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永福寺の歴史上の出来事 ●永福寺建設始まる 建久3年(1192) ●頼朝暗殺未遂事件 建久3年1月21日 ●畠山重忠の怪力 建久3年9月11日 ●二階堂の完成 建久3年11月25日 源頼朝が征夷大将軍になった年に、永福寺二階堂も完成しました。その姿かたちはすばらしく、極楽の様子をそのまま表したそうです。 将軍家の人々を始め、何十人もの御家人が行列を組み、三井寺から、偉いお坊さんを招き祝いました。このあと薬師堂・阿弥陀堂が次々に完成していきます。 ●将軍の遊び 池の畔には桜や梅の木が植えられ、美しい庭園が造られました。 季節ごとに蹴鞠・花見・雪見・和歌を詠むなど、歴代の将軍は様々な遊びを楽しみました。 また、永福寺では数多くの法要も行われました。源頼朝・政子をはじめ頼家・実朝以下歴代の将軍が訪れ祈りをささげています。 併せて舞楽が行われ、法要が行われた日は、境内はきらびやかに彩られたことでしょう。 ●旅日記 旅日記に永福寺が書き残されています。 「 東関紀行」 仁治3年(1242) 永福寺は特別すばらしい寺である。鳳凰の翼のような瓦屋根が日の光に輝き、鐘の音が霜の中に響き、建物の美しく飾られていることをはじめ、池や庭木のある所の様子まで、特に心がひかれる思いである。 ●合戦の舞台 宝治元年(1247)6月5日 新しく執権になった北条時頼は、先の将軍頼経や御家人たちを次々に鎌倉から追放しました。この戦いで三浦光村は、永福寺の中に陣をかまえました。しかし境内では戦わなかったため、永福寺は戦火に巻き込まれずにすみました。 ●永福寺炎上 応永12年(1405)12月17日 午前10時ごろ、永福寺で火の手が上がりました。失火かもらい火かはわかりません。この後、永福寺の建物を再建したという記録は見当たりません。 |