鎌倉世界遺産のユネスコ登録を応援
黒岩神奈川県知事「武家の古都アピールに全力」
広域で鎌倉の世界遺産登録を進める行政のトップ黒岩祐治・神奈川県知事に会見し、
ユネスコへの推薦書(暫定版)提出で登録に向けての着陸態勢に入った鎌倉の現状などについての考えを伺いました。
会見には鎌倉世界遺産登録推進協議会の卯月文、高木規矩郎、中村公司、福澤健次4氏が参加しました。黒岩知事の発言要旨をお伝えします。
ユネスコへの正式推薦について
正式推薦が決まって本当にうれしく思っています。鎌倉というのは大変な財産です。
私は『いのち輝くマグネット神奈川』を理念として持っています。
神奈川全体がマグネットの力を持つと同時に、それぞれの地域が引き付ける力を持ってほしいと思っています。
鎌倉には歴史、文化、伝統がしっかりと根付いていて、人を引き付けるマグネットとしての象徴的な意味があります。
世界遺産に登録されるよう私も応援していきます。
神奈川県の立場
米国メリーランド州と神奈川県の友好提携締結30 周年記念で訪米し、ワシントンD. C . で観光プロモーションをしてきました。
アメリカの旅行業者の方々に集まっていただいて、横浜、鎌倉、箱根をアピールしました。参加者の一人のアメリカ人が、「鎌倉は素
晴らしいわよ。大好きなところ」と鎌倉での体験を語ってくれました。もちろん私も『武家の古都・鎌倉』をアピールしてきました。
県知事として、鎌倉の魅力を発信していくことも大事な仕事だと思っています。
地元のことは鎌倉市長がしっかりおやりになるでしょうが、そのムード作りは私の仕事ということです。
交通渋滞激化の不安
マグネットというのは、どんどん人を引き付けるという意味ですが、世界遺産登録でさらに車が増えたら大変なことになると思います。
武家の古都だけあって、全体が城のようになり、外敵が入って来るのを遮るよう道がつくられているところがあります。
車社会と武家の古都というのは、今のままではなかなか共存できないのかなとも思います。
「車と一線を画すまちづくり」もあるのではないかと思っています。鎌倉市でも、既にパーク・アンド・ライド等に取り組んでいらっしゃいますが、
一般のお客さんの車は外で止め、中では電気自動車など環境に配慮した移動手段を確保するということができないでしょうか。
そうすることで逆に付加価値が高まり、行きたいなと思うようになるのではないでしょうか。
正式推薦から登録に至るまでの課題
とにかく武家の古都のアピールです。鎌倉市、神奈川県だけでなく、日本全体の気運を盛り上げて行かなくてはなりません。
山梨、静岡、神奈川の3 県知事が集まる山静神サミットでは、富士山と鎌倉を観光資源として一体的にアピールしましょうと言っています。
一緒に登録をめざしましょうということです。
外国に対するアピールも続けていきます。鎌倉は安売りしない方がいいですね。鎌倉ならではの文化や歴史といった雰囲気の中で、おもてなしの気持ちで迎えていただきたい。
品格を持っておもてなしをするのが武家の伝統につながるでしょう。
登録後の課題
生活する中で外からのお客さんも楽しむというバランスのある町のあり方をめざしていかれることを望みます。
お客さんがどんどん来て安っぽくなり、住民が嫌だと感じるようになったら、それは決して幸せなことではありません。
やはり皆がWin-Winというか住民の方も登録によって、世界遺産の町に住んでいる、すごいですねという感じになることも大事です。
行きたいなと思う人も住民の方々から温かく迎えてもらえるという調和をめざしていただきたい。世界遺産になってさらに愛される町になっていただきたいと思います。
講演とシンポジウム『ドナルド・キーンさん、鎌倉を語る』
日本文化の過去・現在・未来 〜鎌倉の歴史に学ぶもの〜
