鎌倉世界遺産登録推進協議会
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第6回 鎌倉世界遺産登録推進に向けての
中学生作文コンクール 入賞作品集

「未来に残したい鎌倉」

シンボルマーク

鎌倉市青少年指導員連絡協議会
鎌倉世界遺産登録推進協議会
鎌倉市


目 次
はじめに   (鎌倉市青少年指導員連絡協議会会長) 武井 正雄
選評(選考委員長) 宮田 茂昭
最優秀賞 川崎 幹由
優秀賞 三木 蓮
  村瀬 冬夏
  小林 和奏
  矢代 美穂
佳 作 鈴木 美帆子
  成瀬 翔太
  大平 ゆい
  芦崎 友梨子
  小倉 菜七
  吉岡 達也
表彰式・発表会    
作品集にまとめるにあたり、一部の年号表記などを漢字から数字にあらためさせていただきました。



はじめに

「未来に残したい鎌倉」中学生作文コンクール入賞作品集発行に寄せて

鎌倉市青少年指導員連絡協議会
会長  武井 正雄

 鎌倉世界遺産登録推進に向けての中学生作文コンクールも、関係者の皆様の並々ならぬご尽力により、 6回の歴史を積み重ねることが出来、心より感謝いたします。
 今回の応募人数は過去最高の582名に達し、6回のコンクールの応募作品数は 3000点に迫るなど私達主催者としては 大変嬉しく鎌倉の未来を託する若人に大いに期待できるものと信じております。
 鎌倉の世界遺産登録も本年夏いよいよ集大成を迎えます。
 地道な長期に渉る登録実現に向けて「鎌倉世界遺産登録推進協議会」を中心に多くの市民・団体が多くの汗をかき、活動に携わってきました。
 愛する鎌倉がさらに世界の鎌倉として幅広く認知されることを心から期待しておりますが、それ以上にこれから20年、30年先の 日本・世界を荷う中学生の方々が「未来に残したい鎌倉」のテーマに真剣にチャレンジし、鎌倉というかけがえのない宝を今後どうしていきたいかを、 それぞれの想いとして表現していただいた事に心から感動するものです。
 歴史環境や自然環境を守ることも重要ですが、それにも増して鎌倉と共に生きる私達特に若き世代における心のあり方、 つまり人間環境が一番大事になってまいります。
 「アメリカの人道の母」エレノア・ルーズベルトは「人間というのはだれもが、この世をよりよくするために生まれてきました」と教えられています。
 一人ひとりのどれほど素晴らしい智慧を持ち才能を持っていることか使命のない子など一人としていない。
 時代は濁り乱れ、若き清純な命を惑わす悪縁はあまりにも多い。社会の闇が深いからこそ、私達人生の先輩が「生命の安全地帯」を 創り上げしっかりと心身共に模範となる存在として輝ける道、正しい道、安心安全の道を指し示していかねばと決意しております。
 入選された11名の方、応募された582名の方そして中学生の皆様の今後のますますのご活躍と成長を心よりお祈り申し上げます。

