鎌倉世界遺産登録推進協議会
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武家の古都・鎌倉ニュース第13号(国際会議 特集号)

 

第2回「武家の古都・鎌倉」国際会議
世界遺産登録に向けて開催

 「武家の古都・鎌倉」の世界文化遺産への登録をめ ざし、海外から世界遺産に精通する文化遺産保護など の専門家を招いて、現状や課題について検討を行う国 際会議の2回目が、文化庁と神奈川県・横浜市・鎌倉市・ 逗子市世界遺産登録推進委員会との共催で、平成21 年7月3 0日から8月2日にかけて葉山町の湘南国際村 センター及び鎌倉市の鎌倉女学院中学校・高等学校で 開催されました。
 今回の国際会議は、本年1月2 9日から2月1日にか けて開催された第1回国際会議での成果を踏まえ、登 録に向けた顕著な普遍的価値の考え方や保存管理の考 え方について協議・検討することで、さらなる国際的 な評価を形成し、地元としての最終的なとりまとめを 行うことを目的としたものです。
 今回も、英国のクリストファー・ヤングさん(イ ングリッシュ・ヘリテージ/考古学)、中国のル・ ズーさん(清華大学/歴史建築)、米国のジョセ フ・キングさん(文化財保存修復研究国際セン ター/文化遺産保護)が参加され、日本からは 清水眞澄さん(成城大学学長/美術史)、五味文 彦さん(放送大学教授/歴史)をはじめとする 鎌倉の推薦書原案作成委員会の方々や、稲葉信 子さん( 筑波大学大学院教授/文化遺産保護) が参加されました。また、マルタのレイ・ボンディ ンさん(イコモス歴史都市委員会/歴史遺産保護) は日程が合わなかったため、7月16日、17 日に 招き、個別に意見交換が行われました。
 7月3 0 日には前 回視察できなかっ た候補資産を中心 に、覚園寺や寿福 寺、和賀江嶋や朝 夷奈切通などの視 察が行われました。  そして、31日、8月1日には国内外の専門家による 意見交換会が開催され、保存管理については、周囲の 山の尾根を含めた内側全体が様々な法律で保護されて いる点が評価されるとともに、水位変化などの気候変 動への対応や地域社会や子供向けの教育・研修の必要 性などについて意見が出されました。また、顕著な普 遍的価値については、武家文化の定義をさらに明確に することの重要性や、独自の土地利用やまちづくりの 結果として武家文化の源流が形成されたことを強調す ることの必要性、そして武家文化の形成に重要な役割 を果たした周囲の山を景観的な観点から評価できない か、といった意見が出されました。
 8月2日には、世界の貴重な遺産を確実に未来へ継 承していくという世界遺産の目的に基づき、地域が関 わりながら文化財を保存していく意義をテーマとして 国際フォーラムが開催されました。詳細は次ページ以 降をご覧ください。

 

第2 回「武家の古都・鎌倉」国際フォーラム
基調講演「都市保存への新たなアプローチ:歴史的都市景観」

ジョセフ・キングさんは、世界遺産委員会への助 言機関である文化財保存修復研究国際センター(イ クロム)の不動産文化財ユニット・ディレクターとして、 不動産文化財に関するプログラムや活動のすべてを監 督するなど、精力的な活動をしておられます。この度 の講演では、ローマの例を中心に、世界の多くの都市 がとりあげられ、都市保存についての様々な問題点や 取り組みが紹介されるなど、いろいろ示唆に 富んだ講演でした。

