鎌倉世界遺産登録推進協議会
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武家の古都・鎌倉ニュース第24号  夏号/Summer 2012

 

■ 平成24年度総会を開催 ■
「みんなでつくる世界遺産のまち鎌倉」を活動方針に

 4月27日(金)、鎌倉商工会議所ホールにおいて、鎌倉世界遺産登録推進協議会(以下「推進協議会」)の平成24年度総会を開催しました。
 冒頭に、副会長に新しく宮崎緑さん(千葉商科大学政策情報学部長)、兵藤芳朗さん(公益財団法人鎌倉風致保存会理事長)の就任が報告されました。


【松尾崇(鎌倉市長)推進協議会会長から抱負】
総会第1部より。松尾会長から挨拶
総会第1部より。松尾会長から挨拶
 総会開会に際し、松尾会長から挨拶があり、「みんなでつくる世界遺産のまち鎌倉」を新たにキャッチフレーズとして定め、市民行政一体となって鎌倉の世界遺産登録と文化遺産の保全をめざしていく方針を話しました。
 平成24年1月に日本国政府からユネスコへ正式に推薦書が提出され、今年夏から秋ごろに、世界遺産登録の可否に大きく影響を与えるイコモス(国際記念物遺跡会議)の現地調査が行われます。
 松尾会長は「世界遺産登録へ向けいよいよ大詰めの段階を迎え、市民と協働して登録への機運を盛り上げていくことが重要。そのために、全市的なまちづくりに繋がっていくキャンペーンの展開を図っていきたい」と述べました。
 また「世界遺産に登録された後を見据えた活動を行っていくべき」と、継続的な鎌倉の遺産の保全を強調しました。

【平成23年度事業報告】
 出席役員の紹介の後、議事は松尾会長によって進められ、内海恒雄広報部会長が映像を交えて平成23年度事業について報告しました。
 日本文学研究者のドナルド・キーンさんをお招きした「鎌倉を語る」シンポジウムをはじめ、コンクール・講座など主催・共催したイベントは19を数え、市内外から多くの方々が参加されました。
 また、グッズ等を活用した広報活動についても報告がありました。続いて事務局より決算報告、深山照世監事より平成23年度の監査報告があり、いずれも承認されました。

【平成24年度事業計画】
 奴田不二夫登録推進事業部会長が平成24年度の事業計画について説明しました。今年度はイコモスの視察が予定されていることを踏まえ、より充実した活動を展開していく方針であることを話しました。
 事業計画の説明に加え、鎌倉の走るランドマークとして人気の江ノ電「世界遺産号」運行などについても報告がありました。続いて、事務局より平成24年度の収支予算について説明があり、承認されました。

【「武家の古都・鎌倉」について講演】
 次に、神奈川県教育委員会文化遺産課の桝渕規彰さんから世界文化遺産に推薦された「武家の古都・鎌倉」の概要について講演がありました。
 「これらの歴史的な資産を未来に残すためには、市民との連携・協力が不可欠。今年の現地調査に向けて、より一層協働体制を強めたい」と市民と一体となった登録推進の必要性をアピールしました。

《今後のスケジュール》
▼ユネスコのスケジュール

(1)平成24年夏〜秋

ユネスコの諮問機関であるイコモスから調査官が鎌倉を訪れ、現地調査を行います。
(2)平成25年7月頃

  調査結果を踏まえ、世界遺産委員会が登録の可否を審査します。

▼鎌倉市の取り組み

● 鎌倉市後期実施計画(平成24年度〜27年度)で、世界遺産登録が市の主要事業に位置づけられました。

世界遺産ガイダンス施設の早期設置に取り組むなど力を入れています。

世界遺産ガイダンス施設とは…世界遺産の登録資産に関する情報を広く提供するとともに、埋蔵文化財の展示機能も備える計画です。


 

◆ ユネスコ事務局長イリーナ・ボコバさん来日 ◆
世界遺産登録は保護管理の長い闘いの第一歩


ユネスコ事務局長イリーナ・ボコバさん
ユネスコ事務局長イリーナ・ボコバさん
 本年2月に来日したブルガリアのイリーナ・ボコバ・ユネスコ事務局長が東京で行われた講演会で、ユネスコの現状、展望について語り、来年夏に登録の可否が決まる鎌倉についても言及しました。
 平泉の世界遺産認定書授与式と世界遺産条約採択40周年記念開幕式に出席するための来日です。講演発言要旨をお伝えします。