選 評

〜第6回世界遺産登録推進中学生作文審査に寄せて〜

鎌倉市教育長職務代理者  宮田 茂昭

 世界遺産登録推進中学生作文コンクールも、第6回目を迎えることができました。これまでに参加された中学生は 延べ2,900名を優に超えています。特に今回は、これまでになく多くの学校から約600点近くもの作品が寄せられました。 昨年は 400点弱の応募ということでしたので、200点も応募が増えました。世界遺産というものにこれだけの中学生の皆さんが興味を覚え、 このコンクールに応募してくれたことを大変にうれしく思っています。今年、応募が増えた理由の一つとして、 今回のテーマが「未来に残したい鎌倉」と、昨年より幅広い面から書きやすいテーマであったことがあるのではないかと思います。
 いずれにしましても、皆さんの世界遺産登録へ向けての、それぞれの思いが伝わってくる素晴らしい作品ばかりで、 何度も読み返しては、推敲を重ねられたであろうということも感じられました。中には、中学生とは思えない洗練された表現もあり、 澄んだ、鋭い思考が凝縮された作品に触れることができました。
 選評ということですので、参考までに選考委員の皆さんの意見も含めて、全体を通して感じたことをお話ししておきたいと思います。
 今回の「未来に残したい鎌倉」というテーマが、各人の個性・経験・主張を表現しやすいものであったのではないかと思いますが、 全体的に、世界遺産に対して真正面から取り組んでいる作品が多かったと感じています。
 その中でも、調べたことだけでなく、自分で見て感じたこと、自分の目線、自分の視点で書かれた作品も多く見られたことは、 作品の内容に共感を覚えることができました。また、京都・奈良との違いを意識している作品や自然破壊への言及のある作品があったことも印象的です。 そして、歴史を学ぶことによって、自分の生き方に反映していこうという将来が楽しみな作品もありました。
 ここに載せられている作品は、どなたが読まれても納得のいただける内容の作品だと思います。
 世界遺産にちなんだ作文の審査だけに、誤字・脱字は当然のことながら、特に歴史上の事柄については年代を正確に記しているか、 歴史上の事実かそれとも伝承なのか、古き良き時代の面影が残っているのは例えばどのあたりを指して述べているのか等、 そのようなところにも気を配りながら審査に当たらせていただきました。ただし、テーマの捉え方が多岐にわたっていたために、 5人の審査員全員が一致してこの作品、というのはありませんでしたが、上位の作品については、 ほぼ意見が一致したと言うことを最後に述べておきたいと思います。
 どうかこれからも、名実ともに市民の皆さんと行政が一体となって作り上げ、守っていく、鎌倉の世界遺産であってほしいと願っています。
 また、鎌倉を次世代に継承していくのは、ここにいる中学生の皆さんであり、今後も世界遺産登録への関心を持ち続けていってほしいと思います。

未来に残したい鎌倉

岩瀬中学校 3年  川ア 幹由

 鎌倉には、伝説や由来を秘めた「鎌倉五山」「鎌倉十井」「鎌倉七切通し」など興味深い場所がたくさんある。
 その場所の中から一つ選ぶなら、私は特に「鎌倉の切通し」を選びたい。この間、久々に鎌倉の化粧坂と亀ヶ谷坂を歩いてみた。 自分の中で切通しとは、山・丘などを切り開いた道であり、ごつごつした岩や石がたくさんある滑りやすい道だ、という印象が強かった。 もちろんとても歩きにくくて、幼い頃には父の手を借りながらようやく歩けた坂だった。ただ、そんな道を通るからこそ、 自分は鎌倉時代の武士たちも通った道を歩いている、という気持ちになれた。私はそんな歴史のある景色の中を歩くのが好きだ。
 だからこそ、初めて名前を意識しながら歩いた亀ヶ谷坂が、急な坂道であっても、 道の両側には切りたった崖があったとしてもそれはあたりまえなことで、路面が歩きやすく、舗装されていたことが残念だった。 なんだか歴史の重みが感じられなかった。もちろん、安全面や生活のしやすさを考えると、 すべての切通しが化粧坂のようだと困るということも分かる。ただ、便利さのために安易に道が舗装されて、金網がはりめぐらされるのは、 もったいない気がする。鎌倉時代からの歴史を今も受け継ぎ、きちんとそれが感じられる場所にする。 これが、「鎌倉」を広く伝えるために重要なことだと思う。
 昔のままの状態で、多くの物を保存し受け継ぐためには、世界遺産に登録され、もっと多くの人々に知ってもらう必要がある、と考える。 鎌倉は800年以上も前に鎌倉幕府が開かれた場所だ。その鎌倉の良さを多くの人に伝えるために、 鎌倉はもっと鎌倉時代の人々の生活や思いを感じとることができる場所になってほしい。切通しの整備をするのではなく、 通りにくい道も積極的に残しておく。そうすることで、昔の鎌倉がどのようであったか、その様子が目に浮かぶ。 また、そのことは、未来にもこの場所と鎌倉時代を残すことにつながる。
 私は世界遺産といえば、広島の厳島神社と原爆ドームに行ったことがある。海の中にある厳島神社の存在の不思議な感じと、 おそろしいほどの鹿の数は、一生忘れない。また、原爆ドームを見て、こんな戦争は二度と起きてはならない、と思った。 未来に残したい世界遺産といえば、そんな強烈さが大切なんだ、と考えた。
 鎌倉に住んでいる私達にとって、鎌倉の歴史を守り続けることが、自分達の役目だと思う。 そして、今回切通しを歩くことで、私はそのことに気づくことができた。その役目をきちんと果たすためにも、 鎌倉には世界遺産の登録を目指してほしい。鎌倉が世界遺産となり、多くの人々の心に未来まで残ることを私は願う。