日本文学研究者のドナルド・キーンさんは、東日本大震災の余波に揺れる日本への帰化を表明して注目されています。
そのキーンさんをお招きし、平成23 年10月29日、鎌倉世界遺産登録推進協議会主催により、講演とシンポジウムが開催されました。
講演に先だって、近藤誠一文化庁長官が、ビデオメッセージによりシンポジウムを祝し、キーンさんと鎌倉への思いを述べました。
さらに講演を受けて開催されたシンポジウム『鎌倉の歴史から学ぶもの』で、コーディネーターの高木規矩郎さんからキーンさん、
佐藤美智子さん、富士川義之さんの3 人のパネリストに「鎌倉の魅力」「世界遺産登録をめざす鎌倉への期待」について意見を伺いました。
それぞれの発言要旨をご紹介します。
近藤誠一文化庁長官ビデオメッセージ(要旨)
キーン先生を囲んで「鎌倉を語る」シンポジウム開催おめでとうございます。
このたびは日本国籍の取得を申請されたとのこと、大変うれしく思っています。
日本の政治や経済が元気がなく、日本の誇る文化や芸術が何となく停滞気味です。日本国民全体が自信を失いつつあります。
その中でキーン先生の日本文化への理解と人柄、そして海外への発信力は、私たちにとって大きな力となってまいりました。
私は中学と高校の多感な時代を鎌倉で過ごしました。心が鎌倉に近いのでなかなか客観的に見られないのですが、
早期に世界遺産に登録できるように、私としても最善を尽くしたいと思います。
ドナルド・キーンさん講演(要旨) 『私と鎌倉』
●満月の鎌倉大仏●
戦時中、私は米海軍の日本語学校で日本語を覚えました。私たち卒業生の仕事は日本軍が戦場に落とした書類の翻訳と、捕虜の尋問でした。
中国に送られ、民間の日本人と親しくなりました。
その年の12月にアメリカに帰国してもいいといわれました。青島を発つとき、親しかった日本人から「私が無事でいることを鎌倉に住む会社の社長に伝えてくれないか」と頼まれました。
情報部の将校の案内で初めて鎌倉を訪れました。友人に大仏を見に行かないかと誘われました。
突然、満月の光を浴びた素晴らしい仏像が現われました。
●鎌倉の印象●
昭和28年にアメリカの財団から奨学金を受けることになり、日本に行く夢がかないました。円覚寺の門は建築 ばかりでなく、建てられた場所によってもはるかな過去のものという印象を与えました。
今の建長寺にも、場所に古さ、永遠さが残っています。大仏は取り巻く丘が大きな空間の一部を果たしています。
京都は山がなければ退屈な場所ですが、鎌倉を取り巻く山も美しいです。
●高見順、川端康成の思い出●
高見順の日記に魅かれました。おとなしく健気で、我慢強く、謙虚、そして沈着な日本人に深い感銘を受けます。私の目にいつか涙がわいてきた。
いとしき愛情で胸がいっぱいになった。
私はこうした人々とともに生き、ともに死にたいと思いました。
鎌倉で最も密接な関係を持った作家は川端康成先生でした。インドの最も優れた小説家だったナラヤンが日本にやってきて、ぜひ日本の作家に会いたいと言われました。
日本の作家が喜んで会うはずだと思いましたが、数人の知人に電話をかけると、みなニベもなく断りました。
ノーベル文学賞の受賞者だった川端先生は快く、インドの作家をお宅に招待してくださいました。
シンポジウム(要旨)
『 鎌倉の歴史に学ぶもの』
●鎌倉の魅力について●
高木さん :近藤文化庁長官にお会いしたとき、「ドナルド・キーンさんからお話を聞けたら、鎌倉のプラスになるのでは」とおっしゃられたのがきっかけのシンポジウムです。
キーンさん : 終戦直後に満月の大仏様を見てこれ以上のものはありません。それ以来、鎌倉には見るべきものがいろいろあることが分かりました。小さいお寺でも見るべきものがあります。
