鎌倉世界遺産登録推進協議会
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武家の古都・鎌倉ニュース第23号  春号/Spring 2012

 

「武家の古都・鎌倉」ユネスコへ推薦書提出

 平成23年9月、「武家の古都・鎌倉」が世界文化遺産としてユネスコへ推薦されることとなり、本紙第21号で経過をお知らせしました。その後、国と4県市が協働で最終作業を進めた結果、平成24年1月27日 (日本時間)に、日本国政府からユネスコ世界遺産センターへ正式な推薦書が提出されました。

《推薦書提出までの経過》
 平成23年9月に、「武家の古都・鎌倉」が世界文化遺産として日本国政府からユネスコへ推薦されることとなり、同月末に推薦書の暫定版がユネスコ世界遺産センターへ提出されました。
 その後、平成24年2月1日までに正式版を提出するため、国と4県市(神奈川県・横浜市・鎌倉市・逗子市)が協働で最終的な仕上げ作業を進めてきました。 そして、平成24年1月に開催された世界遺産条約関係省庁連絡会議において、正式に推薦が承認され、推薦書の正式版が提出されました。

《平成24年度はイコモスによる現地調査》
 推薦書が提出された今年は、夏から秋頃にイコモス(国際記念物遺跡会議)による現地調査が行われます。  イコモスは、1965年に設立された国際的な非政府組織(NGO)で、加盟国は127カ国(2011年12月現在)を数え、加盟各国の文化遺産保存分野の第一線の専門家や専門団体によって構成されています。
  ユネスコをはじめとする国際機関と密接な関係を保ちながら、文化遺産保護・保存の理論、方法論、科学技術の応用の研究などを進めています。 ユネスコの世界遺産条約に関しては、諮問機関として、登録の審査やモニタリング(監視)活動等を行っています。
 このイコモスの調査では、推薦書の記載内容、特に、資産の保存管理状況について、実際に現地で確認されるもので、その専門的評価が世界遺産登録の可否に大きな影響を持ちます。 そのため、地元自治体としては、今後この調査に向け、国や関係機関等と連携して万全な準備を行っていくことが重要です。

《平成25年度には登録審査へ》
 来年の5月頃には、現地調査の結果を受けて、登録に相応しいかどうかの勧告がイコモスによりなされます。その勧告をベースに、夏頃に開催されるユネスコ世界遺産委員会において、最終的に登録するかどうかが決定されます。
 「武家の古都・鎌倉」の世界遺産登録がいよいよ現実味を帯びてきました。鎌倉市の後期実施計画(平成24年度〜平成27年度)では、世界遺産登録を重点施策の1つとして位置づけています。 鎌倉世界遺産登録推進協議会は、今後も市民の皆様をはじめ多くの方々に登録の意義を理解し参加していただくことをめざし、より一層充実した活動を展開していきます。

海と山が一体となった鎌倉のまち
海と山が一体となった鎌倉のまち
 

『武家の古都・鎌倉』の世界遺産登録をめざす
神奈川県・横浜市・逗子市の取り組み 逗子市・名越切通の整備

逗子市教育委員会社会教育課 佐藤仁彦さん

 今号から、鎌倉市とともに『武家の古都・鎌倉』の世界遺産登録を推進している神奈川県・横浜市・逗子市の行政と市民活動の取り組みについてお伝えしていきます。
 初回は逗子市の行政の取り組みについて、逗子市教育委員会社会教育課の佐藤仁彦さんに伺いました。

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 『武家の古都・鎌倉』の範囲は、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』に、北は山内(北鎌倉)、東は六浦(横浜市)、西は片瀬川(藤沢市)、南は小坪(逗子市)と書かれています。
 世界遺産登録では、そのうち横浜市金沢区の称名寺と鎌倉市との境にある朝夷奈切通、鎌倉市と逗子市の境にある名越切通や和賀江嶋が含まれる区域を構成資産としています。 このため、神奈川県と横浜市・逗子市も早くから、鎌倉市と同様に遺産の研究・保存管理の努力を続け、大きな成果を挙げています。
 昭和41年に史跡指定された後、2度の追加指定がなされたほかは具体的な動きのないまま事実上放置されていた名越切通が、ようやく整備の緒についたのは平成8年のことです。 この年、切通の一部が崩落したことをきっかけに、逗子市としても改めて史跡の保存活用を図っていくこととなり、その後新たに保存管理計画、整備計画等を策定し、今日まで切通の崩落対策やまんだら堂やぐら群エリアの整備を行ってきました。 その間、平成19年度に4県市の世界遺産登録推進会議が発足したことを受けて、世界遺産登録に向けた動向と連携しつつ整備事業を進めています。