未来に残したい鎌倉

大船中学校 1年  三木 蓮

 鎌倉をこよなく愛した作家で、大佛次郎さんという方がいます。
 宅地開発ブームが鎌倉に押し寄せ、昭和39年には鎌倉の聖域である鶴岡八幡宮裏山・通称御谷までが開発されそうになりました。 その時、大佛次郎さんは地元の住民と一緒に、古都としての景観と自然を守ろうと運動を起こしました。 この大佛次郎さんと地元の住民の活動により開発はまぬがれ、鶴岡八幡宮の今の姿があります。
 普段よく見慣れた鶴岡八幡宮、緑深い山々に囲まれた鎌倉の風景は、実は鎌倉を愛するたくさんの人々に守られたものでした。
 鎌倉は、三方を山に囲まれ、一方が海に開く地形をしています。その自然地形の特長を活かして、 重要な神社や寺院、武家館、切通、港などの拠点を機能的に配置しました。
 その中でも、要塞都市として、一度に大量の敵襲を受けることを避ける意味合いのあった切通は、 鎌倉の世界遺産登録に向けて、重要な要素です。この切通は、鎌倉に住む私達にも慣れ親しんだ散策コースの一部です。 私は、小学校の行事でもよく行きました。切通を通るハイキングコースは、海も見えるスポットもあり、 史跡めぐりだけでは味わえない景色を楽しむことができます。
 日本の古都と言われたら、京都・奈良・鎌倉が上がると思います。しかし、その三つの中では、 鎌倉だけ世界遺産に登録されていません。いったい鎌倉と京都・奈良は何が違うのでしょうか?  残念ながら、鎌倉には鎌倉時代の建物はほとんどありません。現在ある寺社仏閣も貴重な文化財ではありますが、 大半は江戸時代の再建だそうです。それでも鎌倉には、緑豊かな切通があります。緑豊かな切通は、武家の古都として、 京都や奈良と差別化を図る十分な要素ではないでしょうか?
 京都や奈良は、貴族の文化が伝わったためきらびやかな雰囲気です。一方、鎌倉は武家の文化が伝わり、京都や奈良とはちょっと違い、 少し地味なイメージが素朴な雰囲気というのも、京都や奈良との差別化を図るための要素だと思います。
 私は、鎌倉をこよなく愛した先人達の意志を引き継ぎ、もっと鎌倉に遊びに来たいと思ってもらえるような街作りを目指していきたいです。
 こういう一人一人の願いや思い・気持ちが鎌倉の世界遺産登録への道となり、後世にも素敵な鎌倉の街並みを残せるのではないでしょうか。

未来に残したい鎌倉

鎌倉女学院中学校 1年  村瀬 冬夏

 私が鎌倉の学校に通い始めてから4ヵ月が過ぎた。私は、今年の3月までの約10年間、外国に住んでいた。
 「東京?大阪?侍?」
 外国では、私が日本人だと知ると片言の日本語で話しかけてくる陽気な外国人がいる。それがこのような言葉だ。 東京や侍といった言葉を知っている外国人は結構いる。しかし、日本で初めて侍による政治が行われた鎌倉の名を知っている人は、どれだけいるのだろう。
 私にとっても鎌倉は、源頼朝や鎌倉幕府という名前を知っているくらいで遠い存在だった。 そんな私が、歴史の資料集にものっている若宮大路を毎日歩いて通学しているということに深い感動を覚えるようになったのは、 この作文を書く機会が与えられたからだ。
 私が鎌倉で一番残したいと思うのは、鎌倉が日本で初めて武家政治が行われた都であるという歴史とその文化だ。
 頼朝について調べてみると、彼にとっても東国はもともとは縁遠い地だった。頼朝は京都で生まれ育ち、 平治の乱で敗れて殺されるべきところを、敵方の平清盛の継母の嘆願によって命を救われて伊豆に流された。 その頼朝が後に平氏一族を滅ぼし本拠地を鎌倉に選んだのだ。
 このような歴史を知ると、生まれ故郷を離れ東国で生きることを選んだ頼朝と、頼朝に選ばれて武士の都として発展した鎌倉の地がより興味深く感じられる。 そして、同じ武士の都といっても開発の進んでしまった江戸とは違い、その文化は、三方を山、一方を海に囲まれた美しい自然と共に、 当時の姿をよく残していると思う。
 例えば、敵の襲来に備えた切通しや多くの寺社がひっそりとたたずむ谷戸、岩肌をくり抜いて作られたやぐらなどは、 鎌倉ならではのものだ。また、武士の気風に合っていることから幕府に保護された禅宗の寺院や仏像などといった仏教と関係の深い文化遺産や、 源氏や北条氏ゆかりの寺社などが数多く残っている。このようなものがたくさん残っているのは、地域の人々の努力によってのことだと思う。
 その中でも特に心をひかれたのは高徳院にある大仏の歴史だ。それは「露座の大仏」ともいわれ、 15世紀の地震と津波によって大仏をおおっていた大仏殿が倒壊してしまったのに今もどっしりとその姿を残している。 ふと東日本大震災や今後必ずくると言われている関東の大地震のことが頭をよぎった。この先もずっとこの大仏を残していきたい、 そして、私たちもこの大仏のように強くありたいと思った。
 このように、鎌倉には伝え残したいものがたくさんある。まず、私がやるべきことは、 鎌倉の歴史とそれを守り残してきた人たちの努力を学ぶことだと思う。私も鎌倉を守る人たちの一員となり、 日本で初めての侍の都である鎌倉のことを世界中の人たちに伝えられるようになりたいと思う。