《世界遺産条約40周年》
今年採択40周年の世界遺産条約を支えるのは、普遍的な価値を認識し遺産を人類共通の公益として保護していくという理念です。今日まで153ヵ国以上の936ヵ所の文化遺産および自然遺産が、ユネスコの世界遺産として登録されています。
 記念事業の締めくくりとして京都で11月にセレモニーが開かれます。保護の実践例の紹介、地元住民を動員する力などについて話し合う良い機会になると思います。

《絆(きずな)の再生》
 平泉を含めて紛争や災害後にいかに遺産を守るかということに尽力しています。平泉を訪れたとき、文化遺産がいかに癒しの力になるかということを知り、感銘を受けました。文化遺産には分断されてしまった人々の絆を再生する力があります。
 人間の尊厳や復興のための力の源泉でもあります。多くの人が尊厳の源としての遺産に依存しています。これこそわれわれが考える文化の重要な構成要素であることを示しています。

《文化と開発》
 社会の中にある文化の側面に敏感でない開発政策が、人々の心に訴えることはありません。尊厳やより良き将来に対しての憧れは、それぞれの社会の文化という脈絡の中で表現されます。
 こうした文化の側面にアクセスすることなく、また全員の参画がなければ、開発の本当の意味でのビジョンは持続可能な形で担保されません。物質的な開発の側面と文化的側面の分断は、持続可能な開発にとって障害に他なりません。

《世界遺産登録》
 世界各地に登録に値する遺跡はたくさんあります。その国の人材・能力はどうであるか、登録文書をきちんと作成・提出できるのか、保存管理計画が作れるのか、その計画を実行できるのかが登録には問われます。
 本当に大変なのは、その遺跡の保護・保全です。登録は単にスタートであり、その後に素晴らしい冒険の旅があります。この意味では1000件に近付いている世界遺産のリストの制限は、必要ないのではないでしょうか。

《自然災害の脅威から守る》
 日本からは富士山と鎌倉が推薦されました。鎌倉はHome of the Samuraiです。世界遺産登録は住民の誇りです。
 また世界遺産条約への信頼性を保っていくためには、クライテリア(評価基準)のスタンダードを高く保っていくことと、人的資源に欠ける国々を支援することが必要でリストの地域的な均衡を図っていきたいと思います。
 また気候変動、洪水、地震、干ばつなど新たな脅威の中で、世界遺産を守らなくてはいけません。
 

■ 鎌倉まつり恒例 ■
《寺社特別拝観めぐり》

 今年も鎌倉まつりのパレード参加とともに、推進協議会広報部会長の内海恒雄さんの案内により、鎌倉の世界遺産候補地をめぐる寺社特別拝観めぐりを開催しました。寺社本来の在り方に配慮した拝観の心得を守り、より望ましい特別拝観を実施して、毎年好評です。
 今回の日程は次のとおり。特別拝観は太字で示しています。

【4月 9日】 寿福寺 仏殿の釈迦三尊像等 浄光明寺 阿弥陀三尊像、覚賢和尚の墓
【4月10日】 建長寺 仏殿・法堂・方丈等、山門の釈迦如来・羅漢像、回春院の文殊菩薩・仏覚禅師像、禅居院の聖観音・大鑑禅師像等
【4月11日】 高徳院 大仏・観月堂、庭園 大仏切通・北条氏常盤亭跡(雨天中止)
【4月12日】 覚園寺 愛染堂の愛染明王像、薬師堂の薬師三尊像、地蔵堂の黒地蔵像等、千躰地蔵堂の千躰地蔵像 永福寺跡 瑞泉寺仏殿の釈迦如釆・千手観音像等、どこも(苦)地蔵、庭園
【4月13日】 極楽寺本堂の不動明王・文殊菩薩像、転法輪殿の釈迦如来・十大弟子像等、西方寺跡の石塔群、上杉憲方墓
建長寺境内
建長寺境内

 

◆ もっと知ろう、世界遺産 《第5弾》 鎌倉まつり講演会 ◆
「武家の古都・鎌倉」の今  〜世界文化遺産登録の最前線〜

講師:岡田保良さん
講師:岡田保良さん
 平成24年4月14日(土)、鎌倉生涯学習センターホールで鎌倉まつり講演会が行われ、世界遺産に深く関わる岡田保良さん(国士舘大学イラク古代文化研究所所長)のお話を伺いました。
 以下は岡田さんの講演要旨です。


