ワークショップ風景
開始風景
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冒頭の一言を述べる高井さん(建長寺)
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ワークショップの感想を語る牧田さん
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世界遺産と景観まちづくり
比留間 彰 鎌倉市経営企画部
3方が山に囲まれ1方が海に開けた「まち」鎌倉。
ヒューマンスケールな都市規模は、いつの時代も人々の生活と自然が密接に関わることを余儀なくしてきたのだと思う。中世、頼朝はこの地形を利用してまちを築き、我が国の都として栄えた。近世、豊かな自然を活かし、細々ではあったようだか漁業・農業を生業として人々が生活した。近代に入ると気候が温暖で風光明美な鎌倉は海水浴・保養の適地として別荘地として注目された。そして現代、我々はどの様に自然と関わり、まちを創っているのだろうか。
中世から時代ごとにまちの規模・機能は更新されてきたが、現代のまちづくりは我々の先代が取り組んできたまちづくりの延長線上にあるのだろうか。今回のワークショップはそれを考えるとても良い機会を提供してくれたと感じている。まちが成長し、更新されるとき、間違いなく多くの人たちが違和感を抱くのだと思う。前述の通りまちは機能更新し、成長してきたが、鎌倉が他都市と異なり魅力を維持し続けることができたのは、なぜなのだろうか。
私は、いつの時代も鎌倉の市民が自然と上手に向き合ってきた事ではないかと感じている。鎌倉市はこれまで緑地保全を中心に自然環境の保全に多くの力を注いできた。その結果、現在の鎌倉の風景が保たれており、山頂部を通るハイキングコースから見下ろす風景は、中世の風景と大きくかわらないだろう。今回、各テーブルで議論された課題、それを解決する一つのキーワードとして「自然との関わり」が挙げられると思う。
さて、ではどの様にしたら自然と上手に関わるまちができるのだろか。少し前に市民の方にこんな話を聞いたことがある。「最近の鎌倉はまちに作法がなくなってきた。例えば、京都の様式が混在していたりして。」と、まちから作法が読み取れなくなるとまちの規範がなくなってしまう。建築家は設計をするとき何度もその土地に足を運びその土地の文脈を掴み、イメージを膨らませるという。地域のまちに対する思い(作法)が、風景をつくり、それが継承されれば、魅力ある新たなまちが維持されていくのだ。
私は、世界遺産登録はこの様なことを考える絶好の機会だと捉えている。世界遺産登録は鎌倉市民
の方々が脈々と培ってきたまちづくりの評価であるとともに、今を生きる我々の新たなまちづくりへの出発点でもある。今回、多くの貴重な意見を伺い、このことを改めて強く感じた。この様な議論に参加させていただいたことを感謝するとともに、更に多くの方を巻き込んで議論が進み、それを市民の方々と我々行政が手を取り合って、ひとつひとつ着実に実現していく仕組みをつくることが重要だと考えている。
最後に、今回のワークショップに参加し、横浜の山手でまちづくりをしていたときの住民の方の言葉を思い出したので紹介したい。当時、西洋館が多く残る山手地区ではまちの魅力の維持と観光・交通公害について議論が交わされていた。その時、自治会長が「僕は、生まれた時から山手に住んでいて、山手が大好きで、いつまでも魅力的であって欲しい。住み続けたいと思うまちには、きっと観光客が来るだろうが仕方のないこと。観光客も来ない魅力のないまちには、きっと僕も住みたくないだろう。」と。
いつまでも鎌倉が住み続けたい、訪れたいまちであって欲しいと願う。
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山の中から鎌倉の街、山、海を望む
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鎌倉駅周辺の市街地と周囲の自然地
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鎌倉のまちづくりワークショップに参加して
征矢剛一郎 鎌倉市まちづくり政策課
いよいよ、「武家の古都・鎌倉」は、世界文化遺産としてユネスコへ推薦されることになりました。
今回は、世界遺産登録後を見据えた「歴史を活かすまちづくり」についての話し合いでした。これまでもよく言われていますが、世界遺産登録は鎌倉のまちづくりを進めていくうえでの通過点なのです。これからが、鎌倉の魅力あるまちづくりを進めるうえでの正念場です。
私は、「まちの姿」を話し合うテーブルに参加しました。そこでは、今まちで起こっているマンション問題が取り上げられ、まちづくり条例に基づく自主まちづくり計画について話題になり、「条例が不十分だ」、「自主まちづくり計画があってもだめだ」などの発言がありました。
自主まちづくり計画とは、地域のみなさんが主体となって、地域のまちづくりの目標、方針、主体的なルールを定めるものです。地域のみなさんのまちに対する思いを示したもので、みなさんが計画を共有することで地域のコミュニティが醸成され、地域のつながりが強くなり、また、それを対外的に示すことにより、新しくいらっしゃる方の理解も得やすくなります。みなさんが地域に対する意識を持つことが大切で、都市計画法などとともに幾重にも重なったルールは、地域の開発に対しても、有効に働くものと考えてい
ます。
住んでよく、訪れてよいまちづくりとは地域のみな
さんが、世界遺産のまちに住んでいるという意識を持って、快適な生活空間づくりを積み上げていくことではないかと思います。
新しいまちづくり条例は、平成24年4月1日に施行されます。まちのことをみんなで話し合うことができるような場、例えば「まちづくりセンター」等の機関を設置できる規定を設けました。そこでは、市民の方、社寺の方、商工業者の方、鎌倉を思うさまざまな方とともに、世界遺産たる鎌倉のまちづくりについて話し合い、鎌倉をさらに魅力あるまちにしていくことができればと考えています。このようなワークショップの積み重ねが大切です。みなさんと一緒に魅力あるまちづくりを推進していきましょう。
高井宗務総長は、「鎌倉全体として取組んでいく」、「お寺と地域と一緒になって作っていく」 と地域のつながりの大切さを語っていらっしゃいました。
また、牧田社長は、「社寺の町、地域コミュニティが寺社とともにあった」、「意識があればその思いが町を良くする」 と語っていらっしゃいました。
