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永福寺の歴史上の出来事

●永福寺建設始まる 建久3年(1192)
文治5年(1189)に源頼朝は、奥州平泉で見た毛越寺・中尊寺などのすばらしいお寺に感激しました。戦いで死んだたくさんの人々を供養するために、寺を建てようと永福寺の建設を決めました。

●頼朝暗殺未遂事件 建久3年1月21日
源頼朝が永福寺の建設現場を視察している時、片目に魚の鱗を入れ目の悪いふりをしていた怪しい男が捕らえられました。
上総五郎兵衛と名乗り、頼朝を暗殺するために隠れていたと白状しました。調べると短刀を隠し持っていました。

●畠山重忠の怪力 建久3年9月11日
庭園造りのために、京都より招いた静玄という僧の指示で庭石を置いているとき、畠山重忠が大岩を一人で持ち上げ池の中まで運びました。見ているものは皆、その怪力に驚いたそうです。

●二階堂の完成 建久3年11月25日
源頼朝が征夷大将軍になった年に、永福寺二階堂も完成しました。その姿かたちはすばらしく、極楽の様子をそのまま表したそうです。
将軍家の人々を始め、何十人もの御家人が行列を組み、三井寺から、偉いお坊さんを招き祝いました。このあと薬師堂・阿弥陀堂が次々に完成していきます。

●将軍の遊び
池の畔には桜や梅の木が植えられ、美しい庭園が造られました。
季節ごとに蹴鞠・花見・雪見・和歌を詠むなど、歴代の将軍は様々な遊びを楽しみました。
また、永福寺では数多くの法要も行われました。源頼朝・政子をはじめ頼家・実朝以下歴代の将軍が訪れ祈りをささげています。
併せて舞楽が行われ、法要が行われた日は、境内はきらびやかに彩られたことでしょう。

●旅日記
旅日記に永福寺が書き残されています。
「 東関紀行」 仁治3年(1242)
永福寺は特別すばらしい寺である。鳳凰の翼のような瓦屋根が日の光に輝き、鐘の音が霜の中に響き、建物の美しく飾られていることをはじめ、池や庭木のある所の様子まで、特に心がひかれる思いである。

●合戦の舞台 宝治元年(1247)6月5日
新しく執権になった北条時頼は、先の将軍頼経や御家人たちを次々に鎌倉から追放しました。この戦いで三浦光村は、永福寺の中に陣をかまえました。しかし境内では戦わなかったため、永福寺は戦火に巻き込まれずにすみました。

●永福寺炎上 応永12年(1405)12月17日
午前10時ごろ、永福寺で火の手が上がりました。失火かもらい火かはわかりません。この後、永福寺の建物を再建したという記録は見当たりません。