○世界の歴史的都市景観
 このたび重要な部分を観ることができたが、鎌倉は 美しいところだ。また、このフォーラムの冒頭に行わ れた、中高生による鎌倉についてのプレゼンテーショ ンは実にすばらしかった。
 都市はどのように成立してきたか。多くの都市が市 場・防衛拠点・宗教拠点など、様々な目的のために作 られてきた。その中には歴史的・建築学的あるいは文 化的に重要な都市が存在する。
 ローマを取り上げてみると、その成立には4 つの理 由がある。 (1) 商業地区として、(2) 防衛の拠点として、 (3) 宗教的な求心力として、(4) 政権の拠点として、そ れぞれ適していたからだ。また、パリのように、水が あり交通の便のよい都市が成長する。都市はそれらの 要素によって自然に有機的に成長していくが、中には ブラジリアのように計画的に作られたところもある。 通常は時とともに上に層が積み上がっていき、一番下 の層が古い部分で、その間に都市の変遷が見られる。 そこには計画的な変化もある。イタリア、特にローマ の場合、中世的な特徴を残して造り直し、パリはそれ を壊して大通りを造り、大規模に変化させるなど、都 市によって違いがある。
 都市を保存する場合、どうして今ある形になったか を知る必要がある。鎌倉の場合、多くの観光客が訪れ るが、そこは生活のエリアでもあるから、現在の生活 に対応させながら、どのようなレベルで文化的な価値 があるかを知らなければならない。
○世界遺産の条件
 世界遺産に登録するには、顕著で普遍的な価値が必 要であり、それには次のようないくつかの基準がある。

(1)エジプトのカイロ歴史地区のように、人間の創造的 な才能を現す傑作であること
(2)ある期間世界の文化圏において、各々の価値の交流 や影響関係があること
(3)防御的な遺構であるドブロブニクや中国のフジャン (福建土楼)のように歴史上の重要な見本となること
(4)歴史の重要な段階を物語っていること
(5)白川郷のような、伝統的集落や土地利用の一例であ ること
(6)モーツアルトゆかりのザルツブルグのように生きた 芸術的作品あるいは文学的作品との関連があること

それらの一つまたはそれ以上の基準に合致すること、 同時に継続性が必要条件である。急激な変化や人の対 立を起こさないようにしなければならない。市民生活 と協調させながら保存管理していくべきである。
○保存の問題点
 歴史的都市景観を保存するには多くの問題がある。 例えば、インフラの整備のために橋が架けられて、貴 重な景観が壊されてしまい、世界遺産から抹消された ドレスデンのエルベ渓谷のような問題である。イラン のイスファハンでは文化財の近くに建物の計画が持ち 上がったが、当初の計画を縮小して対応している。ま た行き過ぎた観光化のため、イタリアのフィレンツェ のように、生活者の障害になっているものもある。そ のような問題に対して、社会のニーズや文化財の所有 者の問題を考え、経済活動やインフラなどを犠牲にし ないように、建物の高さや外観など規制して、古いも のと新しいものとの整合性を図っていかなければなら ない。新しいビルと古い建物との共存は可能である。 また、大気汚染などの環境問題にも対応しなければな らない。
 ローマの2000 年のニューマスタープランでは、交 通のネットワーク、バスルートの整備、新しいビルと の調和・共存などを図り、ローマを、歴史的景観をこ わさない全体像として捉えている。
 鎌倉も現代的なものと歴史的なものとの調和を図っ ていかなければならない。

 

