推進協議会有志が文化庁長官を表敬訪問
鎌倉市立第一小学校、第一中学校、県立湘南高校
で学び、鎌倉とも縁の深い元ユネスコ大使・前デン
マーク大使の近藤誠一さんが平成22 年7 月、文化庁
長官に就任されたことは、われわれ鎌倉市民にとっ
ても心強いニュースでした。そこで鎌倉世界遺産登
録推進協議会では内海恒雄・広報部会長をはじめ有
志代表6人が同年11 月11日、文化庁に近藤長官を表
敬訪問しました。
当日は、世界遺産の現状についての1時間にわた
る会見に応じて頂きました。長官ともなれば一地域
のことで発言していただくことには限界があるだろ
うと考え、事前に提出した質問内容は「世界遺産運動
で望まれる市民の役割」としておきました。でも実際
にはこちらでお聞きしたかった鎌倉の世界遺産の現
状についても率
直なお考えを示さ
れたことに強い印
象を受けました。
近藤長官から鎌倉世界遺産登録に向けてのメッセージ
鎌倉世界遺産登録推進協議会では表敬訪問に合わ
せた会見で、約1 時間にわたって登録の現状につい
て近藤長官のご意見を伺いました。会見には協議会
理事の内海恒雄(広報部会長)、福澤健次(鎌倉の世
界遺産登録をめざす市民の会事務局長)と卯月文(古
都フォーラム代表)、中村公司(古都鎌倉を愛する
会代表)、「武家の古都・鎌倉ニュース」編集の佐藤
江里子が参加、理事の高木規矩郎が世界遺産運動へ
の市民のかかわりを中心にインタビューし、参加者
もそれぞれ質問しました。
近藤長官の発言要旨 1
○市民のかかわり
鎌倉出身ということで、鎌倉の魅力については強く
感じていますが、実際に市民運動がどれくらい盛り上
がっているかは、最近まで知る機会はありませんで
した。世界遺産に向けた態勢としては市民のかかわ
りは非常に大事なことです。推薦書を提出してイコモ
スのミッションが来て調査するときに、どういう保全
の状況にあるか、どういう態勢、どういう法律で遺産
候補物件を守っていく意思と態勢にあるかというこ
とをみるわけです。その時地元の方が、開発を犠牲に
してでもどれだけ遺産の価値を守るという決意がある
のかどうかということが重要な判断材料になります。
その決意を示すような法律的、制度的、行政的な制
度が整っているかどうかまで見ます。平泉が来年再チャ
レンジするということで、この間イコモスの代表がミッ
ションで来られた時も、かなり細かく保全態勢を見て
いったということです。具体的な対応策はもちろん大
事ですが、強い意欲とそれが法律や制度に反映されて
いるかということも忘れてはなりません。遺産を持って
いるところでも開発とか観光に思い切ってシフトしたい
ので、下手に世界遺産になると制約がかかるとして、む
しろ世界遺産をめざさないという判断もあるわけです。
他方、世界遺産をめざすところでは、開発や観光
などをある程度犠牲にしてでもちゃんと守るべきで、
それが地元の誇りにもつながるし、将来への希望に
もつながっていきます。そこで明確な意思が必要に
なります。今まで知った限りでは鎌倉の市民の活動
ぶりは非常に心強いものです。他の国でも程度の差
はありますが、一旦世界遺産になりながら市民の心
が離れてしまって、開発の方が大事だとしたのがド
レスデン(ドイツ)でした。橋を作る作らないで大
もめにもめて、住民投票したところ、大勢は橋を作
る方になってしまったのです。開発とか農業という
ことよりも優先して、世界遺産を絶対に守るのだと
いう強い意志が大事になってきているのです。
近藤長官の発言要旨
○平泉の調査
平泉が2011年に再チャレンジするのに先立ってイコ
モスのミッションが訪れ、改善の模様などつぶさにご
覧になったようで、消火栓がどこにあるのかまで見て
いったとのことです。木造建築なので火事が一番怖い。
いざというときにどのような防災措置があるのか。崖
崩れなども含めて遺産そのものの自然破壊や景観だ
けではなく、森林の防火措置、防災措置まで見るのです。
○世界遺産委員会の変貌
世界遺産の件数が増えてきて審査もきびしくなっ