今回のキーワードは、「地域」、「意識」ではないでしょうか。
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各テーブルで自己紹介などが続く間に話合うゲストたち。
右手前で資料を見る征矢さん
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鎌倉が世界遺産のモデルとなる日
赤川 学 東京大学大学院
2008年から私は、「人口減少時代の地域づくり」をテーマに研究を始めました。それ以降、福澤健次さんと鎌倉市役所のご厚意で、本ワークショップに参加する機会を得ることができました。今回ワークショップへの参加は、早いもので4回目となります。
この間、市民のみなさんが活発に鎌倉の将来について語り合い、意見を出し合う過程を拝見させていただきました。毎回、その元気のよさにたいへん感銘を受けてきました。そのうちに、鎌倉が将来的に世界遺産に登録されるかどうかはさておくとしても、鎌倉市民のみなさんが、自分たちの地域の将来について真剣に語り、地域の価値を見直し、世界遺産登録へのコンセンサスを作ろうとする「市民力」が熟成されていくプロセスが、何にもまして重要だと思うようになりました。
それにしても昨年までと今回とでは、参加した人びとの数も、熱気も、さらに一段、高まったように感じました。むろん今年、平泉が世界遺産に登録されて、鎌倉の登録が現実味を帯びてきたことも一因でしょう。「鎌倉が世界遺産に登録されるべきかいなか」という議論の水準をこえて、「鎌倉が実際に世界遺産に登録されたら、何が変わり、何が課題となるのか」がリアルに問われ始めてきていると思います。
私自身は社会学者として、人口減少や地域経済の衰退が現実の問題となっている地域を目の当たりにしてきました。
そこでは歴史的な町並みの保存や、世界遺産への登録が、地域活性化の起爆剤として期待されることもしばしばです。その観点からすると、鎌倉の人びとが世界遺産登録に懸ける期待や不安は、いささか例外的なようにも思えます。というのも、鎌倉では「これ以上、人や自動車が増えたら困る」という「開発圧力」が問題になることが多いように感じるからです。日本の多くの地域では、鎌倉とは異なり、「人がいなく
なる」、「産業が衰退する」という逆・開発圧力(減退圧力とでもいいましょうか)が問題になっているにもかかわらず、です。単純に交流人口の拡大という観点からみれば、鎌倉は「勝ち組」、日本の多くの地域は「負け組」といえるかもしれません。あえて私が日頃つきあっている中山間地域の人びとの目線に立てば、「人がたくさん来て困る」というのは、ある意味では贅沢な悩みといえるかもしれません。
とはいえ交流人口の増大と自然環境や歴史的町並みの保全をどう両立させるかは、21世紀の人口減少社会・日本では普遍的な課題です。ここ数年さまざまなご意見を伺う中でとても印象に残ったのは、「世界遺産に登録されることでむしろ、周辺環境
を保全できる」という考え方でした。
これはおそらく他の地域にはない、鎌倉に独自のものといえると思います。
もちろん、さまざまな難問があることは承知していますが、市民のみなさんと行政の方々が一体となってこの課題を達成することができるなら、そこで築き上げられたノウハウは、必ずや他の地域にも役立つものになるだろう。
そのことに期待したいと思います。
Fテーブルの話合いを後で聞く赤川先生
鎌倉まちづくり資料集(解説:福澤健次)
鎌倉市都市マスタープランは1998(平成10)年春に鎌倉市の都市整備(土地利用、都市施設、市街地整備)に関わる基本計画として制定された。
この計画は市内各地域から選ばれた市民委員と団体委員が過半を占める、鎌倉市都市マスタープラン策定委員会で審議され定められた。
その基本理念は「くらしに自然・歴史・文化がいきる古都鎌倉」
という標語にまとめられた。
源頼朝が鎌倉に武家統治の都を開いてから800余年の歴史を重ね、豊かな自然と文化資産に恵まれた鎌倉の地を、今後どのように形づくっていくかに関する基本指針を示したものである。委員たちの頭には御谷問題を克服し古都保存法制定に至った鎌倉への熱い想いがあった。
まちづくりの方向を示す右の「将来都市構造図」で「保存する緑の骨格」=濃く太い破線が市域の各市街地を分節していることが分かる。
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図・1 都市マスタープラン 将来都市構造図
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鎌倉駅周辺の市街地を囲む丘陵
図・2は鎌倉駅‐若宮大路を中心とする市街地を囲む丘陵部分を、山裾の標高20mと山腹の50m、山頂部の100mの等高線で示し、都市マスタープランで定めた鎌倉駅周辺拠点と北鎌倉の周りの山並みをリアルに描いた図である。
世界遺産に推薦された古都・鎌倉の構成資産は、この山並みに沿って、またその中に在るのである。
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図・2 鎌倉駅周辺の丘陵部 等高線図
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図・3 世界文化遺産に推薦される「武家の古都・鎌倉」の構成資産 (サイト・場所)
「武家の古都・鎌倉」
図・3の濃い部分が「武家の古都・鎌倉」として、日本からユネスコに世界遺産に値する場(サイト)として、推薦された所である。この推薦は姫路城、法隆寺、白川郷などがモニュメントや建造物群として推薦されたのに対して、サイト=場所としての推薦であった。
源頼朝が開いた武家政権の本拠地(Home of the SAMURAI)の、「政権所在地」としてのユニークな在り方(スタイル)を示し、そこで花開き後世に受け継がれていった禅宗式建築・境内や庭作り、茶の湯などの革新的文化を証言する場として、顕著な普遍的価値があると推薦された。
この場所(サイト)は、文化財保護法の史跡指定地と古都保存法の歴史的風土特別保存地区からなる。
図・4 北鎌倉エリアマップ
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歴史上の各時代が共存する鎌倉の地
図・4は北鎌倉エリアの地図であるが、左上から右下に鎌倉街道(山ノ内路)が通っている。