第2 回「武家の古都・鎌倉」国際フォーラム
基調講演「鎌倉の遺産保護において市民がやれること」

西村幸夫さんは、東京大学先端科学技術研究セン ター教授です。鎌倉の世界遺産登録活動に対し、常に 的確なアドバイスを頂いています。今回は、鎌倉市民 の役割を主題にして、若宮大路 を中心に、高野山や京都の例な どをお話しいただきました。
 鎌倉は山に沿った歴史的な寺院だけではなく、現代 の都市である。市民がどのように取り組むべきかを考 えてみたい。鎌倉では、京都の大極殿に替わって中心 に神社を置いた。それは政権の正統性の証明である。 周辺の緑に囲まれてよく神聖が保たれた防衛的な構造 であり、新しい都市の形であった。
 鎌倉の中心である鶴岡八幡宮の背後にある山は、開 発の危機にさらされてきたが、それを止めたのは、御 谷騒動といわれる市民の力である。1960年代前半当時、 山を守る法的な手立てはなにもなかった。1964年(昭 和39年)、裏山の緑を含めて八幡宮であるという見方 から、市民はブルドーザーを阻止し、募金をして土地 を買い取るなどの運動を起こした。この運動は、京都・ 奈良など全国に及んでいった。それを契機に1966 年 (昭和41 年)、古都保存法が成立した。市民の運動が 法律まで作った最初の例である。御谷を守ったこの運 動は鎌倉風致保存会として現在に至っている。
 1973 年(昭和48 年)、都市緑地保全法が成立。2004 年に改正されて都市緑地法になる。景観法ができた同 じ国会での改正である。緑を守る運動はさらに街の景 観を守る方向へ発展する。1995 年(平成7 年)の鎌倉 市景観条例が成立。建物の高さやデザインなどの制限 をし、それを市内の広い地域に広げた例はあまりない。  他にもっと徹底している世界遺産の街がある。高野 山の門前町では、長年にわたる努力が続けられてきた が、今年になって景観条例を作り、指定された景観地 区では、建物は和風で一定の深さを持った廂を設け、 高さを制限するなど、細かなルールを作って、世界遺 産にふさわしい街並みの景観を作り出している。 
 京都は盆地の景色が特色であり、その象徴としての 五山の送り火が、市内の重要な40 か所近くの地点か ら見えるように、それぞれの地点から放射状の規制空 間を設け、500メートルの範囲で、建物の高さを制限し、 近代的な建物にも様々な規制をしている。  鎌倉の場合も歴史的な建造物との調和に取り組む必 要があり、それが歴史的価値を高めることになる。

 

第2回「武家の古都・鎌倉」国際会議
国内外専門家へ感謝を込めて フェアウェルパーティー開催

 8月2日(日)、国際会議 の最終日程として、鎌倉市 内で『「武家の古都・鎌倉」 の世界遺産登録に向けた フェアウェルパーティー』 が開催されました。外国か らの主賓3名は前回より一 歩進んだ好意的な挨拶をさ れました。養老孟司推進協 議会会長は「我々人類の遺 伝子を調べると、元々アフ リカから人類が生まれ、3 度ほかの大陸に渡り3種類 の遺伝子に分かれているこ とがわかっています。アフリ カ、中東、インドなどを通っ てアジアの端にある日本に 遺伝子は渡ってきました。 日本人は世界で唯一、この 3種類の遺伝子をすべて 引き継いでいる人種で す」と話し、人類学的に も興味深い挨拶をされま した。
 また鎌倉武士の精神文 化に触れていただく機会 になればと、回し木馬を用 いての流鏑馬( やぶさめ) 稽 古が披露されました。小笠 原流三十一世宗家から流鏑 馬の歴史や衣装などの紹介 があり、鎌倉時代の武士の 狩装束に身を包んだ小笠原 清基さんが精神統一して矢 を手にすると、華やかなパー ティーの雰囲気が一瞬で緊 迫しました。見事に的が射 抜かれると、流鏑馬の迫力 に外国の主賓の方々も拍手 喝采でした。  
 世界遺産登録に向けて勢 いが増した第2回国際会議 の締めくくりにふさわしく 盛り上がったパーティーに なりました。

 

第2 回「武家の古都・鎌倉」国際フォーラム
パネルディスカッション「鎌倉を守り伝えるために」

第2 回国際フォーラムのパネルディスカッションで は、推薦書作成を前提にした議論が行われ、「山と町」 「武家文化」などに焦点があてられました。第1 回で も同じ話題が取り上げられましたが、それだけ鎌倉に とって重要なものだともいえるでしょう。コーディ ネーターは国士舘大学イラク古代文化研究所教授の岡 田保良さん。議論の要旨を紹介します。