 鎌倉と三浦半島地域とを結ぶ重要な交通路として鎌倉時代に開削されたと言われている名越切通ですが、それを具体的に物語る史料はほとんどありません。 『吾妻鏡』天福元年(1233)八月十八日条に「名越坂」と見えるのが最初ですが、それがどのような構造であったかなど具体的な様相を伺い知ることはできません。 同じく『吾妻鏡』仁治元年(1240)十月十日条等の「山内路」(巨福呂坂切通)や同年十一月三十日条等の「六浦路」(朝夷奈切通)の造営に係る記事からみて、 名越坂も相前後して切通路として整備された可能性はありますが、名越は「路」でなく「坂」と呼ばれていますので、これを同列に考えるには慎重を期す必要があると思います。

 これまでの発掘調査等の結果から見て、名越切通は後世に大きく手を加えられたことが明らかです。今私たちが目にしているのは近世末から近代の姿で、中世の名越切通の具体像はよくわかっていません。 しかし、平成21年度に、現道よりも北側の約5m高いところにある平場で、平坦な岩盤面を逆台形に掘り込んだ道路状遺構(いわゆる掘割り道)が発見されました。路面の幅は概ね1m未満 と非常に狭いですが、15世紀以前のものと考えられ、複数回修築した痕跡も伺えます。これがある段階における切通の本道なのかどうか、にわかには判断できませんが、 中世の名越切通の具体的な状況を考える上で非常に貴重な発見でした。

 これまで、鎌倉の守りの要として象徴的に取り上げられることの多かった名越切通が、中世の姿そのものではないとなると、やや興をそがれるかもしれません。 しかし、切通路の周辺には、山陵の崖面を穿つやぐら群や遺体を荼毘に付した痕跡など葬送関連遺構のほか、大規模な石切場址である大切岸、人工的な平場も随所に見られるなど、その景観は中世鎌倉の周縁部の姿を髣髴させるもので、 名越切通の価値は高まりこそすれ減ずることはありません。

 なかでも、約150基のやぐらからなる「まんだら堂やぐら群」は、山陵部のやぐら群として規模も保存状態も傑出した遺構ですが、土地を公有化した平成12年度以降は管理や整備の都合上、僅かな期間を除いてほぼ閉鎖状態でした。 しかし、このたびの平成23年度工事でやぐら群前面平場の園路造成や柵の設置が終了したため、3月中旬に早速5日間の臨時公開を行い、来場者からご好評を頂いたところです。

 平成24年度は公開日数を拡大し、初夏のゴールデンウィークと、秋から初冬にかけての土日祝日に公開できるよう準備を進めています(詳細は決まり次第ホームページ等でお知らせします)。

 今後は大切岸の安全対策や園路整備工事等を経て、平成26年度中には一般公開に漕ぎ着けたいと考えていますが、管理運営体制をどうするか等、難しい課題も抱えています。

整備中のまんだら堂やぐら群
整備中のまんだら堂やぐら群
 

◆ もっと知ろう、世界遺産 第4弾 ◆

稲葉信子さん講演会「世界文化遺産と鎌倉」

 平成23年11月13日(日)午後、推進協議会主催の講演会「世界文化遺産と鎌倉」が鎌倉商工会議所で開催されました。
 講師は筑波大学大学院世界遺産専攻教授の稲葉信子さんです。 稲葉さんは、日本が世界遺産条約に批准した当時から世界文化遺産と その保全・修復等について関わってこられた日本の第一人者で、 鎌倉にも推薦書作成委員として関わっていただいています。