《世界遺産はこうして決められる》
 世界遺産とは、ユネスコが条約に基づいて「世界遺産一覧表」に載せたもので、それには文化遺産、自然遺産、そして複合遺産がある。鎌倉が該当する文化遺産とは、歴史的あるいは芸術的な記念的工作物、都市や集落の建物が織りなす景観、考古遺跡など人間の営みを記した土地、などである。
 それらに該当する遺産の、「顕著な普遍的価値」がユネスコの世界遺産委員会で認められて遺産登録となる。委員会は21ヵ国の委員によって構成され、2年ごとに改選される。登録に至る手順は以下の通りとなる。
●当事国が推薦書をユネスコに提出
●ユネスコから候補遺産の審査がイコモスに委託される
●イコモスは審査結果を委員会に勧告
●委員会はそれに拠って、「登録」「不登録」のほか「情報照会」そして「登録延期」の決定を下す。
 「情報照会」とは情報が少し足りないと判断されたもの、「登録延期」とされた場合は、改めて推薦書を提出しなければ審査されない。昨年登録された平泉がその例である。
 鎌倉の場合はすでに本年1月に推薦書を提出、イコモスの審査と来年の世界遺産委員会の決定を待つばかりである。
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《鎌倉の推薦書提出までの流れ》
 1992年、「古都鎌倉の寺院・神社ほか」として、暫定一覧表に記載されたが、推薦書提出へ向けての動きが盛り上がってきたのは、2007年に4県市合同の推進会議が設置されたころからである。
 鎌倉には武家政権に関わる資産が数多く点在しているという捉え方に加え、特に2009年から4度の国際会議が持たれる中で、文化財と山稜部との一体性が強いという見解、すなわち点から面へという見方に発展し、鎌倉の文化遺産の価値を以下のように捉えて、2012年、「武家の古都・鎌倉」として推薦書が提出された。
 鎌倉の「顕著な普遍的価値」とは、そこが貴族政権から武家政権へという大変革をもたらした場所であり、後背の山稜地と一体となった寺社などが、総体として武家文化を生み出したことを示す証拠となること、である。
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《「武家の古都・鎌倉」はこうして守られる》
 遺産登録とは文化財の保存が将来にわたって担保されることを世界に向けて約束し宣言することであり、当事国はその責任を負うことになる。鎌倉の文化財は法律的には文化財保護法だけではなく、主として山稜部が対象になる古都保存法に拠っても保護されることになる。それは世界遺産を構成資産と緩衝地帯の総体とする捉え方に即している。古都保存法の適用は従来の文化財の保護にない画期的な点である。
 さらに世界遺産の保存には「包括的保存管理計画」が要請される。複数の文化財や史跡などを包括した総合的な保存対策で、例えば交通渋滞などの影響や増加が予測される観光客対策などである。文化財の保存対策は、条約に基づいて5年か6年に一度ユネスコに報告する義務があり、将来に亘って目標が達成されているか、検証されることになる。
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《世界遺産条約40周年、日本加盟20周年を迎えて》
 本年現在、文化遺産725、自然遺産183、複合遺産28に及び、様々な問題も生じてきている。
 今回の鎌倉・富士山に続いて、長崎の教会群や九州・山口の近代化産業遺跡群など、日本の暫定一覧表には多数の候補が並んでいるが、世界にも多くの候補資産がある。しかし審査が厳しい割には審査の過程が不透明、先進国とアジア・アフリカ諸国と落差が埋まらない、誰にでも理解できるものが少なくなって、価値の説明づけが難しくなった、などの問題がある。
 また厳密な審査を経てのイコモスの勧告が、委員会で情緒的な雰囲気によって覆されることがあり、そのために登録遺産の価値があいまいになってしまうことや資金不足であることなど、多くの課題がある。
 本年11月、外務省がユネスコの主要な人材などを招聘して、将来の世界遺産の課題を考え、日本から世界に向けて宣言を発信する予定となっている。価値基準の問題を含めて新たな方向性が出せるか、皆さんの関心を期待し、支援もお願いしたい。
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 当日は、恒例となった「世界遺産登録に向けての中学生作文コンクール」最優秀作品の朗読(ビデオ出演)や、県立鎌倉高校の「かまくら学」研究成果発表、鎌倉市文化財課の福田誠さんによる史跡永福寺跡の調査と整備についての報告もありました。
 

◆ 講演とパネルディスカッション ◆ 鎌倉世界遺産登録推進協議会主催 ◆
「鎌倉と平泉の歴史と文化 〜頼朝と義経をめぐって」

 平成24年6月3日(日)、鎌倉世界遺産登録推進協議会主催・いざかまくらトラスト共催で、世界遺産・平泉に学ぶシンポジウムが開かれました。
 世界遺産登録実現に力を尽くされた元・平泉町世界遺産推進室の八重樫忠郎さんの基調講演のあと、大河ドラマ「平清盛」で時代考証を担当されている本郷和人・東京大学史料編纂所教授と伊藤正義・鶴見大学教授(コーディネーター)が参加して、会場の質問に答えるパネルディスカッションが行われました。
 以下は講演とパネルディスカッションの要旨です。