岡田  イコモス委員として日本各地の世界遺産候補地 の会議や他国の候補地の予備的審査にかかわっていま す。今回は寺社史跡を視察の上、すでにつめた議論を 重ねてきました。締めくくりとして専門の立場からア ドバイスをいただき、改めて印象付けられた点、新し い発見などについてお話いただきたい。
○山と町
ル・ズー  第1回とは別の候補地を見て、鎌倉は伝統、 文化の多様性ということでとても重要だと思いました。 今回は特に周辺地域そして都市計画の重要性を知りま した。有益な議論を通して、鎌倉の「顕著な普遍的価値」 を見つけることができると思います。禅文化、禅寺院 がどのように新しい様式に代わっていったのか。推薦 文書を作っていくに当たって、今後の課題となるで しょう。構成資産の絞り込みとか、たくさんの資産を どのように保存、管理していくかということも今後の 課題です。政府や関係団体の努力があれば成功するだ ろうと確信しています。
ヤング  覚園寺が平和で静寂があることに強い印象を 持ちました。中高生の発表を聞いて山稜部の役割に気 付きました。山が都市のあり方のカギとなり、自然を 利用して土地を形作ってきました。景観については計 画が重要ですが、景観が計画に影響を与えたのではな いかという一面も知ることができました。山の緑も重 要です。「顕著な普遍的価値」の存在を強く感じ、世 界遺産になる潜在的な可能性があると思います。周囲 の山々が持つ大きな利点と、鎌倉がどのようにその 山々の中で存在しているかを推薦書でうまく伝えるこ とが、今後の課題になるでしょう。
キング  第1 回は一般情報に基づいて話をしましたが、 今回はもっと具体的に鎌倉を理解し、鎌倉の状況がわ かった上で話し合いができました。山と街の発展を合 わせて考えるということが非常に重要な展開につなが ると思います。たくさんの山のそばにお寺が残ってい ることは、本当に素晴らしい。最後の日には「サムラ イ文化とは何なのか」について話しました。サムライ の文化はいわば全体の中の一つの部分ではないかと 思ってしまいます。しかし学べば学ぶほど世界遺産に 値するものではないかと思うようになりました。
○武家文化
稲葉  武家文化が世界遺産の価値の基礎をなすという ことは確かです。それをおいては世界遺産登録は成り 立ちません。その上で推薦書原案作成委員会の先生方 が十分に価値の中身を詰めてこられたと思います。誰 もが分かっているはずの何かあるという大きな価値の 総体を世界遺産にしていくためには、それを具体的な ものに託して表現していかなくてはいけません。海外 からお出でになった専門家の方々は、寺や神社など宗 教的な施設と政権との結びつきや、切通のような自然 の地形をうまく使った都市というか、政権所在地の作 り方について強い印象を持たれたようです。
西村  先ほどからコメントが続いていますが、周辺の 山々の評価がすごく高いという評価が強く印象に残り ました。大体どこの街も真ん中に大きな教会があり、 その周辺に広場があります。宗教施設が核になって町 が出来上がっていきますが、鎌倉の場合、鶴岡八幡宮 がそれに当たります。
 一つの文化をもつような仏教の一つの流れの中で、 お寺がうまく地形に合わせてできあがっています。こ れをうまく説明できないといけないので工夫が必要で す。ここが全部大事だといれればいいのだろうが、全 部が文化財になっているわけではありません。武家文 化とは何であって、それが今の日本の文化の基底にあ ると言っているが、それが一体何なのかというと考え てしまいます。鎌倉はお寺だけということと武家文化 とどう関係があるのかと言われたら、またそこで説明 しなくてはいけません。武家文化という非常に形のな いものです。日本人のメンタリティーを形成している ようなルーツです。武家文化とかお寺のイメージを 持っているので、自分たち自身がきちんと説明できる かと問い直して、論理を鍛えていくことが非常に大事 だと感じています。