未来に残したい鎌倉

鎌倉女学院中学校 1年  小林 和奏

 鎌倉と聞いて、人は何を思い浮かべるだろうか。古い寺社や、やぶさめなどの伝統行事だろうか。
 今年の夏、私は絵の題材を探すために極楽寺まで行った。極楽寺のすぐそばの工房で人形師の堀井孝雄さんが作った人形を見たいと思っていた。
 その人形は「鷺娘」という。1メートルほどの大きさで、頭には綿帽子、その身に白無垢をまとっている。
 後ろを振り返ってこちらを向いたその瞳はうつろで寂しげで、何かをこらえているような悲しげな表情だった。何かを言おうとしているようだった。
 「こんにちは。お人形の写真を撮らせていただきたいのですが。」
 と、声をかけると、工房の中のお婆さんが
 「どうぞ、どうぞ。」
 と窓を開けてくれた。人形の作者の堀井さんはあいにく留守だったのだが、窓を開けてくれたお婆さん……堀井さんの奥さんが、 写真を撮っている間、いろいろなお話を聞かせてくださった。人形のこと、鎌倉のこと、住んでいるこの町のこと。たくさん話してくださった。
 堀井さんの奥さんは15年そこに住んでいるのだそうだ。時々散歩でいくお住まいの近所の野原からは海が見えるという。 私が住んでいるのは横浜市だが、まず、近所に野原などない。草が生えているだけの、何にも使われない、誰でも入れる土地などないのだ。
 中学生になって、滑川に注ぐ小川沿いの道が私の通学路になった。その川には鯉がいる。涼やかな水の中に泳ぐ鯉は通学の一つの楽しみでもある。
 源頼朝が幕府を開いて以来、鎌倉の町は続いてきた。武士が住み、町の象徴ともいうべき八幡宮や、 鎌倉五山に代表される仏教を心のよりどころとした人々がつくり守ってきた町。明治以後はリゾートとして人は集まり、 また、文人が住んだことでも有名である。
 人形師の堀井さんご夫妻がなぜ、鎌倉を選んでお住まいになったのか。この鎌倉の空気や、「街」にはない、ぽっかりあいた空間。 それは野原だけでなく、お寺や神社など、心静かに穏やかになれる空間がそこここにあることが起因するのではないかと思った。
 「鷺娘」は歌舞伎や長唄の演目にもなっていて、恋に狂う鷺の精なのだそうだ。日本人の精神を多く伝える伝統芸能を守り伝え続けてきた人の力。 町の中にある古き良きものを守り続けていく人の力。それは意識的に持つことで継続されていくだろう。 世界中を見ても古きよきものが戦争や開発によって失われてきた例は少なくない。
 鎌倉の空気は伝統工芸、古い寺社、切り通しや細い路地の町並み全てが合わさってつくられているのだと思う。 そして、その空気が新たに鎌倉を守り伝えていく人々を住まわせる力でもある。私はその空気こそ未来に伝えていかなければいけないと思う。