美術、歴史、宗教から言っても世界遺産の町になる資格があります。
心配もあります。大勢の人が来ることで下品な雰囲気になったら、鎌倉でなくなります。
はじめて松島に行ったときには、見事な景色、島々は本当にきれいで、松の緑とか雰囲気は最高でした。しかし二度目に行ったときには看板や見世物などが目につく町になりました。
大地震があって松島の人たちに同情しなければならないのですが、復興に当たって同じような町を作ってはいけないと思います。
鎌倉は規則がいろいろあって、高層ビルは建ててはいけないと聞いて嬉しかった。便利さのために道路を広くするとか、
便利さのためにもっと早い電車にするとかには私は絶対反対です。便利さは美しさの一番の敵です。
佐藤さん : 結婚して50数年、大仏様のおひざ元で過ごさせていただいています。大仏様がまず第一。朝5時に起きてまず大仏様にお参りします。結婚して新婚旅行に参り、
国内二泊の旅行から帰っておみやげを母に見せました。その時母に「大仏様へのおみやげは」と聞かれました。私はそんなこと考えもしていませんでした。大仏様は造られてから750年以上たっておられますが、
そんな長い歴史のほんの一部を私はお預かりしているのです。お預かりしている重さといいますか、その間に何かあっては本当に申し訳ないという思いで、毎日過ごしております。
富士川さん : 19世紀英国のノーベル賞作家キップリングは、大仏の観察と印象を非常にいい文章で残しています。来日のちょっと前にアメリカの宣教師がやってきて、
大仏の膝の上に乗ってそこでキリスト教の賛美歌のハレルヤを歌ったそうです。そして僧侶たちに向かって偶像崇拝の習慣が二度と生き返らないように、徹底的に大仏を破壊せよと説教しました。
西欧化してしまった現代人は、宣教師の態度を非難できないところもあります。宗教文化のエッセンスから遠ざかった生活をしているのではないかということを改めて反省させる材料として、
キップリングの文章や詩をあげてみました。
●世界遺産について●
キーンさん : 人が喜ぶとか便利になるとかの口実で、人々が拝むところだということを忘れてはいけません。世界遺産になったらどういう風に鎌倉を守るか、
安っぽくならないようにどうしたらいいか。意思があればできます。
佐藤さん : 世界遺産というのは世界平和への理念です。世界遺産になろうがなるまいが、同じことだと思います。ならなくてもいいと思っています。
鎌倉のことだけを考えないで、世界全体の文化財を保護していくという考えが大事です。
富士川さん : 英語でアメニティーという言葉は快適さとか喜ばしさとか心地よい性質という意味ですが、アメニティーを破壊していくような無理な所業、
たとえば世界遺産に登録するために不必要だから壊すとか、鎌倉の自然を破壊するようなことは絶対にしてほしくないです。
キーンさん : 鎌倉に住んでおられる方々を大変うらやましく思っています。たいへんよいところで快適なところです。いつまでも今のような鎌倉が続くことを心から祈っております。
『武家の古都 鎌倉塾』 平成23 年度第2回講演要旨
考古学から見る『武家の古都・鎌倉』
講師:河野眞知郎さん( 鶴見大学文学部教授 専門: 日本中世考古学)
とき:平成23 年10 月8 日(土) ところ: 鎌倉芸術館
◎普遍的価値と評価基準
12世紀末に鎌倉に政権の拠点を置いた武家は、13世紀半ばから中国伝来の禅宗を摂取し、自らの倫理観や行動規範などの精神的基礎を醸成して独自の文化を築いた。
以後700年に及ぶ武家政権の始発点であり武家文化が創出された唯一の物証である鎌倉は、権力強化に活用した神社や寺院、それらと組み合わせて効果を発揮させた居館・交通路・港などが、山陵部と一体となっており、