ヤング  実質的なこととして推薦書を書いていくとき にほとんどの国の人たちは、サムライといえば分かる が、今まで両親や祖父が言ったこととか、映画で大き な刀を持って、人の首を切るとかいう意味だけです。
推薦書は日本文化の専門家に審査されますが、日本人 ではありません。つまり、世界遺産委員会の多くの委 員はほとんどサムライの事を知らないか、まったく知 らないかのどちらかです。ですから推薦に当たっては、 本当のサムライの文化とはどういうものなのか、もっ と明確に説明しなくてはなりません。自然や文化、仏 教などがどのようにサムライ文化を支えてきたのか、 説明する必要があります。
キング  サムライは戦士と書かれたものが多く、教養・ 儀式・行動が信念や仏教に基づいているということは よくわかりますが、日本人でない人にとってはつなが りが非常に分かりにくいところがあります。日本人で はない人から見た時に最初からどういう風に説明した らいいのか。世界遺産委員会に出すときに、自分は日 本人だと考えずに日本人ではないという視点から、こう した文化を洗いなおしてみることが必要だと思います。
ル・ズー  サムライ文化も同じようにいろいろな側面 があります。直面している問題というのは、どのよう に史跡と文化をつなげていくかということです。無形 のものについて、どのようにいえばいいのかという側 面もあります。無形のものと有形のものをどのように つなげていくか。無形のものを有形でどのように表す かというのが今後の問題です。
○市民参加
岡田  無形のものは世界遺産としての評価を受けにく いのですが、それが形になって寺社とか景観とどのよ うに結び付くか。あるいはそれを舞台としてどのように 日本的な文化が創出されてきたのか。その辺も注目し ていい点かと思います。市民の立場から世界遺産あるい は文化財全般に対する関わり方をご紹介いただきたい。
ヤング  英国では管理プランの協議会なども行われ、 何百人もの人たちがたくさんのコメントを寄せ、私達 はすべて考慮に入れて活動を続けてきました。これで もって世界遺産を守るというやり方です。英国にある 古代ローマの城壁跡「ハドリアヌスの長城」では何か 価値のあるものに、(落書きなどの)損傷など問題が 生じると市民団体が問題解決のための計画を立てて、 キャンペーンを行います。非常に効果的で、市民を関 与させる方法です。
西村 非常に重要でいろいろな物事を決める時に、専 門家だけで決めるのではなくて、さまざまな土地所有 者とかいろいろなボランティア、日本でいえばNPO とか、きちんとした形でものが言えたり、言うとそれ がちゃんと議論の仕組みに乗ったりするような仕組み というのは、英国だけでなく先進国で発達していると 思います。鎌倉には十分素地があるし、すでに十分行 われているのかもしれません。しかし日本全体を見る とまだ少ないようです。
稲葉  2005 年に白川村で世界遺産10 周年のお祝い がありました。イタリア、フランス、フィリピン、 そしてアフガニスタンのバーミヤンからそれぞれ世 界遺産をもつ自治体の市長や知事を招いて、白川村 の村長とともに市民参加とはどういうことか話し合 いました。これからまさに世界遺産の保存のための システムを作っていかなければならないバーミヤン の知事は、それぞれの話を聞いた上で、しかしどこ がよかったとか、そういうことは言わずに、ただ「い い勉強になった」とだけ。彼女が学んだことは、「何 をしていくべきかは、自分がしっかり考えること」、 そういうことだったのだと思います。世界遺産の仕 事をやっていてよかったと思った時でした。
岡田  インフォーマルな形にせよ、いろいろなレベル での対話をできるだけ絶やさないで深めていくことが 大事です。ともすれば文化財の指定とか選定は、お上 の仕事だというようなことから一歩抜け出して、市民 の認識が深まったことは世界遺産の貢献と言えるのか なと思います。