 以下、講演要旨をご紹介します。

 なお当日は講演前に、平成22年度「世界遺産登録に向けての 中学生作文コンクール」最優秀作品の朗読や、県立鎌倉高校の生徒による 「かまくら学」の研究成果発表もあわせて行われました。
講師稲葉信子
講師の稲葉信子さん

講演要旨

《40周年を迎えたユネスコ世界遺産条約》
 11月7日〜9日にユネスコの世界遺産条約の総会がパリで開催された。2011年は世界遺産条約締結40周年の年であり、この条約が世界の自然と文化の保全や発展に寄与していたのかどうかを考える1年間がスタートした。 世界各国で世界遺産に関するシンポジウムや会議が開かれるが、その締めくくりとして2012年11月に、40周年記念行事を京都で開催する予定である。

 文化と自然の両方を同時に扱うのが世界遺産条約の特徴。日本から推薦される世界遺産には、必ず自然との共存を織り込まれている。砂漠や草原の中の他国の世界遺産とは全く違う。つまり日本は自然と対立する文化ではない。 それは日本が仏教を取り入れる前の、元々信仰していた自然信仰あるいは修験道から来ていると思われる。

《世界遺産は歴史のジグソーパズル》
 世界遺産の価値が条約で定義づけられているが、英語を直訳すると非常にわかりにくいので私なりにかみ砕いた表現をすると、『地球という一つの自然と、そこに住む70億の人々の、歴史のジグソーパズル』ということである。 このパズルは未完成であり、空いているところをどう埋めていくかを考えるのがユネスコ世界遺産委員会の役割。各遺産の登録申請書は、パズルの空いている部分を埋めるための一つの提案。世界遺産に優劣はつけられないし、価値は無限にある。 そしてこのジグソーパズル自体が、常に拡大し変化している。その中で鎌倉はどのピースを埋めていくかを考えなければならない。

 1992年までの10年間、世界遺産の審査を行ってきたフランス人の専門家が、10年間で感じたことを書いた文章の中で、「これまで石や煉瓦でできた遺跡の保全を考えてきたが、日本が世界遺産条約に批准したことで一つの転機を迎えた。 木造寺院を持つ日本が加わったことで、石や煉瓦をそのまま保存するという考え方を改める時期が来た」と言っていた。このように日本は、パズルを拡大させる役割も果たしてきた。

《世界文化遺産・鎌倉のメッセージは何か》
 海外の人が見た鎌倉の第一印象はどういうものかということも重要になる。審査をするのは日本人ではないため、日本人ならわかることも、外国の人に理解してもらえるとは限らない。 「サムライ」という言葉を使うかどうかも議論してきたし、他にもいろいろなキーワードが出てきたが、「武家」という言葉を外して鎌倉は語れない。鎌倉は武家の文化的伝統の発祥地であるし、それが今の日本にも息づいている。 禅や茶や流鏑馬という文化についても議論したが、これらは何かから派生したものであって、その骨格となるものは何かが重要である。

 武士が築いた鎌倉の都市は、他の世界遺産の都市に負けない特色を説明できるのか、という議論もした。「武家政権発足の地としての鎌倉、武家の文化的伝統を伝え支える鎌倉の文化とは何か」というと、 最終的に、政権のあり方から都市のつくりまで、武家社会において育まれた文化的諸相の総体として解釈をすることになった。

 鎌倉の文化を考える際に、お寺や神社や切通をまとめて一つの世界遺産として推薦することになったが、それらを武家文化の総体としてまとめられるバスケットが必要だった。 それが最終的に鎌倉の三方を囲む山になった。鎌倉の遺産の核となる寺社はすべて山に囲まれているため、山と一体として推薦していくことが決まった。

 世界遺産になっている都市のほとんどが、城壁に囲まれている。その一つがエルサレム。現在はエルサレムの周辺はイスラエルが街を築き実質支配している。しかも昔とはかなり姿が変わり、近代化している。 鎌倉の市街地が近代化してしまっているから世界遺産として認められない、ということにはならないであろう。