未来に残したい鎌倉

横浜国立大学附属鎌倉中学校 3年  矢代 美穂

 鎌倉には、たくさんの観光名所があります。歴史も古く、昔源頼朝が幕府を開いたことでも有名です。そんなたくさんの魅力の中で、 毎日鎌倉に通っている私が、これから先一番大切にしてほしいと思うものは、「自然」です。
 2年前の4月、私は附属鎌倉中に入学しました。住んでいる小田原から遠く離れた鎌倉の地で、知り合いが誰もいない中、 中学校生活を送るのはとても不安でした。でも、そんな私を段葛の桜が満開で迎えてくれました。桜のトンネルの中を歩くのはとてもきれいで、 これから先、毎年ここを通れるのかと思うと中学校生活がとても楽しみになりました。
 私が桜を見て、この学校に通うのが楽しみになったように、自然には人の気持ちを明るくさせたり、和ませたりする力があると思います。 そしてここ鎌倉は、豊かな自然に囲まれているのです。
 春、桜が散るとすぐに段葛では色鮮やかなツツジが花を咲かせます。雨が降った後、花びらに滴が光っている時は、本当にきれいです。 夏になると、学校のすぐ近くの山ではセミが大合唱をはじめ、源平池の睡蓮の花が開きます。夏の少し前にはあじさいも咲き、 梅雨だなあと実感させられます。秋は山の木々がいっせいに色づき、木の実を探しているのか、時々りすの姿を見かけることもあります。 冬には池の水が凍り、雪が降った次の朝はとてもしんとしています。そんな静かな中、鎌倉を歩くのはとても新鮮でした。
 このように、豊かな自然の中で季節の移り変わりを実感できることも鎌倉の魅力の一つだと思います。いつもなら気づかないような小さな変化も、 たくさん見つけることができます。
 しかし、鎌倉の自然に関して一つ気になることがあります。それは、通学途中に見つけた「あじさいはみんなのものです。折らないでください。」 という貼り紙です。その時期は梅雨で、あじさいがきれいに咲いていたので、きっと鎌倉を訪れた人が旅のお土産にと そこまで深く考えずに摘んでいったのでしょう。
 でも、鎌倉の豊かな自然を守り、未来に残していくためには、それではいけないと思います。鎌倉に住んでいる人、 通学・通勤する人だけでなく、観光のために訪れる人にも、自然を大切にするという意識を持ってもらうことが必要です。
 あと半年もして中学校を卒業すれば、私が鎌倉に毎日通うことはなくなります。この私がいつか鎌倉を訪れたとき、 「やっぱりここの自然はきれいだな」と思えるような町であってほしいと思います。

未来に残したい鎌倉

横浜国立大学附属鎌倉中学校 3年  鈴木 美帆子

 私の記憶にはっきりと残っている初めての鎌倉。それは小学6年生の時の鎌倉社会見学である。 当時、鎌倉についてほとんど知ることのなかった私は数々の社寺、多くの観光客、歴史的建造物に驚くばかりだった。 そして一番感じたことは「町並みがとてもきれい」ということである。鎌倉幕府時代を想わせる古都鎌倉の良い雰囲気と現代の日本が良く融合していた。 そこで私はなぜ鎌倉はこんなにもきれいなのだろうと疑問に思い調べてみることにした。すると、鎌倉市では市民がボランティアで朝、ゴミ拾いをしたり、 自動販売機の色を景観の邪魔にならないよう黄色にしたり、道端の草木の手入れを細めに行っていることがわかった。 このことから、鎌倉の景観は市民の支えもあって保たれていると考えられる。それでは、なぜ鎌倉市は市民も共に景観保護に力を入れているのであろうか。
 それは、市民が鎌倉のことを大切にしているからであろう。市民が鎌倉市をきれいに保とうと思っているからこそ、 こんなにも町がきれいに保たれているのだと私は思う。日本中にこんなにも市民が町のことを大切にしている地区が他にいくつあるであろうか。 私は、市民と町が一体になっている鎌倉市がとても素晴らしいと思い、市民の気持ちを尊敬したいと思う。
 そこでふと自分を振り返ってみると、私は町のために何もしていないことに気付かされた。 生まれてからずっと住んでいる町に私は何も恩返しできていなかったのだ。 町内会のクリーンデイなども自分自身は今までほとんど参加をしたことがなかった。しかし、私は市民の取り組みにとても関心し、 私もこれからは自分の生まれ育った町を大切にしていきたいと思う。そうすることによって、地元との交流も深まり、ご近所の方とも関係が深まるであろう。
 私は鎌倉市民の温かい気持ちから自分を見直すことができた。そして鎌倉市はきれいな町であり続けている。 私が未来に残したい鎌倉は「市民の町を大切に思う心」である。そして、私が小学6年生の時感動したようなきれいな町並みをずっと守っていってほしい。