■ 八重樫忠郎さん講演 ■
◎「世界遺産・平泉」
 お陰様で平泉は世界遺産に登録されたが、学生のころから鎌倉をよく知っている私としては、鎌倉こそが登録されるべきであると思っている。世界遺産と鎌倉の話をしてみたい。
 平泉の四代藤原泰衡は、源頼朝と戦ってさらし首となった。その首は、藤原三代のご遺体(ミイラ)とともに、今も金色堂に納められている。その首桶の中には、たくさんのハスの種が入っていた。現在の科学力によってその種は、発芽し平成10年に開花している。現代に蘇ったこのハスは、「中尊寺ハス」と名付けられ、平泉のシンボルとなった。
 記録によれば、前九年合戦、後三年合戦、そして平泉藤原氏を滅ぼした奥州文治合戦によって、源氏は武家の棟梁の地位を確立したという。その後三年合戦絵巻の中、八幡太郎義家の後ろに編み笠をかぶりひっそりと立っているのが、平泉の開祖、藤原清衡といわれる。清衡は、源氏が去った後、戦争責任を一身に背負うことになり、自らの肉親を失ったこと以上に荒廃した大地を見て、悔恨の念を抱き、深く仏教に傾倒し、中尊寺建立へと向かっている。
 『中尊寺建立供養願文』には、「官軍夷虜之死」を弔うとあり、敵味方を差別しない供養が、鎌倉に先立って行われた。世界遺産として評価された点である。そのような寺院群の荘厳に触発され、平泉から帰った頼朝は、永福寺を建立した。

◎住民との合意形成
 世界遺産に関して多く方々が視察に訪れるが、どこでも問題視しているのが、住民との合意形成である。平成13年に世界遺産暫定リストに登載されて以来、それらについて努めてきたが、特に景観条例の検討委員会は紛糾した。それでも検討開始以来2年を過ぎたあたりから軟化をはじめ、「子供たちの将来に良い景観を残せるならば、条例による規制をあえて受けよう」という声が上がり、現在に至っている。

■ パネル・ディスカッション ■
伊藤 平泉と鎌倉をつなぐキーパーソンは頼朝と義経。藤原秀衡はなぜ、義経を受け入れたのか?
本郷 日本は一つの国だと思っているが、鎌倉時代はひとつではない。現在、2つの学説がある。ひとつは京都の「権門体制論」でひとつの王権、上に天皇がいて、その下に武家と公家、寺家があるというもの。これに対して「東国国家論」というのは、二つの王権で、東に将軍、西に天皇が並び立っているというもの。
 私は、これを三つの王権論に進化させられると気づいた。西と東と北、それがずっと続いて、豊臣秀吉の天下統一のときか、あるいはもっと下って戊辰戦争まで続く。義経は源氏の貴種で、貴種は大切にされたが、頼朝と袂を分ったあとも受け入れたのは、いずれ平泉は頼朝と雌雄を決する時がくると覚悟していたのかもしれない。
八重樫 国内で初めて登録延期になった時、がっくりして帰ってきた私を、世界遺産に反対していた人達が率先して慰め、どうすれば登録されるのかと聞いてきた。あの時以降、町は本当に一つになって登録に向かっていったと感じている。
伊藤 頼朝は平泉の政権の雛形や遺産を持って帰って鎌倉幕府の基礎を作った。平泉は鎌倉の兄だ。皆さんにぜひお願いしたいのは、平泉に行って、今、平泉の町がいかにきれいで素晴らしい「世界遺産のまちづくり」をしているか、学んできてほしい。

パネル・ディスカッション風景
(左上)「パネル・ディスカッション風景」 と (右下)写真展:コラボ企画として、
『世界遺産・平泉』と『武家の古都・鎌倉』の写真展を きらら鎌倉のロビーで開催しました。
(6月6日−12日)

 

