさには感動を覚えた。そして何よりも、ここには万人を受け入れてくれる寛容な温かさがある。
その鎌倉が、世界遺産登録を目指しているという。私はこれに賛成だ。 鎌倉は、鶴岡八幡宮を筆頭に、建長寺、円覚寺、長谷寺など歴史的建造物が多く残り、正に日本の歴史が息づく街だ。これらの神社、仏閣は、日々観光客があふれているにもかかわらず、凛とした清らかな空気を漂わせている。建物だけではない。 日本史の中でもこの地は多くのエピソードを残してきた。武士が初めて実権を握った時代は鎌倉に始まった。「平家物語」は正にその鎌倉時代の平家と源氏の戦いを描いた超大作だ。この物語には日本人の感性が凝縮されていると私は思う。 そんな歴史が実際に刻まれたこの地で、生きた学習ができていることは、私にとって素晴らしい財産となっていくだろう。 そのようなことが背景となっているのか、鎌倉という地には芸術家のインスピレーションをかき立てる力があるように思う。近代日本文学の巨匠、芥川龍之介、ノーベル文学賞受賞者の川端康成、井上ひさしをはじめ多くの文学者が鎌倉に暮らし活動してきた。 「鎌倉文士」という言葉が存在するのはその為だろう。他にも漫画家の横山隆一や日本画家の平山郁夫など芸術文化にたずさわる人々の名前が次々に思い浮かぶ。 パリ、ニューヨーク、フィレンツェなど世界には芸術家を惹きつける都市がいくつかある。例えばオーストリアのウィーンは音楽の都と言われるが、実は、ウィーンで生まれた作曲家は少ない。ウィーンには遙か昔から世界中から芸術家が集まっていたのだ。 鎌倉も同じように芸術家を惹きつけ、創作意欲をふるいたたせる街なのだろう。 このように、鎌倉には「日本」をリアルに感じさせ、芸術文化を育む限りない魅力がある。だからこそ、私は鎌倉を世界遺産として登録するべきだと思う。 登録が実現すれば今以上に世界中の注目を浴び、観光客は増加し経済的利益は増すだろう。しかしそれに伴い、環境の悪化など多くの負の遺産も生まれるに違いない。 しかしこのようなデメリットを恐れて登録への歩みを止めてはいけない。「日本人の感性」を世界に発信するためにも、また日本人自身が自らの感性を再認識するためにも、登録が実現することを望んでやまない。 今年三月、約十世紀もの間鎌倉の歴史を静かに見守ってきた大銀杏が倒れた。復活を願う人々の祈りが届いたのか、八幡宮の境内では今、夏の日差しを浴び、大銀杏の命を引き継いだ若い芽が力強く枝を伸ばし、葉を茂らせている。 この街も八幡宮の銀杏のように新たな一歩を踏み出すときではないだろうか。 鎌倉の世界遺産登録が、鎌倉、そして日本に新しい風を吹かせてくれることを、私は心から期待している。 「鎌倉の世界遺産登録について思うこと」鎌倉女学院中学校 1年 佐藤 茉那
私は、鎌倉の遺産を未来に引き継ぎ守っていくために、世界遺産登録を推進することは、とても大切なことだと思います。しかし、登録は難しい道のりだと聞きます。それを実現させるために、私たちがすべきことは、まだまだたくさんあるはずです。
そこで、世界遺産登録の条件について調べてみました。世界遺産に登録されるためには、国別の暫定リストに載ることが、実現への第一歩といわれています。 先日あるニュースで、「古都鎌倉の寺院・神社ほか」は、リストに載ったまま他の候補に次々と先を越され、18年目を迎えたことを知りました。 鎌倉がリストに載ったのは、1992年です。通常は記載後、地元を中心に準備し、条件が整った候補を文化庁がユネスコ世界遺産委員会に推せんし、様々な調査を経て世界遺産に決まります。 過去に文化庁が推せんした候補の大半は、世界遺産になりました。鎌倉より後から推せんされたものも、次々と念願の登録が実現されています。しかしながら、鎌倉はずっと取り残され、第一段階から先へ進めずにいます。 そこで、なぜ足踏みが続いているのか、考えてみました。その理由として、ユネスコの登録条件が厳しくなったのに加え、「鎌倉は京都や奈良に比べ価値のある建造物が少ない」と評価を受けていた事があげられます。 このような評価に対して鎌倉市は、コンセプトを単なる古都から「武家の古都」に変えました。