未来に残したい鎌倉

横浜国立大学附属鎌倉中学校 3年  成瀬 翔太

 私たちはなぜ歴史を学ぶのだろう。かつての政治体制や庶民の生活の様子を通して何を得るのだろう。 さまざまな理由があると思うが私は生き方を学ぶためにあると思う。先人たちの生活に秘められた苦労や想いを知り、それを自分の生き方につなげる。 それが歴史という学問の意義であろう。だから私たちは歴史的文化財を訪れ、タイムトラベルを楽しむのだ。
 そんな生き方を学ぶにあたって最適の地が我が町「武家の古都・鎌倉」だ。鎌倉がどのような点で最適かと言うと、 まず第一に日本初の武家政府がおかれた地であるということだ。天皇は生まれたときから皇族なのでそのような天皇家に沿って出来た都よりも 武士によって築かれた都のほうが庶民に近く、生活感があふれているのだ。 だから京都のように壮大で華やかな建造物はないが質素でありながらも、 趣深い建造物が多くある。もう一つの理由として同じ武士によって築かれた都である江戸のように都市化が あまりすすんでいないためかつての景観が多く残っているということだ。これは私も感じたことがある。
 鎌倉には切通しという場所がある。切通しとは山を切りひらき通した道のことで三方を山、一方を海に囲まれた鎌倉にとって 唯一の玄関口となる。またそこは戦いの要所ともなり多くの合戦がくりひろげられてきた。今でもその道は通ることができ観光地として人気を得ている。 私は鎌倉に点在する切通しの中で化粧坂切通しを歩いた。一見ただの山道にしか見えないのだが鎌倉の他の地では感じることのできない独特な雰囲気、 空気を私はしっかりと感じた。まさにかつて武士が栄えた鎌倉時代にタイムスリップし、先人たちの息づかいを感じているようだった。
 このように鎌倉は過去を振り返り、先人たちの思いを受けつぐには最適な地であろう。
 しかし、私は最近この鎌倉の素晴らしい魅力がなくなりつつあると感じている。やはりそこには観光客の増加が大きな原因として挙げられる。 観光地としての鎌倉も十分に魅力があるがやはり古都としての魅力を失ってはいけないと思う。
 一歩踏みいれるとまるでタイムスリップをしたかに思える町。そんな町で鎌倉にはあってほしい。 そのためには世界遺産に登録するよりも先に古都の風情を守ることを先にやるべきだ。それが現代に生きる私たちの役目であるから…。

未来に残したい鎌倉

第二中学校 1年  大平 ゆい

 私は、生まれてすぐに鎌倉に引っ越してきた。4歳と5歳のときは、鶴岡八幡宮の幼稚園に毎日通った。 神社の中のいろいろな場所に連れていってもらったし、流鏑馬などの儀式を見せてもらった。 去年の夏は、例大祭でたたくおはやしの練習をするため、久しぶりに八幡様に1か月ほど通った。 夜に、わらだいこをたたきながら、頭を少し上げると、本殿がとてもきれいに見えた。2年前に大風で根こそぎ倒れてしまった大銀杏も、 そこにあるのが当たり前のようなとても大きな木だった。
 家から5分ほどの鶴岡八幡宮は、私にとってとてもなじみ深い場所だ。おそらく、一緒に幼稚園に通い、おはやしの練習をした友達も、 みんな同じように思っているだろう。
 今、八幡様をはじめとする古い神社やお寺が、世界遺産への登録を目指している。世界遺産に登録されると、 人類共通の宝物として守られることになるそうだ。身近でなじみ深い場所が、世界の人々に大切にされるということになれば、 何だか安心できるような気持ちになる。
 しかし私は、夏休みの課題を書くために1冊の本を読んで、少し心配になったことがある。 その本は、異常気象・自然災害・地球温暖化について説明されたものである。 そこには、今のような生活を続けてエネルギーを浪費し、二酸化炭素を出し続けると、2100年までに平均気温が1.4〜5.8℃も上昇し、 南極や北極の氷が解けて、海面が最大で9メートルも上昇すると書かれてあった。
 去年の3月に東北をおそった大津波の後、鎌倉の電柱に海抜の表示が付けられるようになった。それをみると私の家の周りは、 海抜10メートル以下である。海から2キロメートルも離れているので、大丈夫かなと思っていたが、そうではない。 家から鶴岡八幡宮までは、坂道がないから、おそらく海抜は同じようなものだと思う。すると、2100年までには鶴岡八幡宮の舞殿や源平池などは、 海の下に沈むことになってしまう。もちろん、八幡様にお参りに行った武士たちが馬を下りたという下馬、段かずら、大仏、そしていくつかのお寺や神社も、 同じことになってしまうだろう。
 私たちになじみの深い鎌倉の文化や歴史が世界遺産に登録されて、世界の人々に理解されることはとてもよいことだと思う。登録されれば、 それを守る気持ちが世界に広がる。守るためには、地球温暖化による海面の上昇にも気をつけなければならない。 だから、鎌倉が世界遺産に登録されれば、世界の人々が、もっと地球環境問題を意識することにもつながるはずだ。
 私は自分でも、環境について学んだり生活の仕方に気をつけたりして、大切なものにあふれた鎌倉を、未来に残していきたいと思う。