てきました。あら探しと言ったら言葉は悪いけれど、
少しでも弱みがあるとそこをついてバツにする傾向
があります。その意味で万全の態勢で臨む必要が
あります。審査するのは書類だけです。登録の判断
に先立ってミッションも来ますがたった1 人で、しか
も主として保全状況を見るだけです。
○世界遺産委員会の内情
世界遺産委員会で1 件あたりに費やす時間は、平
均すると10 分ぐらいです。しっかりとした裏打ちと同
時に極めて明確なメッセージが欠かせません。たと
えば石見銀山のときの『緑の鉱山』というのは思い付
きですが、時代の流れにアピールするメッセージ性
があります。本来の世界遺産条約からすればずれて
いるかも知れないが、委員を納得させるテクニックも必
要という現実を踏まえてやっていくしかないでしょう。
○保存管理
鎌倉はこれまでのところ多くのお寺や神社などの
敷地を選んで、多様なものを集めて提案していこう
というコンセプトで来ています。周りを囲んでいる
山がお寺や神社と一体となっている環境であり、防
衛都市として重要な地形状の役割を持っていて、そ
こにこそ鎌倉の特質があるということのようですが、
世界遺産の専門家からみるともう少し整理が必要
だということのようです。仮に対象を山全体に広げ
るとしたら、そこをどのように保存していくのかと
いう考え方の整理をしていかないといけません。
○イコモスの内情
イコモスで特定の案件の審査をする十数人の人は
みな本職があります。その合間に担当の推薦書を読まさ
れるため、要約を見て興味が持てなければ本文はざっ
と見るだけかもしれません。このような審査のやり方が
良いとは思えません。2 012 年秋に世界遺産条約4 0 周
年記念会合を日本でやることもあり、こうした審査の方
法の改善策なども今後問題提起していくつもりです。
○評価基準
少し前はたとえば基準の1と2と3で該当するとして
推薦すると、全体としてそれなりに説得力があればよかっ
たのです。今は一つ一つ細かく見て、この部分は1と2 は
いいけれども、3にはちょっと足りないのではないかな
ど厳しく見るようになりました。6 つの基準以外に真実
性と完全性(オーセンティシティとインテグリティ)という
のがあります。条約に書かれた基準ではないが、資産の
すべてがそういう価値の全体を過不足なく示しているか
どうかということも見ます。これもかなり厳しくなっています。
○精神性の評価
日本はものそのものではなく、ものの裏にある歴史と
か価値観とかストーリーとか人間の精神性といった
ものが重要であり、ものはそれを代弁しているに過ぎ
ないという考え方が強いです。従ってもの自体が新し
くなっても裏にある価値観さえ変わらなければ意味
を持つ文化だと思います。
○より広く、多様な文化を
審査が厳しい方向になってきたのは、世界遺産の数を
増やすと個々の管理がおろそかになるという危惧があ
り、登録件数をしぼっていく傾向があるからです。しかし
ながら登録件数は先進国に多く、途上国は少ないとい
う現状があります。従って世界中の多様な文化をより
広く守り伝えていくため、登録件数が少ない地域から
の案件を積極的に登録するという傾向はあるでしょう。
○国際交流
国際交流というとシルクロードと日本人は考えがちで
すが、これは交流ではなく一方的な流れです。世界遺
産で価値づけされるのは双方向の交流なので、日本
の遺産がどういう影響を他に与えたかということも議論
しなくてはいけません。茶道も禅宗も、中国に始まって日
本に来て、中国で途絶えた後、逆流して今では中国で
も茶道が盛んになっています。こうした流れを押さえて
それを証明するという姿勢が重要です。あまり欲張らず
にコンセプトと対象を思い切って絞った方がいいでしょう。
○対外キャンペーン
日本の専門家、たとえばドナルド・キーンさんの
ように日本をよく知っておられる外人の方に相談す
ることもあり得るでしょう。
○観光の目玉は文化
これからの観光は歴史とかストーリーを見に来て