 鎌倉の場合は城壁のかわりに山に囲まれている。そして中央に広場があるわけではなく、谷の中に寺院や武士の住まいがある。これが最大の特徴ではないかと感じている。
 

武家の古都 鎌倉塾 平成23年度第3回 講演要旨

『鎌倉を護る龍神と高僧たち ―― 古都保存法と文化財保護法 ――』

講師:伊藤正義さん(鶴見大学文学部文化財学科教授)
とき:平成23年10月15日(土) ところ: 鎌倉芸術館


◎山の意味
 鎌倉世界遺産の国際会議で、「遺跡だけではなくて背後の山に大変な意味がある」とイコモスの専門家が提言した。なぜ西欧の人たちは山にこだわるのだろうか。 イギリスはナショナルトラストの発祥の地である。西欧の人たちにとっては、遺跡が単独であるというのではなくて、周りの農地とか山の中に文化財が点在しているというイメージの方が、強いのだろう。
 私は「鎌倉を護る周辺の山稜部は、鎌倉の人たちの龍神の龍体とみなしていた宗教的な結界で大変意味がある」と理解している。鎌倉の山稜部は、13世紀の後半から蒙古襲来に備え、鎌倉を護るための宗教的な結界と考えられていた。

朝夷奈切通
朝夷奈切通

◎文化財と保護法
 文化財が、それを護るために必要な自然的環境の中にある場合は、古都保存法で保護できる。文化財保護法とは別の価値付けである。世界遺産のコア部分は饅頭のあんこにあたる。 バッファーゾーンは皮の部分である。違う法律の体系を組み合わせて使って世界遺産に申請するのは、鎌倉で初めて使われた技術である。
 鎌倉の饅頭の中身は、文化財保護法と古都保存法がブレンドされたあんこだと考えればよい。粒あんと練りあんが混ざっているくらいのイメージである。 他の省庁の法律と文化庁の法律をジョイントして使っていかないと、これからは世界遺産のハードルがどんどん高くなっているので、日本では対応していけなくなるだろう。

◎鎌倉城論争
 頼朝は寿永二年(1183)、「寿永の十月宣旨」で後白河院から東国の支配権を認められるまでは、建前上は謀反人のままだった。その拠点であるから「鎌倉城」と呼んだのであって、建物の「城」ではない。 鎌倉幕府は国内では唯一ダントツにそびえ立っている軍事力である。国外にしか敵が想定できない。時宗たちが仮想敵国として考えていたのは、モンゴル以外はあり得ない。

◎海と源氏
 東国の源氏の軍事力の中心が陸軍と馬であって、西国の平家が船と海の武士団だとするとイメージしやすいが、頼朝が組織した南関東の武士たちはほとんどが、海に関係する武士が多かった。 由比ヶ浜に海の信仰と結びつく若宮を置いて、その観音様も習合していたというのは、あまり目立たないが、海との関係が非常に深かったということを示す源氏のもう一つの事例である。

◎地震と龍体
 鎌倉時代も非常に大きな地震があった。壊滅的な被害を受けた地震に対する恐怖が、日本の国土をどう護るかという、宗教者たちの考えにつながった。龍神が日本を護っているというモデルがあったと思う。

◎市民が守る龍神
 鎌倉の場合は、ほとんどのお寺にどんどん都市化が押し寄せてきて住宅と接している。そのためには、これから都市と共存・共生していく世界遺産というスタイルを鎌倉が切り開いていかないといけないということになる。 住民とちゃんと景観についての話し合いをして、合意を作りながら、都市と共存していく世界遺産というスタイルを作り出していくのだ、という以外に説明のしようがない。
 蒙古襲来の恐怖から、龍神が鎌倉を護ってくれた。ところが今度は、市民がその龍神を護る側に変わらなければならない。

◎市民トラスト運動
 行政に働きかけてやってもらう市民運動とは別ルートで、私は今、行政に頼らない市民運動、行政を動かそうとする市民運動にかかわっている。 市民トラスト運動がいずれ、この日本のトラスト運動発祥の地の鎌倉から、もう一皮むけて変身して、再出発できたら素晴らしいことだと思う。
 