稀に見る政権所在地の類型となっている。そのような鎌倉の特質が、文化的伝統または文明の存在を伝える物証として無二の存在であるという評価基準(iii)、歴史上の重要な段階を物語る建築物、
その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本であるという評価基準(iv)に該当する。
◎考古学的な「遺跡」の意味
武家の古都・鎌倉に含まれる重要な要素のうち、考古学的な遺跡は、寺院跡・武家館跡・切通そして港跡であるが、現存する寺社なども考古学の対象となる。鎌倉は土地が低くて洪水になりやすく、
土砂で地固めをしたため、現在まで伝わっている寺社でも、鎌倉時代の地表は地下に埋まっている。そのため八幡宮以下建長寺・円覚寺・瑞泉寺・大仏殿跡・浄光明寺・称名寺などで発掘調査がなされてきた。
建長寺の伽藍は江戸時代の再建であるが、1331年の指図(江戸時代の書写)では、中国の絵図を参考にして伽藍が直線的に並ぶ配置となっている。発掘によって発見された遺構は、指図に一致することが分かった。
現在もその基本的な配置は継承されている。創建当初そのものではなくても、木造建築であるから修理しながら同じ場所に同じ様式で建てられているところに価値がある。
切通の道は出土品などから鎌倉時代から使い続けられていたらしいことがわかる。名越切通の逗子側は、放置すると崩れる危険性があるため、樹脂を染みこませるなどの整備工事が行われている。
まんだら堂やぐら群には多くのやぐらがあり、やぐら前の平場からは火葬の遺構が見つかっている。切通の墓には、境の地で死者をあの世に送り出すという意味があるともいわれている。
やぐら内の石塔などは長い間に持ち出されたりしているが、安易に元に戻すと遺跡の捏造になるおそれがある。樹木の根によってやぐらが崩れる危険性などもあって、保存に苦慮している。
永福寺跡の発掘では、左右に阿弥陀堂と薬師堂を配した二階堂の遺構が出土した。10年にわたる調査を終え、遺構の上に一定の土を被せて、
池の位置や参道・橋などがわかるような形で遺構の復元整備をしている。昔の姿が観てわかるようにしなければ、世界遺産として評価されないおそれがある。
◎北条政村の常盤亭跡
鎌倉初期では武家の居館などは掘立柱で、土台石を用いるのは中期以降である。昭和55年に発掘調査した常盤亭跡では土台石が用いられていた。発掘は一部に過ぎず全体像はまだわからないが、
硯や水滴などがかなりの数出土しており、文化の香る亭だったことが分かる。『吾妻鏡』には、弘長3年(1263)この亭で一日千首の探題和歌の催しがあったことが記されている。
戦士集団である武家が和歌を詠むという高度な精神文化を身につけたのは、世界に例がない。武家の居館跡からそのような武家文化がわかるようにする工夫が必要である。
◎武家文化を理解してもらうために
鎌倉ではおびただしい出土品がある。世界遺産は
あくまで不動産であるが、そこに含まれる遺物からの理解も不可欠で、それらをガイダンスする施設が必要である。武家屋敷跡から出土した、警護の番文が記された木札などによって、
武士たちの多くは地方から出仕し、有力な御家人の家来となったりしながら鎌倉と地方を結び付けていたことがわかる。出土品を通じてそうした武士たちの生活や文化がわかるようにすべきである。
その他、仏像類、蹴鞠の場や四季の花などをあしらった染型板、本歌取りのような漆器の紋様、花瓶・香炉などの出土品は、武士階級のみならず市街地の住民まで各家で仏を祭り、
持仏を身につけていたらしいことなど、高度な生活文化を物語っている。
武家の古都・鎌倉 市民の会連続シンポジウム 21
「仏教から見る鎌倉と世界遺産登録」
平成23 年10 月2日(日)、鎌倉の世界遺産登録をめざす市民の会主催の連続シンポジウム第21 回が鎌倉商工会議所ホールで開かれ、推進協議会も共催参加しました。