もらうようになるでしょう。旅行会社のツアーも表
面的なものではなくて、文化を知らせるような工夫
をするということが大切になってくると思います。
文化庁でもいい題材があれば、それについて観光庁
と協力していこうというような話はしています。
明日香から鎌倉へのメッセージ
高松塚古墳劣化原因調査 検討会座長に聞く
奈良県・明日香村にある高松塚古墳の「明日香美
人」など極彩色の壁画は、1972年に発見され、古代史、
考古学ブームの火付け役になりました。その後、石
室内で大量のカビが発生、対策が不十分だったこと
などから新たな悪循環を招き、結局石室解体で壁画
を外に持ち出して修復することになりました。平成
22年10月12日、文化庁が設立した劣化原因調査検討
会座長の永井順國さん(政策研究大学院大学客員教
授)に鎌倉世界遺産登録推進協議会の勉強会で劣化
原因に関するご報告をしていただきました。高松塚
の現状は世界遺産候補地の保存管理に取り組む鎌倉
にとっても対岸の火事とは言えません。
劣化について
墳丘部では2 0 01年の保存施設との接合部の天井
崩落、2 0 02年には石室内で作業中の機材の横転によ
る壁面の損傷という人為的な事故が相次ぎました。
しかも委員会発足まで4 〜 5 年間、事実はまったく
伏せられてきました。石室の中は大変狭く、押し入
れの下の段で作業をしているようなものです。しか
も湿度9 9 % の中で行われます。長時間滞在するこ
とは禁じられているので、可能な限り短くします。
でも作業が遅れるので、できるだけ中に人がいた方
がいいという劣悪な状況下での仕事は、事故と無関
係ではないでしょう。
カビ対策
1972 年に発掘されるまでは壁画は高湿度環境の
下で、カビに侵されることなく、比較的安定した状
態で保たれていました。ところが微妙な均衡はひと
たび崩れるとカビの大発生につながる新たな環境に
変わってしまいました。高松塚古墳では1980 年代
初めの「昭和のカビの大発生」に続いて、かりそめ
の「安定した時期」が訪れました。このためチェッ
ク体制も緩慢になり、2 000 年代初めの「平成のカ
ビの大発生」を招き、万策尽きて石室解体に至ります。
壁画も外に運び出して10 年かけて修理をしようとい
うもので、作業が続いています。あらゆる物質は劣
化を含め時間の経過とともに変化をします。高松塚
を含む文化財もこの宿命からは逃れられません。
成し得ることは劣化の速度を可能な限り抑えるこ
とです。
文化財の保存と活用に関する提言
検討会が昨年3 月にまとめた報告書では、「過去
を振り返ることで
得た多くの反省と
教訓、そして新た
な知見を未来に向
けて活かしていく。
単に高松塚古墳
壁画の問題に留
まらず、報告書は
文化財全体の保存と活用に資するものでなければな
らない」として、4 項目の提言をあげています。「連携・
協働」を核とした保存・管理体制の確立、恒久的チェッ
ク体制の構築、「現地保存」の確認、そして未来に
向けて「常に備える」ことです。加えて地域の歴史
文化を保護する大枠の仕組みを作る必要があるの
ではないでしょうか。
鎌倉の世界遺産登録について
世界遺産をめざすということは、その文化財の重
要性を認知するということではありますが、文化財の
保護体制を町ぐるみ、地域ぐるみで行政一体となっ
て、市民協働のスタイルでその方策を着々と検討
し、実行に移すということこそが大事なんだという
側面を持っていると思います。
登録されるまでのプロセスが重要です。同時に文
化財を総合的にとらえる、有形文化財と無形文化財、
民俗文化財あるいは否定されてはいないけれど大事
なものがセットとなって、あるストーリーができあ
がっていくものがあるはずです。そうすれば歴史的
景観として、あるいは文化遺産として十分に世の中
に通用するものになり得るのではないでしょうか。
そういう努力を伝えるということが大事なのではな
いでしょうか。世界遺産登録というのはゴールでは
なく、スタートなのかもしれません。