左上に円覚寺、右下に建長寺と鎌倉の世界遺産の重要な要素の寺院境内が夫々の谷戸の中にある。
建長寺から円覚寺に向い、長寿寺の手前で左に折れると亀ヶ谷坂の切通しがあり、そこを進むと扇ガ谷に出て行く。
図の中ほど、横須賀線踏切の手前で右に入って行くと明月谷の谷戸で、さらに道を先に進むと、今泉台の住宅地に登り着く。
北鎌倉駅から大船方向に少し行き、左に折れると梶原住宅地に抜ける谷戸道に入って行く。この図中には、鎌倉時代から今に至る人々の営みの地が山と共存して在る。 鎌倉の「まちの姿」である。
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ワークショップ参加者一覧
●テーブル討議参加者・居住地 |
テーブルA(交通問題)
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山村みや子
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進行役
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澤 尚之
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進行役(市職員)
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阿部 恭巳
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奥野 晃
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齋藤 眞康
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丸山 泰世
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吉川 昇
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(協議会)
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テーブルB(交通問題)
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長谷川 栄子
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進行役
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関沢 勝也
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進行役(市職員)
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阿部 廉
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荒井 幸子
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(協議会)
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稲葉 祐幸
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織戸 晃
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坂井 敬
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古沢 俊博
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テーブルC(情報センター)
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横川 啓
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進行役(市職員)
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能登原 秀実
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進行役(協議会)
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赤松 加寿江
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井上 道哉
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小林 惟子
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戸口 和江
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(協議会)
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安川 健人
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横溝 武久
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テーブルD(情報センター、まちの姿)
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大竹 正芳
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進行役(協議会)
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香山 隆
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進行役(協議会)
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岡林 渉
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奥谷 多作