第5回ワークショップ 開催報告

「住んでよく、訪れてよい鎌倉のまちづくり」

 平成23年11月27日(日)、鎌倉市役所811会議室で、推進協議会主催・ 鎌倉の世界遺産登録をめざす市民の会共催により、第5回ワークショップが開かれました。 参加者たちは交通、情報、まちの姿などの3テーマを論じる各テーブルに分かれ、 世界遺産都市としてのまちづくりに関して、熱心に話し合いました。
 今回は60名を超す参加者が集まり、ゲストの建長寺の高井正俊宗務総長や 井上蒲鉾店の牧田知江子社長も参加者と熱心に話され、市関係者も多数参加し、以下のような豊かな議論を残す催しとなりました。
「情報」について検討する各テーブル
「情報」について検討する各テーブル

【交通】
 ロードプライシングやパーク&ライドなどの車交通の抑制手法が語られました。それは折れ曲がりや狭い道の多い鎌倉の、歴史的なまちの構造を残して交通問題を解決する方策を検討するものです。
 高井さんは「鎌倉は頼朝時代から入り難くされてきた。渋滞は土日だけだと感じる。課金による渋滞緩和策はアジサイの咲く時期に、まず実験してみてはどうか。 お寺と学校が協力し歩道を拡げる声を上げたら」など前向きな意見を出されました。
 参加者からは「生活のしやすさ、緑保存をともに考える。交通状況を情報発信する。自転車環境や駐輪場の整備も進める、歩行者に優しいまちづくりを交通施策の原則に、車道を狭め歩道拡幅、低速度で安全を図る。短期と長期の目標を分ける。 環境税を取る。商店・社寺・交通システムの連携。人手を市民ボランティアに期待する」などの意見が出ました。

【情報】
 ハード分野では「鎌倉駅に今以上の規模の案内所を。ガイダンスセンターは小学生、博物館は高校生、大学生は文化財資料館と、学ぶレベルに合わせた施設を作る。 駅近くは入門レベル・遠い所は専門的施設に、御成小講堂をガイダンスセンターにし、出土文化財や歴史を学べる展示を」などの提案がありました。
 ソフト面ではインターネットの情報発信や鎌倉フィールドミュージアムの話に続き、「車椅子と歩む会がバリアフリーマップを作っている。手話ガイドをスマートホンで行うサービスも2月に始まる。 観光協会ではイヤホンで聞く観光案内を実験している。発信情報を既存団体からネット事業者に橋渡しする組織が必要。行政と事業者・観光協会・市民団体が協議する場を。 ネットの利点は双方向性なので市民訪問者の情報を集約する。個人的な観光ルートやお寺自身の紹介。市民・訪問者がつくる鎌倉マップ。基本的な外国語でweb検索を可能に。 人がガイドするボランティアガイドも重要。説明に訂正が必要な石碑もある。武家の古都アピールをもっとする。歴史・文化と同時に津波等の防災情報も提供する」などの意見が出ました。さらに「博物館を作ることはもう何年も話されてきた。 検討事項は色々あるが与えられた状況下で思い切りの一歩が必要」という意見も出されました。

【まちの姿】
 鎌倉のまちの品性や遺構の上に暮す鎌倉がとり上げられ、「世界遣産登録の意識がどの地域も低く冷めている。町並みに世界遺産にふさわしい統一感がない」 「武家の古都と言うが実質は寺社の町、寺社を中心に町が造られ、その延長上に今の町がある」などが指摘されました。
 それに対し、「歴史を生かすまちをどう実現するかが基本理念、長い歴史が醸成してきた町を考えるには多面的な議論が必要。多様な表情を持つ懐深さも重視したい。 旧市街地と周辺地城、用途地域見直し。公共施設の整備・有効利用。観光都市として市民に説得力あるまちの姿。文化財保護と観光行政、市民生活と商工業という対立の構造を作らない。観光の観念を変える。  鎌倉の文化・祭の保存発表。トラスト運動発祥地・侍精神。寺社との関係を地域の核に。関心を持つ人々の心を離さない。まちづくりも行政も利用しやすく分りやすく、清潔な町の実現」などが語られました。

【おわりに】
「世界に鎌倉をアピールするのが大事、そこから4県市一体の議論・協働が生れる。世界遺産登録は観光都市鎌倉が、積年の課題を解決する大きな機会」という意見も出されました。
 

めざせ世界遺産登録 あなたも参加団体で活動しませんか?