第3回 世界遺産登録推進のための意見交換会
足元の文化財を守り伝えること、世界遺産に登録すること
平成23 年1月18日(火)、市役所講堂において、第
3 回意見交換会が開かれました。荒井章さん(意見交
換事業実行委員会委員長)の司会で、内海恒雄さん(広
報部会長)の鎌倉世界遺産登録推進協議会の趣旨に
ついての説明、野村修平さん(腰越地区町内自治会
連合会長)・今井厚さん(同副会長)・松本壽春さん(同
副会長)など3 名の招待者による、「腰越地域のまち
づくり及び腰越からみる世界遺産登録推進活動につ
いて」の発表があり、それをもとに、他の地域にも共
通した課題などをめぐって参加者による様々な視点
からの貴重な意見が交されました。
発表内容や交された意見を要約して紹介します。
鎌倉世界遺産登録推進協議会の活動
平成18 年に発足した協議会は80を越える団体が
参加する組織で、その趣旨は行政と市民が一体と
なって登録をめざすことにある。鎌倉の世界遺産登
録をめざす活動の特色が市民主導であることを示し
ている。
腰越地区の文化遺産
聖なる空間を画する四境の観念から見た古都鎌
倉の範囲は、北の山ノ内から南の小坪まで、東の六
浦から西の片瀬川までという広さであった。現在の
腰越・片瀬・手広・笛田までを含む〈津村〉は東海
道へ出る鎌倉の玄関口に相当する重要な地域であり、
七瀬の祓いのひとつで、頼朝ともかかわりが深く、
鎌倉防衛の要衝の地でもあった江ノ島、日蓮ゆかり
の龍口寺、源義経ゆかりの満福寺、宝善院、小動神
社など多くの由緒ある寺社や遺跡がある。それらの
文化遺産が海や山と一体となって遺されている。
腰越地域のまちづくり及び腰越からみる世界遺産登録推進活動について
各町内に道祖神や庚申塔などがあり、日常的に市
民に親しまれ信仰されている。そのような足元の文化
財を大切にしている腰越地区の代表的な年間行事は、
1 月の腰越漁港での船祝い・左義長(どんど焼き)・
小動神社の神楽祭、4月の小動神社祈年祭・満福寺
を中心にした義経祭、7月の小動神社ほかの天王祭、
8月の納涼祭・夏祭・諏訪祭、9月の腰越みなとまつり、
10 月の龍口明神社例大祭、12 月の小動神社新嘗祭
などである。
特に4 月の義経祭では龍口寺から満福寺までパ
レードし高校生など参加者と多くの観客で賑わう。7
月の天王祭はこの地区の主要な祭礼で、海に流され
江ノ島にたどり着いて八坂神社に祀られていた小
動神社のご神体が、この日小動に里帰りするという由
来に基づく神事である。9月のみなとまつりは夕日を
眺めジャズを楽しむという市民の行楽行事である。
腰越地区は祭礼などの他、地域の運動会や地区
社協主催のサロン事業などを含めて事業内容が多い。
そのため役員の数がそろわないと行事が維持でき
ないという問題がある。住民の70 %くらいが地元育
ちで、10 年以上継続して参加する若手が多いこと
がこの地区の特色であるが、今後とも行事を伝える
ためには若手を引き入れて育てていく必要がある。
腰越地区の抱える課題
鎌倉市の指定文化財として登録されている文化財
は6 00件近くあるが、そのうち腰越地区は庚申塔1基
ぐらいである。
義経や日蓮に関わる文化遺産が多く存在しながら、
それらが世界文化遺産候補地として浮上しなかった
理由を検証しなければならない。義経は反体制側
の英雄として語り伝えられ、日蓮も権力に抗する法
難の伝承が多いが、共に影が薄い。
腰越地区の市民は祭礼や行事などに熱心に取り
組んでいるが、この地域の豊富で質の高い文化財
に対し、それを掘り起こし伝承していく心が追いつ
かず、文化財の多くは眠った状態である。候補地と
ならなかった背景にはそのような事情があるのでは
ないか。文化遺産とは単なる遺物ではなく、それを
伝承する市民の精神文化と山や海などの自然とも
一体化した歴史的景観でなければならない。
世界遺産登録を地域のまちづくりにどうつなげていくか
腰越地区のみならず市民の世界遺産登録の意識
は高いとはいえない。行政の取り組みの目的は文化