冒頭に福澤健次市民の会事務局長が「世界遺産登録推進活動は鎌倉の歴史まちづくりに良い機会を与えてくれる。市民・行政は鎌倉の仏教寺院の『文化的価値』をもっと知る必要がある。
鎌倉時代に起こったさまざまな仏教は今も共存していて、人々への接し方・境内境致なども多様で奥行きが深い」など、この日のシンポジウムの趣旨を説明しました。
◎鎌倉の仏教寺院の歴史と現在
パネルディスカッションは、高井正俊建長寺派宗務総長、仲田順昌覚園寺副住職、西岡芳文神奈川県立金沢文庫学芸課長とコーディネーターの内海恒雄推進協議会広報部会長という顔ぶれで行なわれました。
高井さんの「鎌倉は素晴らしい、既に世界遺産を超えている」、「覚園寺には、これが鎌倉という感じがある」、「金沢文庫は日本の歴史博物館の三指に入る」などの指摘から始まり
、それに応えて仲田さんは「覚園寺は京都・泉涌寺の流れで、泉涌寺の月翁智鏡は留学したとき蘭渓道隆と知己を得た。蘭渓はその縁で来日し、後に建長寺開山となった。覚園寺は環境を守ることを心懸け、やぐらも守っている。
武士の道徳観の中の神仏信仰や価値観にはお寺が寄与している、訪れる小中学生にオバマ大統領を思い、将来の首相も出る可能性を考え説明している。文化財を継続の中で次世代に伝えることを心がけている」と語りました。
西岡さんは「金沢文庫は文献資料を主に収蔵する県立博物館である。『吾妻鏡』の四角四境祭の記述に鎌倉の範囲は東が六浦、北は山ノ内とある。
称名寺は真言律寺院で極楽寺の弟分、両寺が鎌倉の東西端を占めている。文庫収蔵品では称名寺に伝わった聖教一万三千点が貴重で、鎌倉時代の修法等を教えてくれる。
文庫所蔵の本は聖教と共に収蔵物の両輪であるが、相当数が外に流出し、宮内庁や諸大名家に収蔵され残りが今の金沢文庫にある。平安には顕密と言われたが、
鎌倉密教とも言えるものが育ち、鎌倉時代中期以後は禅律の時代になった」などと話しました。
◎仏教寺院の文化財保存と公開・行事
高井さんは「頼朝の頃は真言宗だったが北条氏は比叡山の影響を受けない、宋で盛んだった禅を導入した。建長寺から日本の禅寺院が広まり、伽藍配置も建長寺が模範となった。
建物整備に関しては徳川家の力が大きくお江の方の霊廟(みたまや)が建長寺に移された。保存管理計画で創建時に戻すという目標を立てた。華厳塔を建てたいので写経を始めた。
本尊地蔵の修復では胎内から斎田地蔵が現れた。蘭渓道隆の生誕八百年を期して開山の骨容器の探索を始めた。仏殿・法堂に入り拝観できるようにした。半僧坊を銭洗弁財天のようにしたい」と話しました。
仲田さんは「お寺を守ることに力を注いできたが、建長寺の攻めの姿勢に元気付けられた」と語り、仏殿の薬師三尊や十二神将など仏像の話、
開山などの宝篋印塔をパネルで説明し、塔の場所が海外専門家に感銘を与えたことを話しました。
次に西岡さんは「鎌倉の寺は徳川時代、保護されたとはいえ経済的に厳しく、江戸に出開帳などをした。明治の神仏分離、廃仏毀釈で危機を迎えたが、文化を守ってきたのは社寺だった」と語りました。
また古都保存法などに関し、高井さんが「意図は分かるが、運用で、寺の改修などの手続きに時間が取られ思うようにできない。外からの景観だけでなく内の事情にも理解がほしい」と訴え、
仲田さんは「木を切ることも石を動かすのも駄目とされてきたが、少し手を入れた方が良かった」と述べました。
行事については、建長寺の釈迦・開山に関連する法要、四つ頭の茶会、外国人の座禅会、山門での法話、寺子屋・親と子の朗読会、覚園寺の黒地蔵や最近の景観を守りながらの諸行事、
称名寺の薪能や金沢文庫の企画展などが紹介されました。
◎鎌倉と世界遺産登録について