未来に残したい鎌倉

大船中学校 3年  芦ア 友梨子

 「鎌倉生まれ、鎌倉育ち。」ここでそう言っても、「へぇ。」で終わる。それが何だ、と言いたい訳でもなく、ただそれだけ。 私もそれ以上の言葉を求めようとはしない。
 「鎌倉生まれ、鎌倉育ち。」鎌倉を出て言ってみると、たいてい「良い場所に住んでいるじゃない。うらやましいわー。」と返される。 確かに、良い所だと思う。交通の便も良いし、昔ながらの風景もあるし、海もそばにあってきれいだし…。でもそんなに良いものなのか、と感じた。 まだ若い私には、都会である東京や横浜がうらやましくて、一度住んでみたいなと思える。だから私にはその「うらやましい」が分からなかったのだ。
 私は小学6年生の頃、初めて東京に行った。原宿や渋谷など、誰もがあこがれるであろう所へ足を運び、買い物をしたり、東京タワーを見に行ったりした。 当時はすごく楽しくて、帰る時には駄々をこねたことを覚えている。東京という魅力にとりつかれ、その後も何回も足を運んだ。 だが何回も足を運ぶうちに、楽しさとは裏腹に疲れを感じるようになった。まるで幼い子が高いヒールをはいているように、 とてもぎこちない気持ち。若干インドア派の私にはまぶしすぎたのかもしれない。その気持ちに気がついたとき、初めて鎌倉の本当の魅力が分かった。
 鎌倉は歴史がある物が多い。特に大仏や鶴岡八幡宮などの建造物が世界遺産に登録されるための重要な要素となっている。 しかし、私はここに住む「人」も重要だと思う。例えば商店街にある店の中には、昔からある店もある。その店をずっと続けてくることができたのは、 後継者がいたことと、その店を愛する人がいたことだ。それを築くには目には見えない「つながり」が必要である。 その「つながり」を受け継ぎ、また「つながり」を継承していくことができるのがすごい。この「つながり」は他の地域には負けない、と私は思っている。
 この鎌倉が世界遺産に登録されるためには、まず地元の人が、世界遺産に登録される要素を知らなければならないと思う。 登録されるためにはどんなことをしなくてはいけないのか、私はまだ細かくは知らないけれど、これからの鎌倉市の活動を理解し、 その活動にどうやったら貢献できるかを学んでいこうと思う。

未来に残したい鎌倉

鎌倉女学院中学校 1年  小倉 菜七

 私は歴史が好きです。何年か前に放送されたNHKの大河ドラマにはまり、主人公が生きた時代にとても興味を持ったことがきっかけとなりました。
 最初は幕末に興味を持ちましたが、そのうちにお寺や建造物にも興味を持つようになり、 小学4年生の時には日本にある世界遺産を見て回ったりもしました。
 母が奈良出身のため、帰省の度に古都の素晴らしさに触れる機会があり、美しい仏像や建物を見て、もっと歴史が好きになりました。
 お寺や仏像を見ていると、その時代に行ったような気分になります。千年も前の人たちが何を考えて生きていたのかを、 現代の私たちが建物や資料を見て感じられることができるのはすごい事だと思います。
 そして今、この春から古都鎌倉の中学に通うことになり、毎日のように歴史が感じられる風景を見ています。
 先日は鎌倉大仏を間近で見る機会がありました。近くで見るとその大きさにびっくり。大仏の中にも入りましたが、 本当にこれが800年も前に作られたのかというぐらい丈夫な造りで驚きました。
 私が鎌倉で一番好きな場所は鶴岡八幡宮の大石段の上です。そこから海の方向を見ると赤い鳥居が見え、古い町並みを一望することができます。
 鎌倉には他にも古くから残る建造物がたくさんあります。それとともに、これらの文化財を守り続けてきた人々の苦労もあると思います。
 ヨーロッパの国々では古い建物を大事に残し街並みを保存していく文化があります。 私たち日本人が欧米のそうした文化を「いいな」と思うように、外国人も日本を見てそんな文化を素晴らしいと感じてもらえるように、 鎌倉も古き良きものはそのまま残しておけるといいなと思います。
 歴史の町鎌倉ですが、海に近いこともあって、食べ物もおいしいものがいっぱいです。 そして、海に集まる若い人達に向けたおしゃれなお店もたくさんあります。週末になるとこれらを目当てに来る観光客で、 鎌倉の街が活気で満ちあふれています。
 そんな現代の良さも取り入れて進化している鎌倉の街が私はとても好きです。
 過去の災害や戦争を乗り越えて残った建造物を大切にし、古い町並みを残しながら、 千年、二千年先の人々でも今の私のように古いものを素晴らしいなと感じてくれる鎌倉を、これからも受け継いでいきたいと思います。