(注)議論の中で主に外国人専門家が、「武家」とか「武家文化」 とすべきところを「サムライ」とか「サムライ文化」で語っ ていました。正確には中世からの「武家」と江戸以降に定着 した「サムライ」とはイメージが微妙に異なります。ですが 外国で「サムライ」として「武家」が認識されていることも 事実なので、本稿では発言通りに「サムライ」を使いました。

 

『武家の古都  鎌倉塾』  平成21年度春季講座第 2 回講演要旨
「浄光明寺 ―『浄光明寺敷地絵図』と 慈光院跡・経塚の発掘調査―」

講師:特定非営利活動(NPO)法人 鎌倉考古学研究所 大三輪龍哉さん( 浄光明寺住職)
とき:平成21 年6 月6 日(土)  ところ: 鎌倉生涯学習センター第5 集会室

浄光明寺は、扇ガ谷の東側の支谷の泉ヶ谷にある。 西が今小路、南は御成小学校、北に行くと亀ヶ谷が あり仮粧坂に通じている。近隣には鎌倉五山である 寿福寺や、英勝寺がある。昔はもう少し広いお寺で、 その範囲は現在では国の史跡に指定されている。泉ヶ 谷は、現在は扇ガ谷の一部だが、『吾妻鏡』の、「宗 尊親王の方違えの本所がおかれたというのが初出の 史料で、扇ガ谷より以前にその名を確認されている。 かつては浄光明寺とならび多宝寺と言うお寺があり、 何度も発掘調査されている重要な遺跡のある地域だ。
◎浄光明寺の歴史
 創建は1251年(建長3)から1252 年、建長寺より若 干古い。5 代執権北条時頼・6 代執権北条長時の創 建と伝えられる。実際には、長時が中心になったと考 えられ、長時から始まる赤橋流北条家の菩提寺とい う位置付けでスタートする。創建当初から大寺だった。 1296 年(永仁4)1 月に開山真阿は真了房に浄光明寺 長老職を譲る。3ヶ月後に岩屋(窟)堂から出火、浄 光明寺、多宝寺等がことごとく炎上した。9 月、真阿 和上が亡くなる。やがて復興が成り、1299 年(正安元) 北条久時の発願により現在の本尊の阿弥陀三尊像が 造立された。1 1 年後の1310 年(延慶3)安養院から 火が出て鎌倉中に広がり、浄光明寺と多宝寺が炎上 している。しかし再び復興し、1313 年(正和2 )石造 地蔵菩薩像(網引地蔵)等が造られている。1314 年(正和3)、浄光明寺にいた僧侶如仙高恵らが真言 並びに四宗興隆を発願し、極楽寺・多宝寺・金沢の 称名寺とか鎌倉近郊の大きいお寺の僧侶が署名して おり、お寺同志のコミュニティの存在が窺える。  新田義貞の鎌倉攻めにより北条守時が自害、鎌倉 幕府は滅亡したが、浄光明寺はその後も後醍醐天皇、 足利尊氏、徳川家康等、時の権力者の安堵を受け今 日に至る。
◎「浄光明寺敷地絵図」の発見
 「浄光明寺敷地絵図」の大きさは縦63.5cm横95. 5 cm。上杉重能の花押から年代は1333 〜 1335 年(元 弘3 〜 建武2 )の間、幕府滅亡により不安定になった 寺領を認めてもらう目的で描かれた。宝物として浄 光明寺で大切に保管されていたが、明治初めに行方 不明になり、平成12 年に発見された。  鎌倉内部の土地利用が分かる貴重な史料である。 寺の周辺には『御中跡』『守時跡』等武家屋敷跡がある。 石井進先生は、「『御中跡』は北条得宗家の谷地で、 この時代では北条高時邸跡、その隣の『守時跡』は 赤橋流北条守時邸跡であろう」と言われている。
◎慈光院跡及び経塚の発掘調査
 境内は三段のひな壇状になっているが、その二段 目の平場で、昭和62 年に慈光院跡の発掘調査が行わ れた。現在の仏殿や収蔵庫の建っているあたりだ。 中世遺構は岩盤に直接掘られた建物遺構で、礎石据 え方31 基。桁行四間、梁間三間半、半間の柱間があ るのはこの建物の特長的な部分で、奥に仏壇、その 手前に内陣、それを取り囲むように外陣がある。14 世紀前半に建立され、後半に廃絶されたとみられ、 火災の痕跡はない。建物の雨落ちや平場全体の排水 のための溝が切ってある。その溝の一部をつぶす形 で方形の落ち込みが掘られ、後ろに蓮華の花が掘り こまれたやぐらがある。
 平成13年、絵図にある経塚の 調査のため、お稲荷さんの真下 を掘ったが何も発見されず、す ぐ傍を掘ると常滑の大甕が出 てきた。高さ95 cm × 胴部最大 径95. 5 cm。経塚の外容器では ないかと思われる。
 絵図と発掘調査結果をどうみ るか。絵図では慈光院は東地区 と西地区に分かれている。東地区には開山塔と呼ば れる五輪塔の収まったやぐらがあり、先代住職(故 大三輪龍彦さん)の調査未発表資料では、五輪塔の水 輪の上部に入っていた曲げものに「開山真聖国師の 遺骨なり」と書かれていた。総括すると、東地区は 浄光明寺の公的空間、西地区は守時持仏堂など北条 氏の私的空間と考えられる。
 このように、浄光明寺は文献・考古・絵図からも寺史 を探ることが出来る稀有な寺である。北条氏や足利氏 と密接な関係にあり、中世鎌倉を代表する大寺の一つ で、武家の古都・鎌倉を象徴する寺院の一つと言える。