武家の古都 鎌倉塾 平成23年度第4回講演要旨
『「武家の古都・鎌倉」のこれから』

講師:阿部能久さん(鎌倉市世界遺産登録推進担当 学芸員)
とき:平成23年11月5日(土) ところ: 鎌倉芸術館

◎鎌倉の再認識
 「武家の古都・鎌倉」というのは鎌倉時代で終わったわけではない。以前は1333年に鎌倉幕府が滅び、鎌倉はそのまま衰退していったと思われがちなところがあったが、考古学的な成果も含む1980年代以降の研究の進展によって、室町時代の鎌倉が鎌倉時代同様、あるいはそれ以上に繁栄していた可能性があることがわかってきた。
 室町時代の鎌倉の実像がうかがえる興味深い史料として、1471年に李氏朝鮮の領議政(宰相)であった申叔舟(シンスクチュ)が編纂した『海東諸国紀』がある。その中の地図では、鎌倉は「日本国都」である京都と同様に丸く強調して描かれており、当時鎌倉が京都とならぶ日本の都として、朝鮮においても認識されていたことがわかる。
 また『海東諸国紀』中の「日本国紀」には、幕府将軍足利氏の一族で、鎌倉の主(鎌倉公方)であった足利成氏が幕府に反旗を翻して20年近くが経つが、幕府将軍がこれを打倒することができないでいるという、現在の日本でもあまり知られていないような歴史的事実がきちんと記されている。しかも成氏のことを「鎌倉殿」と記している点も注目される。
 このように、いまでは忘れ去られた存在となってしまった「室町時代の鎌倉」も、当時はその様子が海外に伝わる程であったという事実に、いま一度目を向ける必要があるのではないか。

◎室町時代の鎌倉
 室町幕府の施政方針が書かれた「建武式目」の冒頭で、幕府を京都と鎌倉のどちらに置くかについて書かれており、当時の鎌倉が東国の首都的な機能を有し続けていたことを如実に物語っている。結局幕府は京都に置かれるが、当時はまだ南北朝争乱の最中であり、鎌倉の押さえも重要であった。そこで足利尊氏の息子で、2代将軍義詮の同母弟である基氏が、関東を管轄する初代の鎌倉公方となった。
 この鎌倉公方がトップに立つ鎌倉府は、「関東を支配するための幕府の機関」という説明がよくされるが、実は幕府の他の地方支配機関とは大きく性格が違っていた。その管轄国は関八州と伊豆・甲斐の10か国におよび、1392年以降には更に陸奥・出羽が管轄下に入り、ほぼ東日本全体を支配することとなった。これは幕府の単なる一機関というよりは、幕府に匹敵する存在であったといってよい。また、トップが「公方」すなわち将軍と呼ばれ、その補佐役が幕府同様に「管領」とされている点からも、鎌倉府の権限の大きさがうかがえる。
 しかしその権限の大きさのために、幕府将軍と鎌倉公方の対立が代々にわたって起こるようになる。4代目公方持氏の時期になると、その対立は抜き差しならないものとなり、1416年の上杉禅秀の乱、そして1438年の永享の乱といった大乱へとつながっていく。
伝足利持氏供養塔
伝足利持氏供養塔
(紙良輔氏提供)

 永享の乱の結果、鎌倉公方持氏は敗死し、一旦鎌倉公方は断絶するが、持氏を滅亡に追い込んだ将軍義教が嘉吉の乱で暗殺されたこともあって、持氏遺児の成氏を新たな公方として、鎌倉府は再興されることとなる。しかし公方と、幕府を後ろ盾とする関東管領上杉氏との対立が続き、1454年に公方成氏が関東管領上杉憲忠を暗殺するに至る。これに端を発する享徳の乱の渦中で成氏は鎌倉を離れ、それ以降、鎌倉は次第に衰退していくこととなる。

◎「武家の古都・鎌倉」の連続性とこれから
 このように、「室町時代の鎌倉」も、鎌倉時代に引き続き「武家の都」であった。もちろん鎌倉にとって、鎌倉時代が一番輝かしい時代であることは間違いないが、その後断絶して今の我々があるわけではない。
 鎌倉時代以後の歴史があって今に至るというところにも、目を配っていく必要があるのではないかと思う。例えば鎌倉府の儀礼について書かれた『鎌倉年中行事』という書物からは、現在も京都でみられる山鉾が巡行するような祇園祭が、当時鎌倉でも行われていたことがうかがえる。
 このような史実が鎌倉にあったということを正しく理解することも、今後「武家の古都・鎌倉」を指針とするまちづくりにおいて重要な意味をもつのではないか。

 