財の保護にあり、世界遺産登録を地域社会の発展に
つなげていくには、地域や各方面の創造的な参画が
必要であろうが、他方、市民側には世界遺産登録に
よるまちづくりなどに関して明確な指針を行政に求め
る声もあり、両者の間には意識の隔たりがある。
世界遺産登録をまちづくりに生かす契機として、
1998 年に制定された鎌倉都市マスタープランに参加
することが有効ではないか。その基本理念は「くらし
に自然・歴史・文化が生きる古都鎌倉」である。
『武家の古都 鎌倉塾』 平成22 年度春季講座’歴史遺産と生きる’第4回講演要旨
鶴岡八幡宮の歴史・伝統と生きる
講師:國生護衞さん(鶴岡八幡宮 禰宜(ねぎ))
とき:平成22 年6月19 日(土) ところ: 鶴岡八幡宮直会殿
講義が始まる前、塾生一同で本宮に参拝し、
鶴岡八幡宮についてお話を伺いました。大石段
を降りた所で、強風に倒れた大イチョウに関して、
その後の経過と「生命あるもの」の継承の大事
さについて説明を受けました。
直会殿に戻り、講師の國生禰宜から37 年間の
奉仕で得た八幡宮の歴史・祭祀等についての識
見を伺いました。以下がその要旨です。
鶴岡八幡宮は西暦でいうと10 63 年に創始、1191
年に現在のような上下両宮の形で鎮座、ということで
神社としては比較的新しい。8 2 0 年ほど経ったが、
大体お宮は出来てからの年数が知れないぐらいの
方が多い。お社を守り、佇まい正しく残して来たの
が神社の特徴で、それを支えてきたバネが祭である。
◎八幡宮について
八幡宮は全国で3万5千社ほどあり、祭神として応
神天皇・神功皇后・比売神を祀る。全国の神社は神
社本庁に掌握されたものが約8万社、登録されない
ものを含めると10万社以上ある。神社の祭神で一番
多いのはお稲荷さん、その他に神明さま、天神さまな
どがある。お稲荷さんが多いのは、食べ物や生命を
守る神様だから。
八幡宮は、九州宇佐の地に元となるお宮がある。九
州地方の古い信仰の上に、仏教伝来と共に大陸から
さまざまな文化が入ってきた中で、大分の宇佐神宮に
八幡さまが鎮座した。今年(2010年)4月応神天皇
1700年祭があった。天皇在位は西暦の270年から
310年といわれ、宇佐に祀られたのは7〜8世紀であっ
た。八幡様として祀られた際、新しいスタイルをとり「吾
は神であり、仏である」と名乗り出られたとされる。「護
国霊験威力神通大自在王菩薩」と自称して出てきた
力のある神であった。大陸の技術と力を備えて、奈良
の大仏建立にも力を貸して、九州から都に進出した。
さらに、平安京の鎮めの神として、京都男山に鎮座さ
れて石清水八幡宮が出来た。
◎源氏と鶴岡八幡宮
1063年、前九年の役に際して、源頼義が石清水八
幡宮で破魔矢と弓をいただき出征し、奥州平定後に
お礼の心から由比ガ浜に宮を設け、源氏の氏神で
あった八幡宮を祀った。
源頼朝は1180年に旗上げしてから、八幡神を戴い
て政事を進めた。中心になったのがこの小林郷で、鎌
倉に入ってすぐここにお宮を遷した。1182年には若宮
大路を建設し、境内を整え東西の池を造った。
1185年に壇ノ浦の戦いに勝って天下が治まり、1186
年にはここで静御前の舞があり、翌年には例大祭を始
めた。宮寺であったので放生会を催し、あわせて武家
にふさわしい祭にと流鏑馬を行った。
1191年の大火後には直ちに復興、上の段に本
宮が作られた。下の宮が若宮で、上下両宮という形に
整えられ、改めて石清水八幡宮から神様を遷され
た。この年に初めて鶴岡八幡宮という名称となった。
◎神社の佇まいと信仰
1192 年に頼朝は征夷大将軍となり、夏には実朝が
誕生。頼朝公は命を懸けた証に先祖が祀った八幡宮
を整備し、宮への参道を町の中心とし皆に示した。段
葛は一段高い参道で、世界でも他に無い信仰の道で
ある。今は二の鳥居の所がお旅所で、神に近付いて
行く入口。段があることに意味がある。神社境内は鳥
居が結界、参道も段葛も結界、手水で清めを受け中
に入り、神に近づいていく。