推進協議会の中心で活動 ・ 鎌倉市商店街連合会

 鎌倉市商店街連合会は昭和25年に、鎌倉市内の商店街の近代化並びに経営の合理化の推進、市内の商業の振興と市民の消費向上に寄与する事を目的に設立されました。 現在は30の商店街及び8店の大型店で構成されています。

 主な活動としては、商店街の催事事業や街路灯電気料の補助金の申請、著名な講師を招いての講演会、ラッピングやPOP文字等の技術講習会の開催、先進的な取り組みを行っている商店街等の視察、市内で開催される催事に対して共催・後援・協賛事業等を行っています。

 昨年発生した東日本大震災に対しては、各々の商店街が様々な形で支援活動を行い、鎌倉市商店街連合会としても加盟商店街に義援金を募り、被災地のいわき商工会議所に101 万円の義援金の寄付を行いました。

 世界遺産登録に関しては、連合会長が登録推進事業部会長として、前連合会長が推進協議会の理事として、また商店会長及び商店主の方々が立場を替えながら様々な形で、登録推進に協力をしています。
新春の挨拶をする奴田会長
新春の挨拶をする奴田連合会長
 
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地域の伝統文化を守る ・ 深沢地区連合町内会

 昭和31年に設立され、現在31の自治町内会で構成されています。地域の自治町内会の連絡協調を図り、地域社会の福祉増進事業や地域社会の発展に必要な事業を行っています。

 31回におよぶ伝統ある文化祭「芸能のつどい」は全町内が参加して芸能を披露し、皆様に親しまれています。また深沢地区の象徴のような地域祭「ふかさわ夏まつり」と「ふかさわ冬まつり」にも協力しています。 さらに、深沢地区社会福祉協議会が11月に開催する福祉バザーにも全面的に協力しています。

 昨年行われた『世界遺産登録推進のための深沢地区との意見交換会』には岩壁宗孝前連合町内会長等が出席し、世界遺産登録の重要な支えとなる地域の伝統文化・文化遺産の保護や住民の行事への取り組みを話されました。

 深沢地区には世界遺産の重要な構成資産である北条氏常盤亭跡(唯一の武家館)、大仏坂、仮粧坂周辺があります。周辺の環境とともに後世に守り伝えるため「常盤道普請の会」がつくられ、常盤亭周辺の清掃活動をしています。

 梅澤稔連合町内会長は、「伝統文化を守る活動をもっと推進していきたい」と話していました。

北条氏常盤亭跡付近の清掃活動
北条氏常盤亭跡付近の清掃活動
 

「古都鎌倉の世界遺産登録って」なに?

第22回 若宮大路はどんな道?

 治承四年(1180)に鎌倉に入った源頼朝は、それまで海寄り(現在の材木座)にあった鶴岡若宮を現在地に移し、これを中心としたまちづくりを進めました。この鶴岡八幡宮への参詣路として造られたのが若宮大路 (わかみやおおじ) です。 鎌倉時代に書かれた『吾妻鏡』 (あづまかがみ) には、妻の北条政子の安産祈願も兼ねて頼朝が自ら陣頭指揮をとって、若宮大路を造った様子が記されています。

 若宮大路の中央には、二の鳥居から北側に「段葛」 (だんかづら) と呼ばれる一段高い参道が築かれており、現在は、左右が石積みされています。両側の車道と歩道とともに世界遺産の候補資産範囲に入っています。

 鎌倉幕府や武士たちから篤く崇敬された鶴岡八幡宮ですが、幕府の公式行事が執り行われるなど、政治・儀礼の舞台としても重要な場所でした。 このため、若宮大路も神社の参道という役割に加え、都市・鎌倉のメインストリートという性格も併せ持っていました。若宮大路と交差する道や、平行に走る道が多いことからも、若宮大路を中心として都市・鎌倉が形づくられていることが分かります。