西岡さんの「鎌倉がなかったら今の日本はない」、仲田さんの「政教分離を乗り越えるうまい工夫が要る」などの発言があり、内海さんが「世界遺産を契機に、
世界に誇れる鎌倉仏教が生きる鎌倉のまちづくりを市民と行政が一体となって進めよう」と締めくくりました。
めざせ!世界遺産登録
手づくりの甲冑で「武家の古都・鎌倉」を発信
武者姿で集うとんぼの会
平成19 年、「手づくりの甲冑で、鎌倉まつりに武者行列をしたい」と小田原の北条手づくり甲冑教室で学び、
平成20 年から鎌倉市内で甲冑教室を開いて今年で4回目、現在の会員は2 9名です。モットーは「作る楽しみ、着る嬉しさ、参加して満足」とし、
鎌倉まつりや義経まつりなど市内のイベントに参加しています。
小田原の北条五代まつりにも参加し、世界遺産登録の幟旗を携行しパンフレットの配布を行っていますが、今年は小田原市役所での甲冑展のほか、
横浜の赤レンガ倉庫や東京ビッグサイトへも甲冑の出展を行いました。 会員は大学講師、議員、企業経営者、外国人、主婦、定年退職者と多彩ですが、甲冑談義を通じて、異業種の世界に触れ楽しい会話を楽しんでいます。
また、手先の作業が多くボケ防止にも良いと言われています。さらに会員を募り、この市民活動を通じて、世界遺産登録に向けて「武家の古都・鎌倉」を発信したいと思います。
海外のお客様にも世界遺産登録をアピール
JR 東日本横浜支社
鎌倉観光の足といえばJR 東日本。横浜支社は横須賀線をはじめとした神奈川県内のJR 線を管轄しており、横浜や湘南地域で親しまれています。
地元の観光価値を高めるために「駅からハイキング」の開催や各種宣伝物の制作・配布等、様々な観光施策にも取り組んでいます。
今年6月に開通123年を迎える横須賀線や、北関東と鎌倉を直結する湘南新宿ライン沿線で、これまでも鎌倉の魅力をPRしてきましたが、世界遺産登録を控え、
「今後は海外からのお客様への宣伝を展開するとともに、お出かけいただきやすい体制を整備していきます」とのこと。 すでに鎌倉観光に便利でお得な
『鎌倉・江ノ島パス』の英語表記の切符を発売しており、今後は駅の案内表示等も拡充していく予定です。
「日本の武家文化の発祥地である、古都・鎌倉の世界遺産登録に向け、当社も地元の皆様とともに取り組んでまいりますので、
一層のご理解、ご支援のほどをよろしくお願いします」と語ってくれました。
「古都鎌倉の世界遺産登録』ってなに?
第21回 覚園寺はどんなお寺?
覚園寺(かくおんじ)は、鎌倉幕府第二代執権北条義時が建保六年(一二一八)に建てた大倉薬師堂(薬師如来像を安置する堂)に始まり、
永仁四年(一二九六)には、第九代執権北条貞時が寺院として整備しました。
開山(初代住職)には、京都・泉涌寺(せんにゅうじ)より智海心慧(ちかいしんえ)律師が迎えられました。
当初は、浄土宗・華厳宗・真言宗・律宗・天台宗・禅宗などを総合的に学んで修行する、いわゆる「諸宗兼学」の寺院でしたが、明治時代に入ってから泉涌寺派の真言宗寺院となりました。
境内地は、鶴岡八幡宮から東約一・二kmのところにあり、薬師堂ヶ谷(やくしどう がやつ)と呼ばれる谷戸を造成したものです。
南北に堂舎が並び、谷奥には、鎌倉時代末期に造られた開山塔、大燈塔の二基の宝篋印塔(ほうきょういんとう:供養塔の一種)があります。また、境内を取り巻く緑豊かな山腹には、「百八やぐら」と呼ばれる中世のやぐら群(横穴の墳墓)が残されています。 覚園寺は、中世鎌倉における仏教文化の発展を示す寺院のひとつであると同時に、境内全体が山稜部の裾を切り落として谷を広げた状況をよくとどめ、鎌倉の寺院の中でも、最も奥深く静寂な宗教空間の特徴を今に伝えているという点で重要です。
News! the 世界遺産
シンポジウム「世界遺産・平泉に学ぶ」、東京で開催