そして、武家政権が置かれた最古の都市として、仏教などの文化や、切通など独自の景観があることを強調しています。 これらの鎌倉市の一連の取り組みは、かなり市民や地域に根付いてきているように思えます。しかし、市民をはじめとする、外に向けてのPRや市民の心構え・自覚は、まだ不足しているのではないでしょうか。 その証拠に、今でも駅や観光地での混雑や汚れが解消されていないことがあげられます。 鎌倉市は、来年1月のユネスコへの推せんに向け、文化庁に強く働きかけるというニュースを見ました。そのとき大切なのは、学校や地域を巻き込んだイベントや活動をさらに強化し、世論を高める活動を実行していくことだと思います。 また、交通機関や施設、標識などを整備するプランをもっと具体的に示す必要があります。 その一方で、鎌倉で生活する私たちは、各自が広告宣伝マンとなって、世論を盛り上げるための一翼を担い、私たちができること、例えば、世界遺産登録にふさわしい環境や風景を維持するためのゴミ拾い活動などを、 学校単位で組織立って取り組まなければならないと思います。 800年の歴史を持つ武家の鎌倉には、世界遺産に値する価値があるのですから! 「鎌倉の世界遺産登録について思うこと」鎌倉女学院中学校 1年 高橋 美帆
鎌倉は今、世界遺産登録に向けてさまざまな面で頑張っています。そして私もそれを応援したいと思っています。その理由は三つあります。
一つ目は、毎日学校に通う中で、鎌倉に住んでいる方が鎌倉を愛し、大切に思っているんだなと感じる場面に出会うことです。その場面とは、何人かの方が集まっておそろいの作業着を着、ゴミ拾いをしているところです。 ここからは私の推測ですが、わざわざおそろいの作業着を着ていることから、きっと一回きりではなく何回かゴミ拾いをして下さっているのかもしれないと思ったのです。さらに、調べてみると鎌倉はナショナルトラスト発祥の地であり、 古都保存法が制定されたのも鎌倉で起きた市民運動によるそうです。このように鎌倉は町のみなさんの思いが素晴らしい所なのです。 二つ目の理由は、鎌倉は日本を知る上でとても大切な「人類の歴史の重要な段階を示すもの」であるということです。鎌倉は奈良・京都と並ぶ日本三大古都の一つであり、日本の文化はこの三つの古都で生まれたものが基本となります。 そのため、日本の歴史を知るには欠かせない場所として鎌倉が挙げられるのです。 三つ目に、鎌倉は武家政権都市としての遺産が残っている日本で唯一の所だということです。しかし、武家が自らつくった初めての政権都市は鎌倉ですが、武家が自らつくった政権都市なら鎌倉の他に江戸があります。 江戸の遺産はもう残っていないのでしょうか。江戸は大震災や第二次世界大戦によって被災した上に、日本の首都である東京がおかれ、近代都市へと変わっていってしまったのです。そのため、今ではもうほとんど重要な遺産が残っていません。 だからこそ、唯一残っている鎌倉の遺産を保護するためにも世界遺産に登録するべきだと思います。 しかし、世界遺産に登録されれば良いことだけがあるとは限りません。観光客が増えて渋滞が起きたり交通に何らかの形で影響が出たり、ゴミが増えたり、大切な遺産が傷つくこともないとは言えません。 それでも、このような問題をかかえながらも登録されればこの重要な遺産を後世に残すことができるのです。ただ、世界遺産に登録するということは鎌倉市民だけでなく、日本に住む全ての方々そしてユネスコと、広い範囲の方々に納得していただかなければいけません。 そのためにこういった問題点をどのように解決していくのか具体的に示すのはもちろん、さらに鎌倉をきれいであたたかい町にしていく必要があると思います。 いつまでも「武家の古都・鎌倉」であるように、世界遺産に登録できるよう、私も自分にできることはどんどん実行していきたいと思います。 「鎌倉の世界遺産登録について思うこと」横浜国立大学附属鎌倉中学校 3年 渡邊 香里
世界遺産は、後世に残していくべき人類の財産だ。それに選ばれるためには、様々な面から見て世界に誇れる町にならなければいけない。