未来に残したい鎌倉

横浜国立大学附属鎌倉中学校 3年  吉岡 達也

 僕は、この四季折々の様々な表情をみせ、鎌倉幕府が栄えた鎌倉に未来永劫残していきたいものが大きく分けて二つあります。
 一つ目は、鎌倉の歴史的な史跡・社寺についてです。例えば、鶴岡八幡宮をはじめとして大仏、建長寺、長谷寺などの 鎌倉を代表する建築物はただ見る人の心を穏やかなものにするだけでなく、将来技術の発達が進んだ時に一度足を止めて歴史をふり返り、 鎌倉時代の文化や技術について学び、地球に優しい技術や自然と共存、共生していく文化について学ぶことができ、そのためにも、 歴史ある鎌倉の建築物は失うことができない大切なものなのだと思います。
 二つ目は、鎌倉の自然についてです。鎌倉には確かに源氏山、由比ヶ浜、鎌倉五山など壮大なものや美しいものが数多く存在しますが、 ここではかの源頼朝が認めた鎌倉を包む自然全体について述べたいと思います。鎌倉は三方が山で囲まれ、 一方が海に面しているといったように農業にとても適していたからこそあの二毛作や二期作という発想がでたのだと思います。ところで、 今日本では自然破壊が人類の発展のために行われています。鎌倉も例外ではないはずですが これまで長い年月をかけて育ち森へと形成された自然が共存共生をしてきた人間の手によってわずかの時間で壊されてしまうということは 僕はおかしいことのように感じます。ぜひ将来科学技術が発達して人々の暮らしがより便利になっても、 これまで人間は自然とお互いに助け合って生きてきたということを人々が理解し、自然を大切にし、そして継承していってほしいと思います。
 このように鎌倉は史跡・社寺を残し昔の人の文化から読み取れる思いや技術があまり発達していなかった頃に考え出された生活の工夫を知り、 ただ単純に技術の発達を目指すのではなく今ある技術で他にも活用ができないかと振り返っていくこと、 また、自然を残し共存していく姿勢を継承していくこと、これが未来の鎌倉がある上で欠かせないものだと感じました。


入賞者表彰式・発表会

表彰式集合写真
 

日時:平成25年1月19日(土)10時〜11時

 

場所:鎌倉市議会 本会議場

次第:

 
 

1.表  彰

 
 

2.主催者挨拶   

武井 正雄 鎌倉市青少年指導員連絡協議会会長

  

3.祝辞

松尾 崇  鎌倉市長

     

伊東 正博 鎌倉市議会議長

 

4.選考講評 

宮田 茂昭 選考委員長

 

5.発  表

最優秀賞・優秀賞計4名による作品朗読発表


 

作文コンクール応募者


第一中学校 : 51名
第二中学校 : 65名
大船中学校 : 18名
玉縄中学校 : 33名
岩瀬中学校 : 71名
横浜国立大学附属鎌倉中学校 :150名
鎌倉女学院中学校        :194名


たくさんのご応募、ありがとうございました。

第6回 鎌倉世界遺産登録推進に向けての
中学生作文コンクール 作品集
「未来に残したい鎌倉」
発 行
発行者
   平成25年2月
   鎌倉市青少年指導員連絡協議会
 主催
 
 共催
 後援
   鎌倉市青少年指導員連絡協議会
   鎌倉世界遺産登録推進協議会
   鎌倉市
   鎌倉ペンクラブ
   鎌倉市教育委員会
   鎌倉市立中学校校長会

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