◆ 講演とシンポジウム 「大倉幕府と周辺遺跡群の価値 ―世界遺産登録に向けて― 」  ◆
五味文彦さん講演「大倉御所とその周辺」

 ユネスコへの鎌倉の推薦に尽力された文化庁文化審議会委員長の五味文彦さん(東大名誉教授)を迎えて3月17日(土)、大倉幕府と周辺遺跡群についての緊急シンポジウムが開かれました。
 大倉御所周辺遺跡(元治苑跡地)の開発問題をきっかけに、大倉御所と周辺遺跡全体の価値を考え保存の在り方を探ろうとする試みです。日本考古学協会の馬淵和雄さんが大倉御所跡と周辺遺跡の保存可能性を検証し、清泉女子大名誉教授の梅津尚志さんが住民を代表してシンポジウムに参加しました。(コーディネーターは推進協議会広報部会長の内海恒雄さん)。
 以下、五味さんの講演要旨です。

◎頼朝の御所の形成と鎌倉の整備
 初期の武家政権、武家文化を評価付けする上で重要なことは、頼朝の出発点である治承四年(1180)を基軸に10年ごとの変化を捉え、大倉御所の位置付けを明確にしていくことだ。出発点は『吾妻鏡』と同じで、「伊豆の北条館」はそのほぼ10年前、1170年頃に造られている。これは、平泉の柳之御所と同じ時期である。
 大倉御所の直接の前提は頼朝の父「義朝の亀谷館」で、今の寿福寺辺りという。また頼朝は鎌倉に入る前に、亡兄「朝長の松田館」に修理を加えさせている。柱間が25間あって広大だった。この3つの館が基軸になって、大倉御所があり、大倉幕府の形ができた。
 治承四年10月11日に政子が鎌倉入りし、12日に鶴岡八幡宮を現在地に遷す。大倉御所内には小御所、厩、寝殿、西侍、政所、公文所が造られた。奥州合戦が終わると奥州から良い馬がたくさん入ってくるようになり、厩がさらに造られている。永福寺は、奥州合戦の怨霊を弔う目的で建立したが、大長寿院を模して二階堂が造られた。この段階ぐらいまでが館が次第に広がりながら、形が整えられた段階である。

◎幕府再建 武家文化の展開と周辺遺跡群
 建久元年(1190)、頼朝の上洛を機に武家政権としての自信を得たことから、京都の文化を取り入れるようになる。建久二年の鎌倉大火で幕府も鶴岡八幡宮も焼けてしまったが、これが鎌倉の御所の新しい展開になり、若宮造営では、上宮をあらたに石清水八幡宮から勧請した。それまでは先祖の頼義が私的に勧請したものの延長上だったが、鶴岡八幡宮を公に勧請したのである。
 建久二年、頼朝は御所に南門を建てる。大倉御所の機能では南門というのは非常に重要であった。南門の外で行列を整える。南門の外には広場のようなところがあったのだろう。その位置を考えるうえで想像力はとても大事である。そのためには鎌倉だけでなく、隣の地域はどのようであったかなどを研究していくことだ。鎌倉幕府の全体像を知ってこそ想像力が生まれる。
 また建久二年には御行始(おなりはじめ)があって、大倉御所近くの八田右衛門尉の家に行ったとある。それがどこか。いつの時期の建物か。いつ壊れたのか。これらが明確に見えてくると確証になる。奉行、問注所が郭外に建てられたとあり、大倉御所のすぐ近くと考えられる。これも重要な記事で、周辺遺跡の問題と考える。御所という郭があって周辺の遺跡がある。郭の取り方により、二重三重の同心円的構造を御所は持っているという風に考えていいのかも知れない。

◎和田合戦と新御所再建〜大倉御所の終焉
 頼朝が亡くなった後、建仁三年(1203)の記事に、大倉御所が出てくる。頼朝の遺跡で、後家の政子が住んだ。その後の和田合戦の描写でも、南門は重要な攻防の拠点になっている。和田合戦で御所が焼けてしまうので再び御所が造られる。ここでまた新しい段階になる。
 建暦三年(1213)7月9日に、神主にお祓いをしてもらって地鎮祭が行われる。そこに中門を建てる。基本的には玄関である。中門ができるということは、門が南にはなくなる一方、西と東に必ずできる。それが西御門、東御門という地名として残っている。現在に残ってくるのはこの段階のもので、それがそのままなのかどうかはっきりしないが、そういう名残が西御門や東御門である。南御門は残っていない。政子の死後、北条泰時が御所を宇津宮辻子(うつのみやずし)に遷し、大倉御所は終焉を迎える。

【シンポジウム発言】
 国指定史跡になるためには、遺物、遺跡、遺構の性格がきちっと定められることが必要最小限のことだ。何よりもしっかり史跡にするという強い意思がなくてはならない。市民を積極的に巻き込んでいくような人、これを何とかするのだという人が行政にも必要だ。特に行政が市民の力をいかにして結集していけるかにかかっている。
 全体で考えると大倉御所が原点になっているわけだから、現代にまで関わる歴史の力、地域の力みたいなものを行政と住民が一緒になって掘りだして、次へと向かってほしいと思う。
 

めざせ世界遺産登録   あなたも参加団体で活動しませんか?