鎌倉は、歴史的・文化的に大きな価値がある。同じ古都である京都や奈良とは一風変わった、坂東の武士の町という雰囲気がある。そんな鎌倉には、歴史的建造物や工芸、自然が多くあり、文化遺産として選ばれるための物的な条件は充分にそろっていると思う。 しかし、それだけで、世界に誇れる町といえるのだろうか。世界遺産として鎌倉が選ばれるためには、私達は一体何をすべきなのだろうか。 私はまず、この鎌倉の自然や地理的条件と歴史を結びつけて世界に訴えることが必要だと思う。約八百年前、何故この鎌倉の地に幕府が開かれたのかということを考えてみると、その理由の一つに、三方が山、一方が海で囲まれているという地理的条件が挙げられる。 これは防衛という視点で見ると、最高の条件である。このように、鎌倉という場所自体が最初から武家政治が盛えるのに適した自然環境を持っていたのだという事を、広く人々に知ってもらうべきだと思う。 そして、その頃まだ発展していなかった関東に、京の都と同じくらい盛える都市を創りあげたのはこの鎌倉なのだという事を、世界に発信していけば良いと思う。 しかし、先にも述べたように、それだけでは真に世界に誇れる町とはいえないだろう。鎌倉という町をつくっているのは、深い歴史や建造物、自然だけではない。鎌倉に住んでいる人々や、人々の精神と行動も、この町の一部だと私は思う。 人々が一体となって、鎌倉を人類の財産としてふさわしい場所にしようと努力する。そして世界遺産として選ばれた後も、世界に誇れる行動を見せる。この事が最も重要だと思うのだ。 具体的に言えば、まずは鎌倉の住民が、誰よりもこの町の事を深く知ろうとするぐらいの気持ちで、鎌倉という地の奥深さを考え、探究しよう。そうして鎌倉という町を愛すことができれば、町を守るために自分がすべき行動も自ずと見えてくるだろう。 そうすれば、鎌倉に訪れた人々にその精神を伝え、後世に残していくことができるだろう。 これらの事を鎌倉に住む私達一人一人が心がけ、実践していけば、歴史、自然、人々のすべてが世界に誇れる町になるはずである。特に、鎌倉に住む人々の精神を世界中の人達に触れてもらい、その美しさを感じてもらえれば、 鎌倉という地域自体がより人類にとって価値あるものになっていくと思う。 私も、鎌倉に住む者の一員として、この町が永遠に人類の宝として多くの人々から愛され続けるように、行動していきたい。 「鎌倉の世界遺産登録について思うこと」第二中学校 1年 大平 純造
今年7月に学校行事で、鎌倉の歴史を調べて発表する機会があった。僕は、鎌倉五山と切り通しをテーマに選び、実際に亀ケ谷坂を扇が谷から建長寺方面へ歩いてみた。
昔の道が通っていた切り通しは、町中に比べると今でも静けさに包まれており、湿気のある甘いような山の匂いが漂っていた。周りの山々や地形は、おそらく鎌倉時代とあまり変わってはいない。
当時の面影を残す場所で、八百年も前に生きた人々が手作業で建設した切り通しを見ていると、歴史の重みのようなものを背中にずっしりと感じることができた。そして、その歴史のかけらを、大切にしなくてはいけないという気持ちが、自然と湧き出てきた。
今鎌倉市では、「武家の古都・鎌倉」をキャッチフレーズに、世界遺産の登録を目指してさまざまな運動を行っている。世界遺産とは、その国や地域に住む人々が誇る貴重な文化財や自然環境で、ユネスコの世界遺産センターやイコモスなどによって指定されるものだ。 これに指定されると、国際的に人類の「たからもの」と認められることになり、世界のすべての人々が保全に努めるものとなる。 僕は、10年ほど鎌倉に住んでいる。とても短い時間だが、周りの環境はずいぶん変わった。かつては山で、大きな木や草でいっぱいだった所が、切り崩されて、今では家が立ち並んでいる。また高い建物が建って、山の景色が見えなくなってしまった場所もある。 古い家がなくなれば、すぐに駐車場ができて、今では町が駐車場だらけになってしまった。せまい辻は、広くなって車が通れるようになった。 このようなことを考えると、これまで鎌倉は誇りを持ってその歴史と文化を大切にしてきたといえるのだろうか。必ずしも、そうはいえないのかもしれない。 