今の本殿は徳川11代将軍家斉公、若宮は2代秀
忠公の建立である。共に国の重要文化財で、2003年
から2006 年に修理されて今日に至る。
森に囲まれた佇まい全体が神社境内、神聖な場、そ
の中で祭が行われてきた。静の舞もその一つで、八幡
大菩薩に奉納した。鼓を工藤祐経、銅拍子を畠山重
忠が受け持った。1187年の流鏑馬では5 騎が3つの
的を全部射抜いた。放生会も含めこうして例年のお祭
りをすることで、文化をきっちり守り継承してきた。
大イチョウが2010 年3月10日に倒れたが、ひこばえ
が成長している。幹の方は根が出るのに3 年かかる。
お宮のシンボルとして守っていきたい。
めざせ!世界遺産登録
中世の文化財の保存をめざす
鎌倉中世博物館を支援する会
19 9 9 年10月に、鎌倉風致保存会の歴史グループ
に属したメンバーが中心になって、『鎌倉中世博物館
建設の夢を語る会』を発足。「鎌倉に国立の中世博
物館を誘致するなどして、わが国の中世研究に欠かせ
ない貴重な文化財の保存と活用の中心施設としたい」
と様々な検討と活動を重ねてきました。
2 00 2 年に作成した、約2メートル四方の『13世紀鎌
倉の地形模型』は関係者の間で好評を博し、翌年に
は市役所入口ロビーに約1カ月展示されたのをはじめ、
市内すべての生涯学
習センターと市内8つ
の中学校を回って展
示され、世界遺産登
録をめざす市民の鎌
倉中世史への関心を
かきたてました。
その後、鎌倉博物館(仮称)を野村総合研究所跡
地へ設置することになり、2009年5月には市民グループ
として側面的な協力体制を作ろうと、現在の名称に改
めました。代表世話人の中島章夫さんは「昨年9 月に
は御成小学校講堂を展示に活用するための陳情を行
うなど活発に活動を続けています。入会希望の方はま
ず電話0 467 - 47 - 0511を」と話していました。
フラワーセンターに《金槐和歌苑》を
鎌倉三日会
鎌倉三日会では創
立60 周年記念企画と
して、三代将軍源実朝
の歌集にちなむ「金槐
和歌集散策路」を県立
フラワーセンター大船
植物園に作って、「武
家の古都」の精神文化を支える主軸にしていこうと
いう努力が根気よく続けられています。
その一環として園内の植物と実朝の和歌33首を記
した「金槐和歌集散策マップ」を作り、訪問客への便
宜を図っています。例えば「コウヤマキ、まき、真木、槇」
と呼称が記された植物名のところには、「五月雨の梅
雨もまだひぬ奥山の真木の葉がくれ鳴くほととぎす」と
実朝の和歌が記されています。
鎌倉三日会理事の中村公司さんは「今後はセンター
や他の団体と協力して、和歌と植物名を記載した表
示板を立て、武家文化に浸りながら楽しく散策できるよ
うにするとともに、素晴らしい槐の木がある和風庭園を
金槐和歌苑として整備し、世界遺産をめざす文化の
香り高い『武家の古都・鎌倉』のシンボル的存在の
一つとして、国内や世界に誇れるようにすることを県に提
案していきたいと考えています」と話していました。
「古都鎌倉の世界遺産登録』ってなに?
第18回 仏法寺跡は、どんな遺跡?
稲村ヶ崎近くの「霊山」(りょうざん)と呼ばれ
る丘陵の中腹に、幅8
0m、奥行4
0m
ほどの平場があります。平成十二年
〜十四年に、海岸一帯を足下に見下
ろすこの平場で発掘調査が実施され、
建物や池の跡が発見されました。ま
た、池の跡からは、薄く削った木片
に墨で経文を書いた「柿経」(こけらきょう)が多量
に出土しました。
極楽寺の縁起には、霊山に「仏法
寺」という支院があったことが記さ
れています。近世の境内絵図には、
丘の中腹に「仏法寺」「請雨池」が
描かれており、調査で発見された遺
構が仏法寺の跡であることが明らか
になりました。
中世の軍記物語である「梅松論」(ばいしょうろん)
には、元弘三年(一三三三)の新田
義貞による鎌倉攻めの際に、新田軍
が霊山に陣を置いたことが記されて
います。また、これを迎え撃つ北条
軍が、仏法寺と考えられる寺(霊山