 

めざせ!世界遺産登録

ステッカーで世界遺産登録をアピール    鎌倉食品衛生協会

鎌倉食品衛生協会は、昭和28 年10 月に設立された 食品営業関係者の由緒ある団体で、会員数は約1400 で、 41 の組合が組織されています。協会の使命は、鎌倉 地区にお住まいの方や観光に訪れる方々の食の安全・ 安心を確保することに他ならないと考えており、衛生 管理の向上に取り組んでいます。
 また、食品衛生知識の普及を図る重要な事業として、 毎年、食中毒予防キャンペーンを開催しており、本年は、 大船駅コンコースにおいて食中毒予防の大切さを道行 く人々に訴えました。  協会では、食の安全・安心を推進する証として作成 した加盟店ステッカーに「武家の古都・鎌倉」のシン ボルマークを描き、「世界遺産をめざす町」というメッ セージを表示して、鎌倉の 世界遺産登録を応援してい ます。
 世界遺産登録推進協議会 の委員をつとめる柿澤会長 は、「食の安心・安全と古都 鎌倉の世界遺産登録を両輪 として、協会の皆さんとともに 実現したい」と、協会の先頭 に立って頑張っておられます。

 

鎌倉の歴史を見つめ登録推進に協力    江ノ電沿線新聞社

江ノ電沿線新聞社は、10 0 年を超えた歴史を持つ江 ノ電の沿線住民を対象にした鎌倉・藤沢エリアのユ ニークなコミュニティ紙として昭和51 年に創刊され ました。この新聞は地元の歴史や文学、それに自然な どを見つめて参りました。とりわけ内海恒雄氏による 「江ノ電沿線・歴史散歩」は今年の9月号で333 回目 を数え、詳細・厳密で身近な歴史書として好評を頂い ております。また、折に触れて座談会を開き、様々な テーマについて、関係者に語り合って頂いております が、鎌倉の「世界遺産」につきましては平成17年新年 号の新春対談で「鎌倉の世界遺産登録をめざして」と 題して鎌倉市長石渡徳一氏と内海恒雄氏との対談をお 願いし、いろんな角度から語り合っていただきました。 この記事につきましては多くの反響を頂きました。内 海恒雄氏の案内で源頼朝ゆかりの史跡めぐりも行われ、 鶴岡八幡宮などの世界遺産候補地もめぐっています。 社長の吉田さん は「これからも鎌 倉の世界遺産登録 に関心を払い、そ の推進に協力して 参ります。」と抱負 を語ってくれました。

 

「古都鎌倉の世界遺産登録』ってなに?
第12 回 浄光明寺はどんなところ?

浄光明寺は、建長三年(一二五一)に、 第五代執権北条時頼と第六代執権長時 により創建され、浄土・華厳・真言・ 律・天台・禅など諸宗兼学の道場であ り、中世鎌倉における仏教教学研究の 中心の一つとなりました。
 寺院には、元弘三年(一三三三)か ら建武二年(一三三五)の間の制作と される「浄光明寺敷地絵図」が残り、 境内周辺に最後の執権北条守時や北条 氏得宗家の館などがあったことや、今 も残る土地の形状が鎌倉時代からのも のであることがわかります。
 境内では収蔵庫の新築に伴う発掘調 査が昭和六十二年に実施され、「敷地 絵図」に描かれた慈光院の御堂に相当 する可能性がある礎石建物跡が確認さ れました。平成十三年には、境内北東 側の尾根上で発掘調査が実施され、「敷 地絵図」に描かれた経塚の存在を裏付 ける常滑産大甕が出土しています。
 また、境内には冷泉為相墓がありま す。為相は境内北側の藤ヶ谷に住み、 武家に和歌・連歌を教授して鎌倉歌壇 を隆盛に導き、嘉暦三年(一三二八) に鎌倉で没したといわれています。
 このように、浄光明寺は、武家政権 の政権担当者の学問・教養・精神などの 修行の場であったことを今に伝える寺 院であり、武家文化の成立と発展を示 す重要な遺産であることから、世界遺 産の候補地となっています。