平成23年10月23日、東京文化財研究所を中心とする「世界遺産シンポジウム実行委員会」に神奈川県・横浜市・鎌倉市・逗子市世界遺産登録推進委員会も参加して、
シンポジウム「世界遺産・平泉に学ぶ」が東京国立博物館・平成館講堂で開催されました。基調講演や公開討論などが行われ、鎌倉の世界遺産登録についても触れられました。以下、要旨をご紹介します。
基調講演 文化庁長官・近藤誠一さん
日本が考えている価値と世界遺産委員会の価値にずれがあり、どう埋めるかが課題だ。委員会は地域配分のバランスを欠いている。
専門家は西欧に多く、条約の解釈も西欧に傾きがちだ。今後の委員会の運営における重要な課題である。
平泉は石見銀山における「緑の鉱山」といったキャッチフレーズがなく、苦戦するかなと思っていた。9 か所から資産を思い切って削ったが、
今回登録から外れた柳之御所跡は、日本的価値をつなぐストーリーを保つものとして、いずれ世界遺産委員会やイコモスに提案したいと思っている。
問題提起 国立西洋美術館館長・青柳正規さん
世界遺産は地域主義とカタログ登録主義に問題を抱えている。国立西洋美術館などル・コルビュジェの建築群は多国間にまたがる地域の文化遺産で、
国単位の国連の下部組織であるユネスコに新たな課題を突き付けている。
資産紹介
鎌倉、国立西洋美術館、百舌鳥・古市古墳群の3 件が紹介され、鎌倉市からは世界遺産登録推進担当より、鎌倉がこれまでの国内の世界遺産の枠を超えて、
文化財保護法と古都保存法によって保護される地域を合わせて推薦されることなどが説明されました。
公開討論「世界遺産と都市」
国士舘大学教授・岡田保良さん
平泉と鎌倉は都市を都市として作ろうという初期の段階だったと思う。平泉は公家文化の延長、藤原文化の延長であり、
鎌倉は、武家が古代秩序を打ち破った都市を模索した結果、山と海に囲まれた形になった。
東京大学大学院教授・佐藤信さん
平泉は登録のコアになるのはお寺の遺跡と庭園だがもう少し都市として見てほしかった。中世都市鎌倉のコアになっているのは鶴岡八幡宮をはじめ山沿いのお寺が多い。
中心地をどのように説明するかが課題である。
京都府立大学准教授・宗田好史さん
歴史都市はこれから造っていくものである。ヨーロッパでは都市部を造ってきた。これから20 年30 年たって、鎌倉にふさわしい都市にするための計画があるのかどうかが問われる。
歴史都市を造っていこうという努力が足りない。
震災復興を願い「寺社特別拝観めぐり」開催
春の「鎌倉まつり」の一環として開催を予定していた寺社特別拝観めぐりは、東日本大震災の影響により中止となりましたが、
改めて震災の復興祈願をこめ、10月3 日(月)〜 10月7日(金)にかけて推進協議会・内海恒雄広報部会長の案内により行われました。世界遺産候補地の社寺にお願いして、
通常公開されていない部分も含めた史跡や文化財の特別拝観をさせていただきました。
10月3日建長寺では、山門の五百羅漢像、西来庵の昭堂や禅居院などを特別拝観しました。10月4日覚園寺では、副住職のご案内で千躰地蔵堂や、開山塔、大燈塔を特別拝観しました。
その後永福寺跡を見て、瑞泉寺では仏殿などを特別拝観しました。10月5 日は高徳院庭園の特別拝観や大仏切通などを巡る予定でしたが、雨天中止となりました。
10月6日寿福寺では仏殿を特別拝観し、その後浄光明寺では阿弥陀三尊像などを拝観しました。10 月7日県立金沢文庫では、学芸課長の西岡芳文さんから金沢文庫の歴史についてお話を伺い、開催中の企画展などを見学しました。
その後称名寺では、本堂などを特別拝観しました。
News! the 世界遺産
第5回鎌倉世界遺産登録推進に向けた中学生作文コンクール
たくさんのご応募ありがとうございました!