寺)の門に立て籠ったという文書も
残されており、霊山の周辺で大規模
な戦闘が行われたと考えられます。
このように、仏法寺は、極楽寺
の支院として鎌倉の西の交通の要
所にあった寺院であり、中世以来
の遺構を今も良好に残す遺跡であ
ることから、平成十八年に国史跡
に指定されています。
News! the 世界遺産
第4回 世界遺産登録推進に向けての中学生作文コンクール
平成22 年度も「鎌倉の世界遺産登録に向けての
中学生作文コンクール」の作品募集が行われ、市内
の公立私立中学校から夏休みの間に書かれた531通
の力作が寄せられました。このコンクールは、鎌倉市
青少年指導員連絡協議会と当推進協議会が主催、鎌
倉市が共催、鎌倉ペンクラブ・鎌倉市教育委員会・
鎌倉市立中学校長会が後援して開催されたものです。
2 度の選考を経て全作品の中から最優秀賞1 点
と優秀賞3 点、佳作7点が選ばれ、平成2 3 年1月
15 日に鎌倉市議会本会議場で表彰式が行われま
した。
この席で選考委員長の三木卓さんから「531名もの
中学生の皆さんが自分の居場所をしっかりと定めて、
鎌倉の世界遺産登録というテーマに真っ正面から向
き合って、それぞれの思いと考えを素晴らしい作文
に仕上げた」と、応募者全員に向けて健闘を讃える
言葉を頂きました。
この4 年間に応募してくださった延べ2 0 0 0 名の
皆さんに御礼申し上げるとともに、中学生の熱い思
いを市民の皆さんにも共有していただきたいと思っ
ています。
下記に最優秀作品をご紹介します。
「鎌倉の世界遺産登録について思うこと」
【最優秀賞】 横浜国立大学附属鎌倉中学校 3年 安部 萌
中学二年の夏、私はここ附属鎌倉中学校に転校し
てきた。歴史的にも観光地としても有名な鎌倉に、
毎日心躍る思いで通学している。それまでは、蔵王
山や白鷹山など周囲を美しい山々に囲まれた山形市
という自然豊かな地に暮らしていたが、鎌倉の緑の
深さ、自然の美しさ、豊かさには感動を覚えた。そ
して何よりも、ここには万人を受け入れてくれる寛
容な温かさがある。
その鎌倉が、世界遺産登録を目指しているという。
私はこれに賛成だ。
鎌倉は、鶴岡八幡宮を筆頭に、建長寺、円覚寺、
長谷寺など歴史的建造物が多く残り、まさに日本の
歴史が息づく街だ。これらの神社、仏閣は、日々観
光客があふれているにもかかわらず、凛とした清ら
かな空気を漂わせている。建物だけではない。日本
史の中でもこの地は多くのエピソードを残してきた。
武士が初めて実権を握った時代は鎌倉に始まった。
「平家物語」はまさにその鎌倉時代の平家と源氏の
戦いを描いた超大作だ。この物語には日本人の感性
が凝縮されていると私は思う。そんな歴史が実際に
刻まれたこの地で、生きた学習ができていることは、
私にとって素晴らしい財産となっていくだろう。
そのようなことが背景となっているのか、鎌倉と
いう地には芸術家のインスピレーションをかき立て
る力があるように思う。近代日本文学の巨匠、芥川
龍之介、ノーベル文学賞受賞者の川端康成、井上ひ
さしをはじめ多くの文学者が鎌倉に暮らし活動して
きた。「鎌倉文士」という言葉が存在するのはその
為だろう。他にも漫画家の横山隆一や日本画家の平
山郁夫など芸術文化にたずさわる人々の名前が次々
に思い浮かぶ。
パリ、ニューヨーク、フィレンツェなど世界には
芸術家を惹きつける都市がいくつかある。例えば
オーストリアのウィーンは音楽の都と言われるが、
実は、ウィーンで生まれた作曲家は少ない。ウィー
ンには遙か昔から世界中から芸術家が集まっていた
のだ。鎌倉も同じように芸術家を惹きつけ、創作意
欲をふるいたたせる街なのだろう。
このように、鎌倉には「日本」をリアルに感じさせ、
芸術文化を育む限りない魅力がある。だからこそ、
私は鎌倉を世界遺産として登録するべきだと思う。
登録が実現すれば今以上に世界中の注目を浴び、
観光客は増加し経済的利益は増すだろう。しかしそ
れに伴い、環境の悪化など多くの負の遺産も生まれ