 このように鎌倉の成立・発展において、若宮大路は重要な役割を果たしていたのです。
 

News! the 世界遺産

第5回 世界遺産登録推進に向けての中学生作文コンクール

 平成19年、「中学生も世界遺産登録に参加しよう」という意気込みで始まった作文コンクールは5回を重ね、2000名以上の中学生が応募するというめざましい成果を挙げています。 その背景には、各中学校で鎌倉の歴史についての授業に力を入れていることや、各個人がインターネット等により情報収集し勉強していることがあるようです。 国内で(恐らく海外でも)初めての試みは、世界遺産都市・鎌倉に対する市内の中学生の皆さんの理解を深め、鎌倉の文化を後世にしっかりと継承していく方向を示すものとなっています。

 平成23年度の表彰式は、本年1月14日に市議会本会議場で行われました。以下に、最優秀賞の作文を掲載します。

「武家の古都・鎌倉」の価値は何か?

横浜国立大学附属鎌倉中学校 3年 古正 茉莉亜

 武家の文化・生き様を表わす言葉に、「質実剛健」があります。質実剛健とは、質素ながらも中身が充実し、心身ともに強くたくましい様を言います。 武家や禅宗に代表される鎌倉時代の気風を表現するのに、これほどふさわしい言葉はありません。

 2011年3月11日の東日本大震災を機に、日本のすべてが変わったと言っても過言ではありません。日本はおろか世界中が、文明の発達に依存した生活を見直す必要にかられました。 物にあふれた贅沢な暮らしが当たり前となった世の中で、改めて命の尊さ、物の大切さを思い知る出来事でした。そんな今こそ、質実剛健を旨とする鎌倉の武家精神を、世界中に発信すべき時ではないでしょうか。

 今年、岩手県の平泉が世界文化遺産に登録されました。それは「仏の住む極楽浄土」を表現する建築群が、後世に残すべき価値あるものと世界中から認められたことを意味します。世界遺産に登録されるには、 「人類が共有すべき顕著な普遍的価値」を持つものと認められなくてはなりません。それでは、鎌倉の普遍的価値とは何でしょうか。

 アメリカのオバマ大統領は昨年サミットの合間に鎌倉の大仏を訪れましたが、この訪問は大統領たっての願いで実現したと聞きます。鎌倉の何が、オバマ大統領をそこまで引きつけたのでしょうか。

 鎌倉の大仏は、「露座の大仏」として知られています。大仏殿は明応の大地震で津波により流されてしまいました。しかしそれにも関わらず、大仏様は風雨に晒されながらも、 数百年前からの鎌倉武士の気風を私たちに教えてくれます。建長寺や円覚寺といった禅宗寺院、また鶴岡八幡宮や切通などの歴史遺産も、戦争や災害の痕跡を残しつつ、質素で堅実な文化を現代に伝えています。 環境破壊が叫ばれる今こそ、現代社会への警鐘として、武家社会が伝承する人間本来の在るべき姿を世界へと発信すべきではないでしょうか。

 東日本大震災により、自然をも支配できると考えていた人間の愚かさが明らかになりました。私たちはもう一度、原点に立ち返るべきです。鎌倉が世界遺産となることで、 慎ましくも豊かな伝統に育まれた武家文化の素晴らしさを、世界中に伝えることができるのではないでしょうか。

 かつて鎌倉武士は、西国が中心だった時代に、東国で初めての幕府を自分たちの手で築き上げました。世界遺産登録に街が一丸となることで市民の団結力も生まれ、新しい時代の街造りもできるはずです。

 形としての歴史遺産だけでなく、目に見えないながらも脈々と伝えられてきた武家精神こそ、古都・鎌倉が世界に誇る、真に価値あるものだと思います。
 

Event! the 世界遺産

鎌倉世界遺産登録推進協議会主催・いざかまくらトラスト共催/シンポジウム&写真展
シンポジウム 「鎌倉と平泉の歴史と文化〜頼朝と義経をめぐって」

 藤原三代の栄華の地である平泉の世界遺産は、奥州合戦の際に平泉を訪れた源頼朝に大きな感銘を与えました。 頼朝は中尊寺や毛越寺などの文化遺産を損なうことなく寺と僧侶をともに手厚く保護しました。 鎌倉に戻ってから戦没者を弔うために、二階堂の地に永福寺を建立します。
 今回は、平泉の文化遺産の紹介と、鎌倉と平泉の文化遺産の歴史について学びます。