中学生の皆さんに世界遺産登録について考え参加してもらおうと始まった「中学生作文コンクール(鎌倉市青少年指導員連絡協議会・推進協議会主催)」。
5 年目のテーマは「『武家の古都・鎌倉』の価値とは何か?」という少し難しいものでしたが、夏休みを利用して、よく調べ研究された内容の濃い392作品が寄せられました。
推進協議会の中で選考を重ね、最終選考は16 作品に絞られました。いずれも『武家の古都・鎌倉』の価値を見事に紹介した素晴らしい作品であるため、16人に賞を差し上げることになりました。
1月14日(土)に市議会本会議場で表彰式を行います。
最優秀作品は次号に掲載してご紹介します。
Event! the 世界遺産
第55回鎌倉まつり「鎌倉の世界遺産登録をめざして」
講演『「武家の古都・鎌倉」の今』と寺社特別拝観めぐり
今回のメインテーマも「鎌倉の世界遺産登録をめざして」です。今年も若宮大路のパレードに当推進協議会も参加します。
世界遺産候補地の特別拝観と講演会は当協議会主催行事です。多数の皆様のご参加をお待ちしています。
鎌倉まつり期間 平成24年4月8日(日)〜 4月15日(日)(鎌倉市観光協会主催)
プログラム
(1) 8日(日)……… 若宮大路パレード
(2) 9日(月)〜13日(金)…世界遺産候補地の寺社特別拝観めぐり( 推進協議会主催)
昨年は覚園寺千躰地蔵堂・瑞泉寺仏殿・建長寺三門・西来庵・禅居院・寿福寺仏殿・称名寺本堂
などを特別拝観しました。
今年も同規模の特別拝観を寺社にお願いして実施する予定です。
(3) 14日(土)…… 14 時〜16 時半「もっと知ろう、世界遺産」( 推進協議会主催)
『「武家の古都・鎌倉」の今〜世界文化遺産登録の最前線〜』講師:岡田保良さん(国士舘大学イラク古代文化研究所所長)
ところ/きらら鎌倉(鎌倉生涯学習センター)ホール 定員/280 名(申込先着順) 参加費/無料
※福田誠さん(鎌倉市文化財課)によるよ永福寺跡発掘調査報告と今年度「世界遺産登録に向けての中学生作文コンクール」受賞者の朗読、
県立鎌倉高校の生徒による「かまくら学」研究発表も予定しています。
お問合わせ/上記のプログラムの詳細は、下記事務局へ。
その他、鎌倉まつりの全般的なことは、鎌倉市観光協会(電話番号0467-23-3050)まで。
編集後記
世界遺産登録は従来どこの県も知事が先頭に立って推進してきましたが、今回の黒岩県知事との会見でそれが確認できました。
この段階では県市が連携して政府等の国内から外国にも働きかける必要があります。推進協議会の諸事業も神奈川県・横浜市・鎌倉市・逗子市四県市の体制で実施していく時期になりました。
近藤文化庁長官の話から始まったドナルド・キーンさんの講演会が実現しました。その講演とシンポジウムでは、国際社会から見た鎌倉の歴史と文化の評価が示され、
世界文化遺産としての鎌倉の価値を改めて認識することができました。 この一月には「武家の古都・鎌倉」の推薦書が正式版でユネスコに提出され、それに基づき夏には鎌倉の現地調査が行われる見通しです。
そこでは市民の盛り上がりも重要な要素ですから、より一層、推進協議会の活動の活発化が望まれます。
広報部会長 内海恒雄
●鎌倉世界遺産登録インフォメーション&放送スケジュール
インターネット
●鎌倉世界遺産登録推進協議会HP
http: // www. shonan-it.org/KWH-kyogikai/
FMラジオ
鎌倉FM(82.8MHz)…… 毎週日曜12 : 0 0 〜 1 2 : 3 0
「湘南鎌倉いまむかし」番組後半「鎌倉世界遺産への道」
ケーブルテレビ
●JCN 鎌倉…… 毎週木曜 17 : 10 〜(当日再放送あり)
7 Days デイリー『一問一答!鎌倉検定の道』