世界遺産への意識を高める・鎌倉ロータリークラブ

 ロータリーとは、1905年アメリカに始まった世界最初の奉仕クラブ組織です。世界各地に2万を超えるクラブがあり、さまざまな職業に携わる120万人を超えるロータリアンが職業奉仕、社会奉仕そして国際親善を旨として活動しています。鎌倉ロータリークラブはその中のひとつのクラブで、昨年で創立50周年を迎えました。
鎌倉ロータリークラブ活動風景
活動風景
 1週間に1回の例会では60名余りの会員が集い、勉強会やそれぞれの現況報告など行っていて、会員相互の親睦も図っています。鎌倉クラブの奉仕活動としては、昨年の震災時に復興資金援助はもとより、被災地の子供たちにサブレーを贈り、またトラックを贈呈しました。そのほか景観を守るための植樹、海浜清掃などにも力を入れています。
 世界遺産登録のための意識を高めるためには、年に1〜2回有識者による卓話をお願いして、基本知識から最新の情報まで得るようにしているとのこと。これからも活動の中で、世界遺産登録を応援していく予定だそうです。
 
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「武家の古都・鎌倉新聞」でPR!・神奈川新聞社

鎌倉幕府の盛衰をシリーズで紹介している「武家の古都・鎌倉新聞」
鎌倉幕府の盛衰をシリーズで紹介している
「武家の古都・鎌倉新聞」
 神奈川で唯一の地方紙・神奈川新聞。読者の関心が高い鎌倉の世界遺産登録に関する報道を充実させる目的で昨年8月、参加団体に仲間入りしました。
 貴重な歴史的遺産を後世に継承していくためには、遺産の価値を知ってもらう必要があります。その一助として、今年1月から「武家の古都・鎌倉新聞」を編集しています。
 毎月第2金曜日、紙面1ページを使い、全12回シリーズで鎌倉幕府の誕生から滅亡までを紹介する企画特集です。「武家の古都・鎌倉」の意義や歴史を広く知ってもらうため、鎌倉市内の公立中学生には掲載紙を無償提供しています。
 これまでに頼朝の挙兵や源平合戦、奥州合戦、頼朝死去などを取り上げてきました。識者が鎌倉への思いを語るコーナー「私と鎌倉」も設け、東大名誉教授の養老孟司さんや作家の三木卓さんらが登場しました。
 このほかにも、神奈川新聞本紙では世界遺産登録にまつわる話題を数多く取り上げています。皆様も一度本紙を広げてみませんか。

 武家の古都・鎌倉新聞のお問合せは 湘南総局 0463-27-1400まで。

 

古都鎌倉の世界遺産登録って なに?

第23回 円覚寺はどんなお寺?

 円覚寺は、弘安五年(1282)に鎌倉幕府第八代執権北条時宗が中国(南宋)の僧無学祖元(むがくそげん)を開山として、山ノ内の地に建立した禅宗寺院です。時宗は祖元を師として禅宗に深く帰依し、モンゴル襲来時の犠牲者を敵味方の区別なく弔うため、円覚寺を建立したとされます。その後も鎌倉幕府や鎌倉府などの武家政権からの手厚い保護を受け、東国における禅宗の一大拠点となっていきました。
 円覚寺の寺地は、山稜に入り込んでいる谷戸を階段状に造成し、そこに伽藍が整備されています。度重なる火災や地震によって、創建当初の建物は失われていますが、元弘三年(1333)から建武二年(1335)の間に描かれたと推定される「円覚寺境内絵図」(重要文化財)によって、最盛期の円覚寺の姿を知ることができます。
 これによると、当時の伽藍は三門(山門)・仏殿・法堂・方丈といった主な建物が直線上に並び、その左右対称に堂舎が配されるという、中国禅宗寺院の伽藍配置にならったものだったことがわかります。この禅宗様伽藍配置は現在も良く残されており、鎌倉時代以来の禅宗の伝統を今に伝えている点で大変重要です。
 