それとも、世界遺産に指定されて国際的な「たからもの」となれば、急に誇りをもって大切にし、世界のみんなと保全するよう努力しますとでもいうのだろうか。僕は何だか、逆のような気がする。 岩手県の小さな町に行ったとき、発掘して復元された遺跡、江戸時代に建てられた農家の大きな家などが大切にされており、その町の歴史や文化を説明する小さな博物館もあった。これらの中には、広い公園が作られていて、 いつでも遊びがてら訪れることができる所もあった。鎌倉は、歴史の教科書に出てくる町でありながら、そのようなものはない。だから、鎌倉に住んでいても、「武家の古都」を実感できるわけでもない。 ぼくは、「世界遺産」という「ハンコ」よりも、まずは住んでいる人たちが、鎌倉の歴史・文化・自然を身近なものに感じ、本当に大切にしていこうとする気持ちを広げていく方が大事だと思う。僕も、もっと鎌倉の歴史と文化に対する意識を高めていきたいと思う。 「鎌倉について今考えること」岩瀬中学校 3年 吉村 成美
7月24日の新聞に、「世界遺産の道険しく」という見出しで記事が載っていた。ユネスコの世界遺産審査が厳しくなり、その合格率は二割まで低下しているらしい。その理由としては、世界遺産の価値を下げない為に厳選をしていると書かれていた。
世界遺産登録については、2012年の登録に向けて、候補地の中で様々な準備が最も進んでいるのが鎌倉のようだ。掲げているコンセプトは「武家の古都」。 確かに日本歴史上、大変に意味深いものであり、武家政権都市としては、地形を活かした独自の都市構成を行い、政治的にも経済的にも現代の先駆けとなるものが多く残っている。 鎌倉に住んでいると、この歴史にあふれた都市を当たり前のように歩いているが、歴史的にどのくらい価値があるのかを改めて考えてみると、知らない事ばかりであることに気づく。 そして武家政権や武家文化について理解ができていない事を痛感した。また、禅宗の信仰が厚く、高い教養を身につけた武士の時代である事について知識が乏しく、詳しく説明されないとわかりにくい事に気がついた。 海外の映画などに登場する武士も斬り合いの場面ばかり強調され、武士の精神的な部分まで描ききれていないものがあるのも事実である。 日本で既に世界遺産登録をされている「原爆ドーム」は世界に何を伝えようとしているのか明解であり、世界中の人々に、この出来事を忘れてはならないということを強く訴える力がある遺産だと思う。 世界でも、古代の文明や建造物は、昔に生きた人類が、エネルギーや電気や機械のない中で、どうやって作り活用し、知恵を駆使して生きてきたのかを解明する手がかりとなるものが世界遺産として認められている。いわば、人類の真の能力の高さと 、現在の文明に頼りすぎていいのか?という問題提起を同時にされているようにも感じるものばかりだ。そして、その国の人々はそれらの遺産を誇りに思い、自らの自信にしていると思った。 そこで、鎌倉について考えてみると、「歴史と自然の豊かな所」と漠然としたイメージを持っている人が多い。遺産に認定される事についても、まず日本人がもっと自分の国について知り、世界に誇れる物だと自信を持って言えるようにするべきだ 私自身もまず、鎌倉のどこが素晴らしく、何故世界遺産として認定されるべきかを知るように努力しなくてはならないと思った。また、私が、地球において今まで刻まれてきた先祖が残した足跡を、私達の後の世代に正確に伝えられる人になれたらと感じた。 そして、鎌倉に住んでいる私達も、もっとこの町に興味と関心を向けるべきではないかと思った。 「鎌倉の世界遺産登録について思うこと」鎌倉女学院中学校 1年 松岡 実穂
鎌倉に通学するようになり鎌倉の寺院・神社が世界遺産暫定リストに登録されて20年が経つことを知りました。世界遺産登録までのプロセスや登録基準にも少し目を向けて調べて行くと、
登録には真実性や完全性の条件を満たし適切な保護管理体制をとることが必要なことを知りました。その中で、鎌倉の世界遺産登録についての私なりの考え方を述べていきたいと思います。