 

Event! the 世界遺産

武家の古都・鎌倉 連続シンポジウム 19
北鎌倉の文化資産と周辺のまちづくり

大佛次郎が鎌倉の門と称えた北鎌倉周辺は、緑の山と花々、多くの寺院、 そして鎌倉街道のまちなみなど、今も古都らしい雰囲気を漂わせています。 市民達も匠の市を開いたり、鎌倉市の景観計画で定めた建物の高さ制限15mを12mにする提案をしたり、 まちづくりについて高い意識を持つ地域です。 午前は北鎌倉の寺院門前を含むまちなみ見学ツアー、午後はシンポジウムを開く予定です。どうかご期待ください。
とき  平成21 年12 月5 日(土)まちなみツアー(午前):10 時〜12 時 
           シンポジウム(午後):東慶寺 1 時30 分〜 4 時30 分 於:東慶寺 
主催  鎌倉の世界遺産登録をめざす市民の会   共催  鎌倉世界遺産登録推進協議会      
参加料  500円(参加イベントに関わらず一律)   定員  80名(先着順)   締切  平成21年12月4日(金)
申込方法  住所、氏名、電話、ファックス番号を記入して、往復ハガキまたはファックスで下記へ 
申込先・問合せ先  〒248 - 0012 鎌倉市御成町9 -1 鎌倉風致保存会内 鎌倉の世界遺産登録をめざす市民の会事務局 
     電話0467 - 23 - 6621 FAX. 0467 - 23 - 6631


 

玉縄城築城500 年祭 実行委員会
発会式と記念講演会

玉縄城は平成24 年に築城500 年を迎えます。これを記念した「玉縄城築城500 年祭」の 実行委員会の発会式と音楽会、後北条氏をテーマにした記念講演会を開催します。
プログラム  発会式、音楽会(清泉女学院中学高等学校 管弦楽部)
記念講演会:基調講演「後北条一族の戦さと暮し」/ 鳥居和郎(神奈川県立歴史博物館 専門学芸員)
シンポジウム 武家の古都鎌倉に「後北条氏が遺したもの」
コーディネーター:伊藤一美(NPO 法人鎌倉考古学研究所 監事)
パネラー    :鳥居和郎(神奈川県立歴史博物館 専門学芸員)、山口 博(小田原市 学芸員)、真鍋淳哉(青山学院大学 講師)
と き  平成21年11月22日(日)午後1 時〜 4 時10 分       ところ  清泉女学院中学高等学校 講堂
主催  玉縄城址まちづくり会議、50 0年祭準備委員会      共催   鎌倉世界遺産登録推進協議会
後援  鎌倉市、鎌倉市教育委員会           協賛  玉縄 玉縄自治町内会連合会、清泉女学院中学高等学校
参加料  500円(学生無料) ※事前申込は不要です。     
問い合わせ先  玉縄城址まちづくり会議 事務局(電話:0467- 45 - 7411)

 

編集後記  

鎌倉の世界遺産登録も第2回の国際会議が開かれ、いよいよ登録申請への詰が行われています。 その中で行われた第2回国際フォーラムでは、「武家の古都・鎌倉」の世界遺産としての国際的な評価がよく分かりました。 世界遺産の条件とか世界の歴史的都市景観から鎌倉のすぐれた景観を生かした武家文化の重要性を認識させられました。 特に遺産保護について市民の果たす役割が強調されたのが印象的でした。
 そしてこの国際フォーラムでは「鎌倉を守り伝えるために」という副題が掲げられていますが、そのためにも次世代の中学生や高校生の声が聞けたのも貴重でした。
 二回の国際フォーラムで、世界遺産登録には鎌倉の価値とそれを守り抜く市民の活動が不可欠であることを改めて知らされ、 世界遺産登録もようやく市民のものになりつつあるということが実感できたことは、何にも換えがたい収穫でした。
広報部会長 内海恒雄

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