るに違いない。しかしこのようなデメリットを恐れ
て登録への歩みを止めてはいけない。「日本人の感
性」を世界に発信するためにも、また日本人自身が
自らの感性を再認識するためにも、登録が実現する
ことを望んでやまない。
今年三月、約十世紀もの間鎌倉の歴史を静かに見
守ってきた大銀杏が倒れた。復活を願う人々の祈り
が届いたのか、八幡宮の境内では今、夏の日差しを浴び、
大銀杏の命を引き継いだ若い芽が力強く枝を伸ばし、
葉を茂らせている。この街も八幡宮の銀杏のように
新たな一歩を踏み出すときではないだろうか。
鎌倉の世界遺産登録が、鎌倉、そして日本に新し
い風を吹かせてくれることを、私は心から期待して
いる。
Event! the 世界遺産
鎌倉世界遺産登録推進協議会主催・いざかまくらトラスト共催
五味文彦さん講演会「鎌倉の武家文化」
日本中世史の第一人者 五味文彦さんの講演。
鎌倉の世界遺産の登録にとって重要な段階を迎えた今、改めて武家文化と鎌倉との関わりを考えます。
武家文化が3 つの段階を経て成長していった様相等についてお話しいただきます。
講師:五味文彦さん(東京大学名誉教授 放送大学教授)
五味文彦さんは、東大出版会『UP』に連載されている[地域の力を歴史に探る]で、中世日本の各都市の様相を文献や
発掘記録から解き明かしておられます。日本歴史を見渡す広い視野を『鎌倉』という1 点に絞ってお話してくださる貴重な機
会です。その眼差しは、中世の古都・鎌倉に培われた文化の比類ない価値に注がれます。
ところ 鎌倉生涯学習センター ホール とき 平成23 年6 月12日(日)14 : 0 0 〜16 : 0 0(13 時3 0 分受付開始)
定員 280 名 参加費 無料 お申込み 住所・氏名・電話番号・FAX番号・メールアドレスを明記し、
はがき・FAX・Eメールで下記の推進協議会事務局「6/12 講演会係」へ。定員になり次第締め切ります。
Watch! the 世界遺産
願いはひとつ! 文化財保護ポスター
神奈川県下の中学生を対象とする第39 回文化財保
護ポスター。「世界遺産登録をめざす武家の古都・
鎌倉」部門には、県内50校から181作品の応募があり、
最優秀賞1名・鎌倉世界遺産登録推進協議会会長賞
2 名・優秀賞5名が選ばれました。
写真は最優秀賞の岸春希さん(二宮町立二宮中学校
3 年・受賞当時)の作品で、
円応寺の重要文化財・木造
閻魔王坐像を題材にしてい
ます。世界遺産登録もこの
ポスターも願いはひとつ、
「身近な文化財の保護!」
編集後記
鎌倉と縁の深い近藤誠一
さんが文化庁長官に就任さ
れましたので、推進協議会
の有志で表敬訪問し、世界
遺産登録の現状について伺
いました。
石見銀山の世界遺産登録
は、ユネスコ大使だった近
藤長官の活躍なくしてはあ
り得なかったとよく言われ
ます。鎌倉の世界遺産登録
への現状と課題についても
的確な示唆をいただきまし
た。特に市民の役割につい
ては、その重要性と鎌倉市
民の活動を高く評価されて
いました。登録後も含めて、
文化遺産を後世に残す責任
を改めて自覚させられまし
た。
腰越地区との意見交換会
では従来の地区同様、地元
の文化財を守り地域のまち
づくりを進めていくことは
世界遺産登録につながると
いうことが確認できました。
中学生の作文やポスター
のコンクールはレベルが高
く、応募する生徒の数も多く、
次代に継いでいく必要のあ
る文化遺産にとっては心強
い限りです。
広報部会長 内海恒雄
●鎌倉世界遺産登録インフォメーション&放送スケジュール
インターネット
●鎌倉世界遺産登録推進協議会HP
http: // www. shonan-it.org/KWH-kyogikai/
FMラジオ
鎌倉FM(82.8MHz)…… 毎週日曜12 : 0 0 〜 1 2 : 3 0
「湘南鎌倉いまむかし」番組後半「鎌倉世界遺産への道」
ケーブルテレビ
●JCN 鎌倉…… 毎週木曜 17 : 10 〜(当日再放送あり)
7 Days デイリー『一問一答!鎌倉検定の道』