古都鎌倉には多くの寺院・神社があり、これらの多くは文化財として国が管理するものとなっています。又、地域の鎌倉の市民が世界へこの価値を発信しようとする動きの中で、 これらの文化財を守り未来へ引き継いでいこうと保護、保全をすべき心を皆が持ち合わせています。又、目に見えるものだけでなく、武家の思想なども日本文化の特徴となっていると思います。 この心は本当に大切で素晴らしいと思います。私もこの心を受け継ぎたいと思っています。 ただ、世界遺産登録にはメリット、デメリットもあることは確かです。これらも少し考えてみました。まずメリットは登録されることで、鎌倉の価値を世界へ発信し理解してもらえることでしょう。そんな街へ通学できることは私の誇りです。 しかし、多くのデメリットが生じることもあります。例えば、今でも実際にある、観光客のいっそうの増加によって、人々のマナーにもよりますが、渋滞やゴミ問題です。また、それにともなう処理費用もあります。 そして、登録にかかったり、維持するのにかかる費用の問題も発生しています。とにかく、対費用として登録問題をどうするかは賛否両論がある事だと思います。 鎌倉はかつて武士の都であり、その意味での古都である。そして、鎌倉時代以来の名所がたくさんあることも古都であることにちがいない。しかし、その言葉の中にはさまざまな過去、歴史があることも学びつつ、 英雄たちの活躍や悲劇もあることを理解し、人々の生きざまの記憶に残る場所を歴史の舞台としての鎌倉にも目を向けた上で鎌倉の歴史的遺産や自然と人々の生活環境が共存できることが一番大切だと考えます。 この街に来ると、何か落ち着く、ホッとする空気の漂う静けさを持ち合わせた鎌倉を世界中の多くの人が感じ、皆で守っていくためには、世界遺産登録をして価値を発信していく必要があるのではないかと思います。 鎌倉から世界へ平和を願う心の象徴として発信できればいいかなと思います。 「鎌倉の世界遺産登録について思うこと」鎌倉女学院中学校 1年 三浦 明莉
私は、「武家の古都・鎌倉」の世界遺産登録を強く希望する。鎌倉は武家政権発祥の地であり、今もその面影を至る所に感じる。なお最も近代の幕府、江戸(東京)は震災や大戦による文化財の焼失が激しく、当時の街並みそのものが残っていない。
また、武士の精神性や文化は、今日も日本人の心のよりどころとして引きつがれていると思う。登録がかなえば、国際都市「鎌倉」として、世界の人々に遺産の保護や文化伝承への協力を求めたい。
日本史上、武家政権は約700年間続いた。その基盤を築いたのは、鎌倉幕府の初代将軍「源頼朝」である。 なぜ頼朝は鎌倉に幕府を開いたのだろうか。鎌倉は三方を山に、一方を海に囲まれているため、守りやすく、攻めにくい地形であった。頼朝は山の尾根の外側を深く切り落とし、断崖にするなどして丈夫な要塞を築いた。 また、「鎌倉七口」とよばれる険しい切通のみ、山間の交通路とした。国の史跡に指定されている「朝夷奈切通」は、東京湾側の良港であった「六浦港」に通じていた。実際に歩いたところ、道幅の狭い道なき道だった。 当時、武装した武士が大挙して通るのは困難だと私は思った。また両側には岩壁がせり立っているが、高見からは敵の来陣が分かったという。この切通は、合戦時は房総への退路となるが、普段はその方面からの物資や六浦でとれた塩などを運んだ。 和賀江嶋は日本最古の築港遺跡といわれ、宋船の入港によって、中国の文化や技術がもたらされた。当時、鎌倉が世界と交流していたことを知り、私は驚いた。 頼朝は、「源氏の神」と崇めた鶴岡八幡宮を中心に家臣の協力を得て、軍事的にも経済的にも強い都市を築いた。私は、頼朝の幕府設立への政治的な思慮深さや行動力に感銘を受けた。 また、大銀杏が倒れた際、多くの参拝者が惜しんだことを知り、いかに鎌倉という街に大勢の人々が愛着を持っているか分かった。実際に私も大銀杏の芽吹きを見て、歴史の重さと生きるエネルギーを感じた。 武家政権が現世にもたらした文化に、仏教がある。鎌倉時代は、南宋の影響を受けた信仰が庶民や武士の間にも広まった。特に禅宗は武士の気風の手本となった。私は実際に、座禅をする現代人の様子を見て、精神統一の境地の由来を知った。 また武士は、主従関係や一族の団結を重んじた。「忠」や「孝」すなわち、礼節や正直、廉恥などの精神性は、「兵(つわもの)の道」と言われ、江戸時代以降の「武士道」となったそうだ。私は鎌倉武士の精神性が、今も日本人の心の美しさとして引きつがれていると思う。 世界遺産登録の意義は、国や民族を越えて歴史や文化を理解、保護し、次世代に伝えていくことにある。800年の歴史を経て受けつがれた鎌倉の歴史的遺産や文化思想を活かし、未来を生きる知恵としたい。 「鎌倉の世界遺産登録について思うこと」鎌倉女学院中学校 1年 山崎 理世