《プログラム》
(1)講演「世界遺産・平泉の文化遺産」 講師:元・平泉町世界遺産推進室 八重樫忠郎さん
(2)パネル・ディスカッション「鎌倉と平泉の歴史と文化 〜頼朝と義経をめぐって」
  パネリスト:八重樫忠郎さん(講演者)、本郷和人さん(東京大学史料編纂所准教授)
 コーディネーター:伊藤正義さん(鶴見大学文学部文化財学科教授)

とき:平成24年6月3日(日)午後1時30分〜4時30分(午後1時受付開姶)
ところ: 鎌倉商工会議所ホール
定 員:150名 参加費:無料 
申込み方法:はがき、FAX、Eメールで、 (1)氏名 (2)住所 (3)連絡先を記入して、
下記 推進協議会事務局(鎌倉市世界遺産登録推進担当)まで。
 
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写真展 『世界遺産・平泉』と『武家の古都・鎌倉』

  東日本で花開いた平泉の浄土思想に基づく文化遺産。その荘厳さは京都の公家文化に劣らないものと、鎌倉から遠征した 武家たちを感嘆させます。やがて源頼朝に始まる武家政権は、鎌倉を武家の都として武家文化を創出し、 その後の日本文化を形づくっていきました。
 これら平泉と鎌倉の文化遺産を一堂に会した写真展を開催します。

とき: 平成24年6月6日(水)〜12日(火)
ところ: 鎌倉生涯学習センター1階ロビー 
参加費: 入場無料

 

鎌倉市民同窓会主催・鎌倉世界遺産登録推進協議会共催
緊急フォーラム 「鎌倉の文化遺産を大災害からいかに守るか」

 東日本大震災に学び、鎌倉の文化遺産の防・減災策を議論します。

基調講演:柴山知也氏(早稲田大学教授)・木下直之氏(東京大学教授) ※パネルトークもあり

とき: 平成24年6月16日(土)午後1時30分〜4時30分
ところ: 高徳院(鎌倉大仏)客殿
定員: 100名(先着順) 参加費: 500円  後援: 鎌倉市、鎌倉風致保存会
申込方法: メール(fuhchi@fsinet.or.jp)またはファックス(0467-23-6631)で、鎌倉風致保存会まで。


EDITOR'S NOTE    編集後記

 日本政府からユネスコへ世界文化遺産の推薦書が正式に提出されました。それに基づきユネスコのイコモスによる鎌倉の現地調査が行われます。この時期では国内だけではなく、外国にも、もっと積極的に働きかける必要があります。
 世界文化遺産では日本を代表する稲葉信子さんの講演にもありましたが、世界文化遺産・鎌倉からのメッセージを私たち市民も鎌倉に来る国内外の人に、それぞれ発信したいものです。
 推進協議会の諸事業も神奈川県・横浜・鎌倉・逗子の4県市の体制で実施していますが、各地の行政や市民の取り組みの様子を紹介することになり、今回は逗子市の名越切通の整備の様子を掲載しました。
 イコモスの現地調査には、資産の保存管理状況などについて、行政だけではなく、市民の協力も重要な要素として見るようです。推進協議会の事業や参加団体の一層の活動が期待されます。

広報部会長 内海恒雄

鎌倉世界遺産登録インフォメーション&放送スケジュール

  • インターネット   鎌倉世界遺産登録推進協議会HP  http: // www. shonan-it.org/KWH-kyogikai/
  • FMラジオ     鎌倉FM(82.8MHz)…… 毎週金曜 19 : 10 〜 19 : 30 「鎌倉世界遺産への道」
  • ケーブルテレビ  JCN 鎌倉 … 毎週木曜 17 : 10 〜(当日再放送あり) 7 Days デイリー「一問一答!鎌倉検定の道」

鎌倉世界遺産登録推進協議会 事務局
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