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久恒 利之
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牧之内 貞治
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山本 久美子
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山本 徳樹
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テーブルE(まちの姿)
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高木 規矩郎
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進行役(協議会)
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牧 れい花
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進行役(協議会)
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新井 健史
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加藤 晴康
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高柳 英麿
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(協議会)
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田川 陽子
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成瀬 紀男
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山田 重文
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吉田 祥子
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テーブルF(まちの姿)
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宮田 一雄
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進行役(協議会)
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草場 圭三
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進行役(協議会)
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荒井 章
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(協議会)
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稲葉 美智子
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卯月 文
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(協議会)
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大坂 岱樹
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大屋 進
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中野 直毅
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ゲストアドバイザー
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高井 正俊
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建長寺宗務総長
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牧田 知江子
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井上蒲鉾店社長
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兵藤 芳朗
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鎌倉市副市長
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島田 正樹
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鎌倉市世界遺産登録推進担当担当部長
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比留間 彰
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鎌倉市経営企画部次長
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征矢 剛一郎
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鎌倉市まちづくり政策課長
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赤川 学
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東京大学大学院(感想記寄稿)
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総括進行役
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福沢 健次
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(協議会)
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●全般運営参加者
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記録
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宮部誠二郎
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中島丈夫*
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齋藤千夏
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運営全般
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加藤岡政彦*
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宇高毅*
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熊澤隆士*
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鈴木庸一郎*
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報告書編集
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福澤健次
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伊達美徳
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鈴木庸一郎*
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(*印は鎌倉市世界遺産登録推進担当職員)
あ と が き
前回の報告書では編集者あとがきは、ワークショップ参加者一覧のページに同居していましたが、今回はゲストをはじめとする参加者数が60人を超える盛会となったため、あとがきのページを新設し、文字数も多く書けるようにしました。
今度のワークショップを実現したゲストをはじめとする関係者の皆さんには巻頭でお礼申し上げましたが、ここには第四回までの3コメンテーターの皆さんから、今回も大きな支援をいただいたことを記しておきたいと思います。
宮田さんにはFテーブルの進行役をお引き受けいただき、たいへん目配りの行きとどいた報告文を出していただきました。
赤川先生と伊達さんにはワークショップを見学していただき、赤川先生からは感想記を書いていただき、伊達さんには編集作業の終りに以下の文章をもらいました。
赤川先生が社会学者として係わった他の地域の実情を踏まえて書かれた感想と、伊達さんが今年の日本の‘大変’に触発され出された提案、これら二つの文章には私たちの耳に痛い指摘も含まれていますが、こうした広い視野に立つ意見を、鎌倉の世界遺産やまちづくりを考える上で参照し、考えてみることは、意義のあることだろうと思います。
コメンテーター三者のこれまでの適切な鎌倉観察と、その上に立つご意見を、ありがたくいただくことにしました。
(福澤健次)
前回まではコメンテーターと報告書編集担当で参加しましたが、今回は報告書編集のみです。編集後記に代えて、わたくしのブログ「伊達の眼鏡」2011年3月21日掲載記事をそのまま転載することをお許しください。
「福島第1原発を世界遺産に」
常識的に考えて、これで福島第1原発は閉鎖になるだろう。
技術大国日本の先進技術でもってして技術的に再稼動が可能となったとしても、これだけの広大な地域に被害を与え、そして世界の原子力政策に影響を与えたのでは、社会的には再稼動できるはずがない。
そこで提案だが、福島第1原発を世界文化遺産に登録してはどうか。人類の英知の結晶である技術文化が、自然の威力の前にこれだけの大災害となった記念建造物である。 廃炉となってもすぐに取り壊すことは不可能だから、今後ともその爆発による姿を人々の目に見せることで、人類の英知の限界を警告する世界的遺産となるだろう。
既にその前例は、日本では広島原爆ドームが世界文化遺
産登録している。昨年は、ビキニ環礁を世界文化遺産に登
録した。太平洋のまんなかの水爆実験(第5福竜丸の被災で漁民が命を奪われ、汚染マグロで日本漁業は大打撃)の場である。 原爆ドーム、ビキニ環礁、福島第1原発は一連のものとして、原子力のもっている脅威をまざまざと世界の人々に認識させることができることだろう。
このような遺産登録こそが、人類のこれからの文明永続のために必要なことだ。世界遺産登録で観光振興なんていうチャラチャラした考えは吹き飛ぶのだ。(伊達美徳)
直接テーブルには参加していませんが、推薦が現実となった今回、各テーブルの議論も、今までの手探り状態から「世界遺産後」を参加者の皆さんが意識しつつ、進んでいたように思いました。
「推薦」の後は、文字通り「登録」に向けて邁進することとなります。「正」の遺産として、近年ますます重要視され、市民が大切にしてきた山や緑を積極的に取り込んだ鎌倉の推薦内容が、完全なる第三者であるイコモスやユネスコからどう評価されるのか。仕事とは関係なく興味があります、などと呑気なことを言ってる場合ではないのですが、答えはこれからのイコモス現地調査、ユネスコの世界遺産委員会で出されます。よい評価に結び付くよう、できることはすべてやっていかなければなりません。
この報告書にある意見の一つ一つをどう活かせるか、考えていきたいと思います。
最後になりましたが、当日参加していただいたすべての皆様に、改めてお礼申し上げます。(鈴木庸一郎)
住んでよく、訪れてよい
鎌倉のまちづくり
ワークショップ実施報告書
2012年1月31日 発行
−発行者−
鎌倉世界遺産登録推進協議会
市民フォーラム実行委員会
−問い合せ先−
事務局:鎌倉市世界遺産登録推進担当
Tel.0467-61-3849
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