私は、鎌倉の世界遺産登録に賛成です。
鎌倉は、すでに世界遺産に登録されている奈良、京都に並ぶ日本三大古都の一つです。日本の文化はこの三つの古都で生まれたものが基本となっており、鎌倉で育った武家による社会の仕組みや文化も、
鎌倉から全国に広がり、日本人の価値観や行動様式に大きな影響をあたえました。鎌倉は、日本を知ってもらう上で大切な場所です。
また、武家が自ら初めてつくった政権都市鎌倉は、独自の都市構造をもってつくられ、現在までその都市構造を良好に残しています。 武家が自らつくった政権都市は鎌倉と江戸ですが、江戸は大地震、第二次世界大戦によって、近代的東京に豹変しました。鎌倉は、武家政権都市として、歴史的遺産を伝える日本で唯一の場所なのです。 世界遺産登録により、古都として風格を保った鎌倉らしいまちづくりに、明確な理念を持つことができ、より良い観光地を目指すことができるそうです。 世界遺産になることは、良いことばかりではありません。これまで世界遺産になった所では、観光客が増えて、交通に影響があったり、ごみが増えたこともあったそうです。 しかしこうしたことに学び、観光客にマナーを呼びかけたり、外国の人にも分かる案内の看板を作ったりして、様々な人々をきちんと受け入れられるまちづくりを進めていくことが大切です。 また、世界遺産に登録されることは、経済的な面でも大変ですが、そんな負担を負っても、世界遺産になることは、すばらしいことです。 鎌倉は、世界の人々にとっても大切な宝物です。その大切な鎌倉の遺産を未来に引き継ぎ、守っていくために、世界遺産に登録することが必要だと思います。 世界遺産とは、人類共通の宝として守り、未来へ伝えていくために、ユネスコの世界遺産委員会が登録した文化財や自然のことで、登録の目的は、遺産を大切に守り、世界に様々な文化があることを知ることで、互いの理解を深め、平和に役立てることだそうです。 私は、小学5年生の時に初めて鎌倉を訪れました。鶴岡八幡宮や大仏を見た時は、鳥肌がたつほど感動しました。 そんな鎌倉も世界遺産になって、世界中からたくさんの人が訪れ、日本の文化を知ってもらい、理解を深めるきっかけになって、平和のために少しでも役に立つような場所になればいいなと思います。 「鎌倉の世界遺産登録について思うこと」横浜国立大学附属鎌倉中学校 3年 徳永 万由子
鎌倉市はもっと世界遺産登録のために努力すべき、私はそう思います。なぜなら、私は鎌倉市に住んでいますが、日頃から市全体として登録に取り組んでないと感じるからです。
しかし、私は鎌倉に住んでるので鎌倉の良い所も知っています。例えば、歴史ある神社が数多くあることや、古都の雰囲気があるので、来るだけで昔にタイムスリップしたような気分にさせてくれることなどです。 さらに市では、初めて鎌倉に来た人の不安を解消して居心地良く過ごしてもらうために、各所にマップを設置したり、寺社のトイレをきれいに改装したりしています。あと、景観を保つために建造物の高さ制限もしています。 しかし、これらの良い取り組みはまだ駅や、有名な神社の周りでしか行なわれていません。 この状況を、どう思いますか? 私は、観光客は有名な所しか行かないから、そこだけ整備すれば良いという考えがあるとしたら、それは間違っていると思います。 よく、「日本人は目の届かないところまで気を配れる」と言います。これは大切な事だと思います。しかし、今の鎌倉はこの意識が薄れつつあると感じました。 私は、目の届かない所まで気を配れれば、見える所、見えない所、どこへ行ってもきれいな鎌倉が作れると思います。