Event! the 世界遺産

鎌倉世界遺産登録推進協議会主催・鎌倉市共催・フランス大使館 後援

めざそう世界遺産 武家の古都・鎌倉
フランス語スピーチコンテスト 出場者募集

「武家の古都・鎌倉」のすばらしさを知らせるフランス語スピーチコンテストの出場者を募集します。
☆コンテスト予定/平成24年10月28日(日) 午後1時30分〜 鎌倉女学院で開催予定☆

選考委員/リシャール・コラスさん(鎌倉国際観光親善大使・シャネル日本法人社長)
       フランシス・メジエールさん(在日フランス大使館文化部次席参事官)  池村俊郎さん(元読売新聞社パリ支局長)
後援/フランス大使館 (社)鎌倉市観光協会 古都鎌倉を愛する会   鎌倉日仏協会 鎌倉三日会 (公財)日仏学院   神奈川県・横浜市・鎌倉市・逗子市世界遺産登録推進委員会

   【募集対象者】 日本語を母国語とする首都圏在住の【A=21歳以上 B=20歳以下】の方 (年齢は平成24年4月1日現在)
   【テーマ】 『武家の古都・鎌倉』の魅力に関係すること
   【表彰】 A・Bそれぞれ最優秀賞(5万円)1名・優秀賞(2万円)1名・協議会賞(1万円)1名 ※後援団体等から副賞を多数ご用意
   【応募方法】 (1)氏名、住所、電話番号、年齢、応募区分【AまたはB】を記載した紙(A4サイズ)
                     (2)スピーチ原稿(フランス語で7分程度で話せる分量)      (3)スピーチ原稿の日本語訳
   【提出方法】 下記の鎌倉世界遺産登録推進協議会事務局までE-mail添付、または郵送でお送りください。
   【締切】 平成24年9月10日(月)事務局受領分まで
   【お問合せ】 下記推進協議会事務局まで。
 

鎌倉の世界遺産登録をめざす市民の会主催・鎌倉世界遺産登録推進協議会共催

第22回  鎌倉の世界遺産登録連続シンポジウム

「日々のくらしと鎌倉の世界遺産」

各世代の女性たちが集まり、歴史を受け継ぎ活気もある町のあり方を探ります。

   【とき】 平成24年10月21日(土) 午後1時30分〜4時30分
   【ところ】 建長寺応供堂
   【定員】 120名
   【参加費】 500円
   【申込方法】 住所・氏名・電話番号・メールアドレスを明記、はがき・FAX・Eメールで
                      鎌倉風致保存会「世界遺産連続シンポジウム係」 (電話 0467−23-6621) へ。 定員になり次第締め切ります。
   【申込先】 〒248-0012 鎌倉市御成町9-1 FAX 0467-23-6631  e-mail : fuhchi@fsinet.or.jp

EDITOR'S NOTE    編集後記

 推進協議会総会で、松尾会長が「みんなでつくる世界遺産のまち鎌倉」をキャッチフレーズにしていこうと発表しました。
 日本からユネスコへ世界文化遺産の推薦書が提出され、まもなく鎌倉で、ユネスコの諮問機関であるイコモスによる現地調査が行われますが、登録後も見据えた鎌倉らしい推進協議会の考えです。
 ユネスコ事務局長イリーナ・ボコバさんも言われるように、世界遺産登録は遺産の保護・保全の始まりだということを自覚する必要があります。
 平泉町は登録延期の中で、反対していた人々が「世界遺産はまちづくりのためだ」ということに気づいて、一体となって登録を推進したことを伺いました。
 世界遺産をめざす「武家の古都・鎌倉」は、鎌倉市だけではなく横浜市・逗子市を含みます。一緒に「世界遺産のまち」としての自覚を持てるような推進協議会の事業を、皆様と共に推進していきたいものです。
広報部会長 内海恒雄
 

鎌倉世界遺産登録インフォメーション&放送スケジュール

  • インターネット  ◆鎌倉世界遺産登録推進協議会HP  http: // www. shonan-it.org/KWH-kyogikai/
  • FMラジオ    ◆鎌倉FM(82.8MHz) … 毎週金曜 19 : 10 〜 19 : 30 「鎌倉世界遺産への道」
  • ケーブルテレビ ◆JCN 鎌倉 … 毎週木曜 17 : 10 〜(当日再放送あり) 7 Days デイリー「一問一答!鎌倉検定の道」

鎌倉世界遺産登録推進協議会
事務局
 〒248-8686 鎌倉市御成町18-10 (鎌倉市世界遺産登録推進担当)
 Tel. 0467-61-3849  Fax. 0467-23-1085
 E-mail : sekaiisan@city.kamakura.kanagawa.jp


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