そしてそれによって、市に落ち着きや統一感が生まれて、市民の心もきれい、だからその市民と接する観光客も心地良く過ごせるようになると思います。 これにより観光客のゴミのポイ捨てなども減るだろうし、そうすれば市民も自然に「もっと快適に、より鎌倉を知ってもらうために」と目の届かない所にも配慮するようになると考えました。これは、市民と観光客の双方に大きな良い影響を与える循環になると思います。 市民は、観光客が来る事で鎌倉がどんどん美しく、住みやすくなる事はうれしいと思うし、観光客もやはり気分良く過ごせるので、より落ち着いて鎌倉を知れるようになってうれしいと思います。 他にも、この循環は市全体に登録に取り組むという共通の目標を与えられると考えました。そのことが、鎌倉の活性化や、地域のつながりを強めることにつながるとも思いました。 私は、ただ歴史的な遺産だけで世界遺産に登録する事には、あまり魅力を感じません。それよりも、前述の循環を作って目標に向かって協力し、市民も観光客も全ての人が鎌倉で幸せに過ごせる、そういう町づくりが重要だと思います。 そしてこの努力は鎌倉を更に美しく見せ、登録に近づけると考えました。 私は、この循環を作る力が鎌倉にはあると思っています。 そしていつか、世界遺産に登録して、私の大好きな美しい鎌倉を世界中の人々に知ってもらいたいです。 「鎌倉の世界遺産登録について思うこと」横浜国立大学附属中学校 3年 小杉 啓太
鎌倉市は今、鎌倉の世界遺産登録に向けて活動している。ぼくは、人々の意欲と鎌倉市側の姿勢、それぞれに課題があると思う。鎌倉の世界遺産登録について考えたことを述べたいと思う。
世界遺産の登録には、候補地の登録を検討するユネスコの委員の人にアピールをしなければならない。ここで、鎌倉と同じように、世界遺産の登録を目指している平泉の例を挙げる。平泉は一昨年世界遺産の登録を見送られてしまった。 それは、世界の人々に伝えたいことがはっきりと分かるようなアピールができなかったからだと思う。平泉は世界遺産の候補地を多くしてしまったがために、「浄土思想」という本来伝えるべき内容が薄れてしまった。 このことから世界遺産の登録には、「世界の人々に伝えたいことと候補地との関係」が大切だと思う。鎌倉の場合はどうだろうか。鎌倉にある候補地は二十四箇所。これが世界遺産登録の妨げになっているとぼくは思う。 二十四箇所の候補地はすべて、「武家の古都」を世界の人々の心にとどくに至るまで表現されているだろうか。考え方はたくさんあると思うが、外部の人間であるぼくから見て、候補地を、本当に伝えたい所だけに絞るべきだと思う。 そうすることで鎌倉が世界に伝えたいことである、「武家の古都、鎌倉」の魅力がより強くなり、世界の人々にも鎌倉を分かってもらえると思う。 もう一つ、鎌倉の世界遺産登録に向けて大切なことがあると思う。それは、「人々の意欲」ではないだろうか。ここで、世界遺産の登録を議論する委員の人の立場に立ってみたい。委員はみんな外国人である。 外国の人に「武家の古都、鎌倉」をそのままアピールしても、直接「世界遺産にふさわしいもの」として受けとってもらうことは難しい。だから、人々の「どうしても守りたい」という意欲をアピールすることが重要となる。 世界遺産は後世に残したいものを守るもの。海岸や植え込みに捨てられたゴミを拾う人や通行マナーを守ろうとがんばる人がいることなど、人々に武家の古都、鎌倉を守る動きはたくさんある。 しかし、世界の人々に強い印象を与えるまでには至っていない。これが、委員の「本当に守りたいのか」という気持ちにつながってしまうのかもしれない。だからこそ、このような人が増えることが、人々の意欲をアピールすることにもつながると思う。 鎌倉の世界遺産登録には、より多くの人に武家の古都、鎌倉の魅力と人々の意欲を理解してもらうことが大切なのではないだろうか。 また、登録後は心ない観光客によるゴミの増加や、マナーの悪化もあるので、丁寧な声かけや掲示物を作るなど、モラルの向上を目指していく必要もある。 ぼく自身も日頃から登下校中の通行マナーを意識するなどの形で鎌倉の世界遺産の登録に向けた動きを積極的に支援していきたいと思う。 選 評選考委員長 鎌倉ペンクラブ元会長 三木 卓
今年も元気のいい中学生諸君の文章の数々を読むことができて楽しかった。なかには、わたしが中学生だったときに、これだけのものを書けただろうか、いやとても無理だ、と思うようなものもあった。
中学生の時期は、青春期のなかでも、もっとも味わい深いが、同時に不安定な激動をしばしば伴っている。それは大人になるための、いちばん厳しい試練のときでもあるからだ。 人はその課程をとおりぬけて大きく成長をする。たいへんだろうが、大いにたたかい、苦しみ、考え、よろこんでほしい。 鎌倉は世界遺産として登録されるべきか。こういう課題と今ここで取り組むのもいいことだと思う。鎌倉は古い歴史をもつ都市であり、その果たした役割はきわめて大きい。そして多くの遺産がのこされている。だれがどう考えようと、そのことは事実である。 鎌倉の中学生諸君は、そのまっただなかで勉強している。それは、諸君の特権である。その特権を大いに生かして、鎌倉を感じ、考え、学ぶ、そこから日本と世界をとらえる、という、これはねがってもないチャンスではないか。 わたしたちが最終選考で読んだのは、十八篇。わたしは、ひとりひとりが、どうやって主体的に鎌倉をとらえ見ようとしているか、ということを基準にして選ばせていただいた。 最優秀賞の横浜国大附属鎌倉中の安部萌君の文章は、鎌倉という都市を歴史・文化の創造点、流動点としてとらえ、単に内側を覗きこむだけではなく、他の場と比較する広い視点もあって、ひときわ目を惹いた。さらに勉強していってほしい。 優秀賞の鎌倉女学院中の高橋美帆君の文章は、「鎌倉は武家政権都市としての遺産が残っている唯一の所」という指摘をしているが、同時にこの町を愛すること、「きれいであたたかい町にしていく必要」を、 目撃した目立たないが心をとめるべき挿話とともに語っていて好感をもった。 同じく優秀賞、横浜国大附属鎌倉中の渡邊香里君の文章は、「まずは鎌倉の住民が、誰よりもこの町の事を深く知ろうとするぐらいの気持ちで、鎌倉という地の奥深さを考え、探究しよう」といっていて共感した。「奥深さ」。 わたしたちは、対象と向いあうとき、それを見くびってはならない。また、すすんで「奥深い」存在と対決しよう。そうして人間の文化は発展してきた。 同じく優秀賞、鎌倉女学院中 佐藤茉那君は、よくまとまっていて、元気のいい文章なのが楽しかった。また佳作入賞の鎌倉市立第二中の大平純造君の、実感を大切にした率直な文章が心に残った。 次回の応募者は、今年の入賞作にこだわらず、独自の視線・感性を示すような文章を書いて、選考委員たちをおどろかせ、よろこばせてほしい。 |
入賞者表彰式・発表会 |
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日時:平成23年1月15日(土)10時〜11時30分 |
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場所:鎌倉市議会 本会議場 |
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次第 |
1.主催者挨拶 |
石井英明 鎌倉市青少年指導員連絡協議会会長 |
2.表 彰 |
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3.来賓祝辞 |
松尾 崇 鎌倉市長 |
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赤松 正博 鎌倉市議会議長 |
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4.選考講評 |
三木 卓 選考委員長 |
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5.発 表 |
最優秀賞・優秀賞計4名による作品朗読発表 |
第1中学校:9名 |